声劇台本 based on 落語

「やかん」


 原 作:古典落語『やかん』
 台本化:くらしあんしん


  上演時間:約30分


【書き起こし人 註】

古典落語をベースにしていますが、あくまでも"声劇台本"として作成しています。
なるべく声劇として演りやすいように、元の落語に様々なアレンジを加えている場合があります。

アドリブ・口調変更・性別転換 等々OKです。



ご利用に際してのお願い等

・上演を公開される際は、観覧無料の媒体のみで行うようお願いします。
 観覧自体が無料であればかまいません。いわゆる「投げ銭システム」に代表されるような、リスナーから
 配信者へ 金銭または換金可能なアイテムやポイントを贈与できるシステムの有無は問いません。
 ただし、ことさらリスナーに金銭やアイテム等の贈与を求めるような行為は おやめください。


・無料公開上演の録画は残してくださってかまいません(動画化して投稿することはご遠慮ください)。
 録画の公開期間も問いません。

・当ページの台本を利用しての有料上演はご遠慮ください。

・当ページの台本を用いて作成した物品やデジタルデータコンテンツの販売はご遠慮ください。

・当ページの台本を用いて作成した動画の投稿はご遠慮ください。

・台本利用に際して、当方への報告等は必要ありません。



<登場人物>

八五郎はちごろう(セリフ数:124)
 ?歳。
 町内の間抜け男。
 おバカなので、ご隠居が どれだけトンチンカンなことを言っても基本的に素直に信じちゃう。
 一人称は「あっし」。



ご隠居(セリフ数:123)
 ?歳。
 町内の物知り隠居。
 基本的に物知りだが、何でもかんでも知っているわけではなく、知ったかぶりをすることもしばしば。
 自信家で尊大で上から目線。特に八五郎のことは「愚者」と呼んで見下している。
 口は達者で、知ったかぶりでいい加減な言説も自信たっぷりに堂々と披露する。
 一人称は「ワシ」。





<配役>

・八五郎:♂

ご隠居:♂




【ちょっと難しい言葉】※クリックすると開いたり閉じたりします(ブラウザによっては機能しません)
  • 愚者(ぐしゃ)
    ばか者。おろか者。

  • 出花(でばな)
    湯を注いだばかりの香りのよい茶。

  • 鬼も十八 番茶も出花(おにも じゅうはち ばんちゃも でばな)
    質の低い番茶でも淹れたては香りがよいように、器量の悪い娘でも 年頃になると美しく見えるということ。

  • 茶請け(ちゃうけ)
    茶を飲むときに食べる菓子・つけ物など。茶菓子。

  • 餡ころ餅(あんころもち)
    外側を餡でくるんだ餅。

  • 朱盆(しゅぼん)
    朱色に塗った盆。

  • 人出(ひとで)
    人が多く出て そこに集まること。

  • 杓子(しゃくし)
    飯を盛ったり汁などをすくったりする道具。

  • 女子(めこ)
    女の子。

  • 赤子(せきし)
    赤ん坊。

  • 高島田(たかしまだ)
    根元を高く結いあげた髷(まげ)。娘が結う髪型。

  • 博学多識(はくがくたしき)
    学識が豊かで、様々なことを知っていること。

  • 博覧強記(はくらんきょうき)
    広く物事を見知って、よく覚えていること。

  • 字引(じびき)
    辞典。辞書。

  • 目の子勘定(めのこかんじょう)
    そろばんや筆算などを用いず、目で確かめながら計算すること。目の子算。

  • 家令(かれい)
    皇族や華族の家で、家の事務や会計を管理したり、他の雇い人を監督した人。執事。

  • 愚連隊(ぐれんたい)
    繁華街で違法行為や暴力行為を働く不良集団。

  • 難儀(なんぎ)
    苦労。困難。

  • アルマイト
    アルミニウムを陽極で電解処理して人工的に酸化皮膜を生成させる表面処理のこと。(意味不明)

  • 琺瑯(ほうろう)
    さび止めや装飾のために、表面に不透明なガラス質の釉(うわぐすり)を焼きつけた金属器。カタカナで「ホーロー」と表記することも多い。

  • 那須与一宗隆(なすの よいち むねたか)
    平安時代。源平合戦において源氏側の兵として従軍し、弓の名手として、船上の扇の的を射落とした逸話がある。

  • 田中幸雄(たなか ゆきお)
    かつて日本ハムファイターズに所属していた元 プロ野球選手。この名前の選手が同時に2人いた時期があった。

  • 滋籐(しげどう/しげとう)
    黒漆塗りの弓の幹を籐で強くと巻いたもの。




ここから本編


八五郎:ご隠居さーん、こんちはー。

ご隠居:む?誰かと思えば、愚者ぐしゃか。

八五郎:え?

ご隠居:久しぶりだな愚者ぐしゃ。まぁ茶でも飲んで行くか 愚者ぐしゃ
    ん?ボーッと つっ立っておらず 上がったらどうだ 愚者ぐしゃ

八五郎:なんスか さっきから グシャグシャ グシャグシャって。
    なんかんづけてんスか?

ご隠居:何も踏んでなどおらん。
    グシャとは 貴様のことだ。

八五郎:え?あっし?
    あっしの名前は八五郎っスよ?
    「はっつぁん」とか「ハチこう」とかは よく言われますけど、
    「グシャ」なんて呼ばれたこたえなぁ。
    
    ま、いいや。そいじゃ、遠慮なく 上がらしてもらいますよっと。

   (八五郎、上がる)


   (ご隠居宅の座敷)

八五郎:いやぁ ご隠居、今日は いい塩梅あんばいの天気スねぇ。

ご隠居:む?貴様、いつからしょうほうになったのだ?

八五郎:は?しょうほう
    そんなもんに なってるわけえじゃねえスか。
    あっしは大工っスよ。

ご隠居:しかし今 貴様、今日は塩梅あんばいの天気だと言ったではないか。

八五郎:いや、んなもん、予報士よほうしじゃなくたって 見りゃ分かりますよ。
    雨も降ってねえし、日も照ってて、いい塩梅あんばいの天気じゃねえスか。

ご隠居:だが このあと 雨が降らんとも限らんだろう。

八五郎:いやまぁ、そりゃそうスけど……
    でも 今んとこは、いい塩梅あんばいの天気でしょ?

ご隠居:ならば、「今日は、"今のところ"、塩梅あんばいの天気です」と言うべきだ。
    「今日は」と言ってしまえば、「一日中」という意味になる。
    夜まで天気がいという保証など無い。物事ものごとは正しく言わねばならん。

八五郎:はぁ……、そりゃどうも すんませんねぇ。

ご隠居:まぁ良かろう。
    
    (湯呑みを差し出して)
    さ、茶でも飲め。

八五郎:ああ どうも。
    
    お、こりゃまた けっこうな 出腹でばらっスねぇ。

ご隠居:何?

八五郎:いえ、ですから けっこうな 出腹でばらっスね。

ご隠居:失礼だな。誰の腹が出ておるか。

八五郎:何 言ってんスか。お茶をめてんスよ。
    言うでしょ?茶ァ 出してもらったら、「けっこうな 出腹でばらですね」って。

ご隠居:何を言うておるか愚者ぐしゃ
    それを言うなら「出花でばな」だ。
    れたてで 香りのい茶を「出花でばな」と言う。
    「けっこうな お出花でばなですね」と言うのだ。

八五郎:あ、デバナって言うんスか。

ご隠居:さよう。「おに十八じゅうはち番茶ばんちゃ出花でばな」だ。

八五郎:何スか それ?

ご隠居:安い番茶でも れたては それなりに美味うまい。
    鬼のような器量きりょうの娘でも、十八の娘ざかりには
    それなりに美しく見えるという事だ。

八五郎:へえ、相変わらず ご隠居は 物知りっスねえ。
    
    あ、そうだ ご隠居、あっしね、ここ来る前に あんころもち 買って来たんスよ。
    けっこうな おデバナ 出してもらったんで、甘いもんの1つもえと さびしいスもんね。
    
    (手元の袋から折詰を出して)
    いま開けますんで、茶桶ちゃおけにしましょう。

ご隠居:む?茶桶ちゃおけ? 茶桶ちゃおけとは何だ。

八五郎:何って、茶ァ飲みながら食うもんスよ。
    ホラ、茶ァ飲む時に食う お菓子のこと、「茶桶ちゃおけ」って言うでしょ?

ご隠居:何を言うておるか。これだから愚者ぐしゃは。
    おけしょくす奴が どこにおるか。
    
    それを言うなら、「茶請ちゃうけ」だ。

八五郎:あ、チャウケって言うんスか、なるほど。
    じゃ、これ開けますんで、茶請ちゃうけにしましょう。
    
    (折詰を開ける)
    ほーら、どうです?うまそうな あんころもちでしょ?
    ご隠居も 遠慮なく食ってください。

ご隠居:待て待て。
    
    さっきから あんころもち あんころもちと言うておるが、何の事だ。

八五郎:は?(折詰の中身を指して)
    何って、これスよ。

ご隠居:貴様は それを、あんころもちだと言うのか?

八五郎:当たり前じゃねえスか。

ご隠居:なぜ それが「あんころもち」になる。

八五郎:なぜって……、見たまんまじゃねえスか。
    もちのまわりに たっぷりアンコが付いてるでしょ?
    アンコの上をコロッと転がして あんを付けたもちだから「あんころもち」。
    間違ってねえでしょ?

ご隠居:間違っておる。

八五郎:間違ってんスか!?

ご隠居:間違っておる。
    
    だいたい、アンコの上をコロッと転がしただけで、
    このように満遍まんべんなくあんが付くと思うか?

八五郎:いや、思わねえスけど……。
    
    あ、じゃあ、何回も転がすんスか?
    ってことは、あんころコロコロコロコロもち……?

ご隠居:そうではない。
    
    あんころものように もちつつんでいるから「あんころも・・・もち」。これが正しい。

八五郎:あんころももち
    なんだか語呂ごろが悪いスねぇ。

ご隠居語呂ごろが良かろうが悪かろうが、物事ものごとは正しく言わねばならん。
    間違った名前は、その由来にも説得力が無い。
    アンコの上をコロッと転がすから「あんころもち」、
    あんころものようになっているから「あんころももち」。
    どうだ?ワシの言ったほうが 説得力があるだろう。

八五郎:あーたしかに。ご隠居の説明のほうが 納得いきますねぇ。
    
    「あんころもち」と「あんころももち」……ちょっとの違いなのに、月とスッポンだ。

ご隠居:何だ?その「月とスッポン」と言うのは。

八五郎:またスか?
    
    似てるようで 全然違うモノのこと、月とスッポンて言うでしょ?

ご隠居:何を言うておる。
    
    月とスッポンなど、ハナから 少しも似ておらんではないか。

八五郎:ああ、まぁ確かに。

ご隠居:それを言うなら、「月と朱盆しゅぼん」だ。

八五郎:シュボン?なんスか シュボンて?

ご隠居うるし朱色しゅいろに塗った盆だ。
    
    月も盆も 丸いという点では似ている。
    しかし 月は大きく美しく、またみやび風流ふうりゅう
    だが盆は、うるしを塗っても ただの盆だ。
    
    このように、似ていても たいそうへだたりがある物は、
    「月と朱盆しゅぼん」と言うのが正しい。

八五郎:へえ、月とシュボンねぇ。
    
    なるほど、覚えました。

ご隠居:覚えた?
    
    貴様、物覚えが いいようには見えんがな。
    本当に覚えたのか?

八五郎:当たり前じゃねえスか。
    これぐらい、河童かっぱっスよ。

ご隠居:何だ、その「河童の屁」と言うのは。

八五郎:取るに足らねえ事だから、河童の屁っスよ。

ご隠居:ほう、河童の屁は、取るに足らないか。

八五郎:足りませんねぇ。

ご隠居いだことがあるのか?

八五郎:あるワケねえじゃねえスか。

ご隠居:では 取るに足らんかどうか 分からんだろう。

八五郎:そりゃそうスけど……。

ご隠居:「すかしても 音の するのは 河童の屁」

八五郎:なんスか それ?

ご隠居:河童は水中に住んでおる。ゆえに、すかしっをしたつもりでも、
    ブクブクと音が鳴ってしまうという事だ。

八五郎:ああ、なるほど。
    
    って、それが どうしたんスか?

ご隠居:別にどうもせん。

八五郎:どうもしないんスか!

ご隠居:ともかく、取るに足らない事を「河童の屁」と言うのは間違っておる。

八五郎:じゃ 何て言えばいいんスか?

ご隠居:「」だ。

八五郎:コッパのヒ?なんスか それ?

ご隠居とは、木の 切れっぱしのことだ。
    そんな物に火を付けても すぐに燃え尽きてしまって 役に立たん。
    だから、取るに足らない事は、「」と言うのが正しい。

八五郎:なるほど、かぁ。
    
    あ、それより ご隠居、そろそろ、えーと、あんころももち、食いませんか?

ご隠居:おお、そうだな。
    
    ま、しかし、茶請ちゃうけを買って来るとは、愚者ぐしゃにしては 気がいておる。
    ここに来る前に、どこかへ行っておったのか?

八五郎:そうなんスよ。
    
    けっこうな天気だったんでね、浅草の 観音様かんのんさまへ行って来たんスよ。

ご隠居:む?何と言った?

八五郎:ですから、観音様かんのんさまスよ。

ご隠居:なんだそれは。

八五郎:え?観音様かんのんさま 知らねえんスか?
    
    かみなりもんくぐって ずーっと行くと、突き当たりに でっかい おどうがあって、
    そん中に あるでしょ?観音様かんのんさま

ご隠居:それは観音様かんのんさまではない。

八五郎:え!?観音様かんのんさまじゃねえんスか!?
    
    じゃあこん毘羅ぴらさま!?

ご隠居:そうではない。
    
    あれは、「かんおん」様だ。

八五郎:カンオンさま?

ご隠居:さよう。
    
    さらに言うなら、「かん」は「くゎん」と言う。
    よって「くゎんおん様」となる。

八五郎:くゎんおんさま!?
    
    「浅草の観音様かんのんさま」じゃなくて、「浅草の くゎんおん様」って言わなきゃなんねえの?

ご隠居:いや、正しくは、「浅草あさくさ金龍山きんりゅうざん浅草せんそう安置あんちたてまつる、しょうくゎんおん 菩薩ぼさつ」だ。

八五郎:そんななげぇんスか!?

ご隠居:さよう。これが正しい呼び名だ。
    
    ところで 浅草せんそう人出ひとでは どうであった?
    人は出ておったか?

八五郎:そりゃもう!このじょう天気てんきでしょ?
    もう 人が出たの出ねえの!

ご隠居:どっちだ?

八五郎:え?

ご隠居:いま 貴様は、「人が出たの出ねえの」と言った。
    それでは 出たのか 出なかったのか 分からんであろうが。
    
    人が出たのか、出なかったのか、どっちなのかハッキリさせんか。

八五郎:いや、だから……、
    
    出たんスよ。

ご隠居:さようか。
    
    ならば、「出たの 出たの」と言うべきだな。

八五郎:出たの 出たの……?
    
    (試しに言ってみる)
    もう人が出たの出たの!
    
    ……なんだか 間が抜けた言い方スねぇ。

ご隠居:そんなことはない。正しい意味が ちゃんと伝わってい。
    
    ふむ、なるほど。浅草せんそうは たくさんの人出ひとでにぎわっておったと言うわけだな。

八五郎:そうなんスよ。
    
    ねこしゃくも 出て来て、そりゃもう大騒ぎで。

ご隠居:いま何と言った?

八五郎:またスかぁ?
    
    いや だから、ねこしゃくも出て来て――

ご隠居:猫は足があるから 出て来ない事も無いだろう。
    
    だが しゃくが どうやって出て来ると言うのだ?

八五郎:いや、んなこと知らねえスけど……。
    
    でも言うでしょ?「どいつもこいつも」って事を、「ねこしゃくも」って。

ご隠居:それを言うなら「女子めこ赤子せきしも」だ。

八五郎:メコもセキシも??

ご隠居:「女子おなご」と書いて「女子めこ」。つまりおんな
    「赤子あかご」と書いて「赤子せきし」。つまり赤ん坊。
    すなわち「女子めこ赤子せきしも」とは「女も赤ん坊も」という意味だ。

八五郎:へぇ、そうなんスか。

ご隠居:よって、貴様の言う、「ねこしゃくも どいつもこいつも 出て来て大騒ぎ」と言うのは、
    正しくは、「女子めこ赤子せきしも、老若男女ろうにゃくなんにょ おしなべて 雑踏ざっとうきわめたり」と言うのだ。

八五郎:何スか その呪文じゅもんみてえなのは!
    
    そいじゃ、今日の あっしの話を ご隠居風いんきょふうに言ったら こうなるんすか?
    
    「今日は 今のところ いい塩梅あんばいの天気だったので、浅草あさくさ金龍山きんりゅうざん浅草せんそう安置あんちたてまつ
     しょうくゎんおん 菩薩ぼさつへ お参りに行ったら、人が出たの出たの、女子めこ赤子せきしも、
     老若男女ろうにゃくなんにょ おしなべて 雑踏ざっとうきわめたり。参るついでに あんころも・・・もちを買って来ました」
    
    (ウンザリして)
    ご隠居ぉ、こりゃ ちぢれっ高島田たかしまだっスよ。*高島田……女性の髪の結い方のひとつ。和装の結婚式でよく見る。

ご隠居:なんだ?その「ちぢれっ高島田たかしまだ」というのは。

八五郎:いにくい。※「言いにくい」のシャレ。

ご隠居:何を くだらんことを言うておるか。

八五郎:だって ご隠居の言う事は むずかしいんスもん。
    よく それだけ色々と 物を知ってるもんだ。
    まぁ 勉強には なりますけどね。
    
    こうしてると、なんだか ここが学校で、ご隠居が先生で
    あっしが生徒みたいに思えてきますねぇ。

ご隠居:ふむ、愚者ぐしゃたる貴様は、博学多識はくがくたしき博覧強記はくらんきょうきたるワシから 学ぶ事も多かろう。
    
    なるほど、ここが学校、ワシがセンセイ、貴様が生徒。
    まさに その通りだ。愚者ぐしゃにしては なかなか うまいことを言うではないか。

八五郎:はあ、そうスか。
    
    あ。(挙手)ハイ、センセイ。

ご隠居:何かね?

八五郎:センセイは さっきから あっしのこと 「グシャ」って言いますけどね、それ 何なんスか?
    「グシャ」にも意味あるんでしょ?
    「グシャ」って どういう意味なんスか?
    なんで あっしがグシゃなんスか?

ご隠居:何だ そんなことも知らなかったのか。
    
    「なるもの」と書いて愚者ぐしゃだ。
    ほら、貴様の事だろう?

八五郎:(なぜか照れて)
    いやぁ、そんなめられると 照れるじゃねえスか。

ご隠居:誰がめておるか。
    
    「おろかなるもの」と書いて愚者ぐしゃ
    愚者ぐしゃとは愚か者の事だ。
    すなわち貴様の事だ。

八五郎:お、愚か者!?
    
    あっしのこと、愚か者だって言ってたんスか!?

ご隠居:そうだ。貴様ほど 物を知らん男は おらんからな。
    やっと分かったか愚者ぐしゃ

八五郎:ひでぇなぁ センセイ。
    
    あのねぇセンセイ、センセイは そうやって あっしのこと 愚者ぐしゃ 愚者ぐしゃって馬鹿にしますけどね、
    それじゃ センセイには 知らねえ事はえとでも言うんスか?

ご隠居:当たり前だ。
    
    ワシのとおを何と心得る。
    町内の「字引じびき」だ。

八五郎:地獄じごく

ご隠居:誰が地獄じごくだ。字引じびきだ。
    字引じびきごとく、あらゆる知識が 頭に詰まっておると言うことだ。

八五郎:ふうん、じゃ 何でも知ってるんスか?

ご隠居:いかにも。
    
    この世の中の 大事だいじ小事しょうじ些事さじ森羅万象しんらばんしょう神社仏閣じんじゃぶっかく
    ワシに知らぬ物など無い。

八五郎:へえ。
    
    じゃ 今から あっしがたずねる事に、何でも答えられるんスか?

ご隠居:それこそだ。
    
    貴様のいごとき、いかなる物でも たちどころに 答えてしんぜよう。

八五郎:言いましたね?
    
    そいじゃセンセイ、まずは……、
    
    ここ来る途中の往来おうらいで、「伊勢屋いせや若旦那わかだんなんとこに ヨメ入りがある」って みんな騒いでたんスよ。
    どうして カミさん もらうことを「ヨメ入り」なんて言うんスか?答えてくださいよ。

ご隠居容易たやすいな。
    
    いか?考えてもみろ。
    男には 目が2つあるな?

八五郎:そりゃ ありますよ。

ご隠居:女にも 目が2つある。
    男の所に女が来て 一緒になるのがヨメ入りだ。
    つまり 2つの目と 2つの目が一緒になって4つの目になる。
    これ すなわち「四目入よめいり」だ。

八五郎:あ、ヨメ入りってのは、目を勘定かんじょうしてんスか!

ご隠居:さよう。これを「勘定かんじょう」と言う。*目の子勘定……電卓や筆記用具を使わず、目で見て計測や勘定をすること。

八五郎:(納得)へぇ、なるほど。
    
    じゃ次。
    
    ヨメ入りして来た女の人ってのは、
    それまで「どこそこの娘さん」なんて呼ばれてたのが、
    「奥さん」て呼ばれるようになるでしょ?
    あれは なんで「奥さん」なんて呼ばれるんスか?
    答えてください。

ご隠居造作ぞうさも無いこと。
    
    とついで来た女性には、子供を産むという仕事がある。つまり おさんだな。
    あれは あまり玄関先などで するものではない。たいていは 奥の部屋で するものだ。
    すなわち、「奥」で「お産」をするから、「奥さん」だ。

八五郎:あ、そうなんスか!
    奥で お産をするから「奥さん」。へぇ~。
    
    え、でも、みんながみんな 奥で お産をするとは限らないでしょ?
    タケんとこのカミさんなんて、二階にかいの部屋で産みましたよ。
    それは どうなるんスか。

ご隠居:それは 「お二階にかいさん」だ。

八五郎:あ、そうなんスか。
    じゃ 隣の家で産んだら?

ご隠居:「お隣さん」。

八五郎:向かいの家で産んだら?

ご隠居:「お向かいさん」。

八五郎:熊本で産んだら?

ご隠居:「阿蘇あそさん」。

八五郎:フランスで産んだら?

ご隠居:「クロワッさん」。

八五郎:ホントっスか!
    
    じゃ次。
    
    ん~、それじゃあ、生き物の名前なんかについて いてみようかな。
    
    そいじゃセンセイ、クジラってのは、どうして「クジラ」って名前になったんスか?

ご隠居:うむ。
    
    あれは 日本では昔 新潟にいがた付近の海で 見られた生き物でな、
    知ってのとおり背中からしおを吹く。
    そして そのしおを吹く時間というのが、
    毎日だいたい決まっておるのだ。
    
    朝、海面に 勢いよくブシューッとしおが吹き上がるのを見て 漁師りょうしが言う。
    
    「お、しおが上がった。そろそろ、九時くじら」。

八五郎:あ、しお 吹いて 漁師りょうし九時くじを知らせるから「クジラ」っスか!
    
    じゃあ、もししおを吹く時間が 五時だったら、「ゴジラ」になってたんスか?

ご隠居:そうだ。

八五郎:ホントっスか!?
    
    じゃ次は……、
    
    ヒラメは どうして「ヒラメ」って名前なんスか?

ご隠居ひらたい体に 目が付いておるから「ヒラメ」だ。

八五郎:あ そっか。そりゃ分かりやすいスね。
    
    あ、でも、カレイは どうなんスか?
    あれもひらたい体に 目が付いてんのに、なんで「カレイ」なんスか?

ご隠居:あれはヒラメと似ているようで、
    実はヒラメとは身分が違うのだ。

八五郎:身分?

ご隠居:うむ。ヒラメはカレイより 身分が上なのだ。

八五郎:そうなんスか!?

ご隠居:さよう。カレイは、ヒラメの屋敷やしきつかえておった。
    
    つまりヒラメのいえ家令かれいを勤めておるから、「カレイ」だ。*家令……執事みたいなもの。

八五郎:ホントっスか!
    
    じゃ次は、たいは なんで「タイ」なんスか?

ご隠居:あの魚は 決して1匹では泳がん。
    タイして泳ぐから「タイ」だ。

八五郎:なるほど、タイして泳ぐから「タイ」スか。

ご隠居:さよう。
    
    先頭を泳ぐのが「鯛長たいちょう」。
    
    群れから はぐれてわるさをする タチの悪い連中が「愚連鯛ぐれんたい」だ。

八五郎:ホントっスか!
    
    じゃ次は、マグロは なんで「マグロ」なんスか?

ご隠居:あの魚も大きな群れをして泳ぐ。
    大群で泳ぐ姿を 遠くから見ると、真っ黒なかたまりに見える。
    よって「真っ黒」と呼んでいたのが、そのうちに つづまって「真黒マグロ」となったのだ。

八五郎:はあ、マックロだからマグロ。
    
    え、でも、マグロの切り身は赤いスよ?

ご隠居:どこのマグロが 切り身の状態で泳いでおるか。

八五郎:あ そっか。それもそうスね。納得。
    
    じゃ 「コチ」なんて魚はどうスか?

ご隠居:こっちへ向かって泳いでくるから 「コチ」だな。

八五郎:いやいや、ずっと一方向いちほうこうにだけ泳ぐワケにゃいかねえでしょ。
    逆方向に泳ぐこともあるでしょ?

ご隠居:そういう場合は 貴様のほうで向こうに回ればよかろう。
    そうすれば貴様から見たら こっちへ泳いでくることになる。

八五郎:ああ なるほど、たしかに。
    
    じゃ「ホウボウ」って魚はどうスか?

ご隠居:あの魚は いろいろな海域かいいき分布ぶんぷし、また浅瀬あさせから深海しんかいまで、生息域せいそくいきが幅広い。
    限られた特定の場所ではなく、方々ほうぼうで見ることのできる魚だから、「ホウボウ」だな。

八五郎:なるほど、方々ほうぼうにいるから「ホウボウ」。
    
    じゃ ウナギはどうスか?

ご隠居:ふむ、ウナギか。
    
    あれは ヌルヌルしておるので、はるか昔には「ヌル」と呼ばれておった。

八五郎:へぇ、ヌルヌルしてるから「ヌル」。分かりやすいっスねぇ。
    なのに どうして「ウナギ」なんて名前になったんスか?

ご隠居という鳥がいる。

八五郎:いや あの、センセイ、あっしはウナギをいてんスけど。

ご隠居:分かっておる。
    
    物事ものごとには順序というものがある。黙って聞け。

八五郎:はあ……。

ご隠居という鳥がいる。魚を丸飲みにする習性のある鳥だ。
    
    ある時、が ヌルを飲み込もうとしておった。
    ところがヌルは 長い体を持っておるため、
    が飲み込もうとしても なかなかのどを通ってゆかず、
    飲み込むのに たいそう難儀なんぎをした。
    
    つまり、が飲み込むのに難儀なんぎをしたので、「難儀なんぎ」、
    そこから 「難儀なんぎ」、「難儀なんぎ」、「ウナギ」となったのだ。

八五郎:あ、難儀なんぎして、「難儀なんぎ」で「ウナギ」。なるほど。
    
    あの、ウナギを裂いて 串に刺して タレつけて焼いたのを「カバ焼き」って言うでしょ?
    あれは なんで「カバ焼き」って言うんスか?「ウナギ焼き」でいいと思うんスけど。

ご隠居:ウナギにタレをつけて焼くと 馬鹿に美味うまいからだ。

八五郎:は?何言ってんスか?
    バカに美味うまいんなら、「バカ焼き」じゃねえんスか?。
    バカに美味うまいのに「カバ焼き」じゃあ、ひっくり返ってるじゃねえスか。

ご隠居:ひっくり返さねば げてしまうだろう。

八五郎:あ、焼き方の問題スか!
    バカに美味うまいから 「バカ焼き」だけど、焼いてる途中で
    げないように ひっくり返すから「カバ焼き」。なるほど。
    
    ……だんだんワケが分からなくなってきたなぁ。
    
    生き物の名前は このくらいにしといて……
    
    じゃ次は 物の名前にしてみようかな。
    
    そうだなぁ……、
    
    じゃセンセイ、ここにある この土瓶どびんは、なんで「土瓶どびん」なんスか?

ご隠居土瓶どびんつちで できておるから、「つちびん」と書いて「土瓶どびん」だ。

八五郎:なるほど、「つちびん」と書いて「土瓶どびん」。
    
    じゃ 鉄瓶てつびんは?

ご隠居鉄瓶てつびんてつで できておるから「鉄瓶てつびん」だ。

八五郎:あ、てつで できてるから「鉄瓶てつびん」。そりゃそうスね。
    
    じゃあ、ヤカンは?

ご隠居:ヤカンは 矢で できて――、おらんな。

八五郎:ですよねえ。ヤカンは いろんな物で できてるって聞きますよ?
    鉄でできてるヤツもあれば、銅でできてるヤツもある。
    真鍮しんちゅうもあれば アルミとかステンレスとか。
    アルマイトなんてのも聞きますね。あと琺瑯ほうろうなんかもでしょ?
    
    「つちでできてるから土瓶どびん」、「てつでできてるから鉄瓶てつびん」なんてのは 分かりやすかったけど、
    これは そんなふうには いかねえスよ?
    
    さあセンセイ、ヤカンは なんで「ヤカン」なんスか?

ご隠居:えー、ヤカンは、昔は「ヤカン」とは言わなかった。

八五郎:へえ。何て言ったんスか?

ご隠居:「水沸みずわかし」と言った。

八五郎:水沸みずわかし?そりゃ おかしくねえスか?
    それを言うなら「湯沸ゆわかし」でしょ?

ご隠居:おかしいのは貴様のほうだ。
    
    「湯」とは「すでに沸いている水」だ。
    沸いている物を さらに沸かして どうする。
    
    「水を沸かして湯にする」のだから、「水沸みずわかし」で正しい。
    そうだろう?

八五郎:はあ、言われてみりゃあ、そうスねぇ。
    
    じゃ その「水沸みずわかし」が、なんで「ヤカン」になったんスか?

ご隠居:うむ。
    
    水沸みずわかしは その昔 戦国の世において、いくさ最中さなか
    生水なまみずを沸かして飲むために、陣中じんちゅう常備じょうびしてあった物だ。

八五郎:なるほど、のどかわいたからって ヘタに生水なまみず 飲んで、
    腹ァくだしたら 大変スもんね。

ご隠居:いかにも。
    
    さて、時は永禄えいろく4年。
    世に言う「川中島かわなかじま合戦かっせん」にいての出来事だ。

八五郎:おや?
    
    センセイ、国語の授業かと思ってたら、急に歴史の授業になったんスか?
    
    川中島の合戦ね。有名なんで、あっしでも知ってますよ。
    武田信玄たけだしんげん上杉謙信うえすぎけんしんが戦ったってヤツでしょ?

ご隠居:さよう。
    
    
    かたや 「甲斐かいとら」こと、
    武田たけだ  みなもとの朝臣あそん  信濃守しなののかみ  晴信はるのぶ  入道にゅうどう  徳栄軒とくえいけん 信玄しんげん
    
    対するは 「越後えちごりゅう」こと、
    関東管領かんとうかんれい  上杉うえすぎ  弾正少弼だんじょうしょうひつ  輝虎てるとら  入道にゅうどう  識庵しきあん 謙信けんしん

八五郎:……何スか それ?おきょう

ご隠居:おきょうではない。これは、武田信玄と上杉謙信の名前だ。

八五郎:名前!?そんななげえのが!?
    勘弁してくださいよ。
    もっと 短くスッキリ てっとり早くならねえスか?

ご隠居:ふむ。短くスッキリ てっとり早く言うなら――
    
    タケシンとウエケンだ。

八五郎:ずいぶん短くなったもんスね。
    
    で、タケシンとウエケンが どうしたんスか?

ご隠居:川を挟んで 両軍が対峙たいじしていた。
    
    ある 雨の激しい夜のことだ。
    「こんな嵐の日に 敵襲てきしゅうは無いだろう」と油断していた上杉の陣中じんちゅうへ、
    深夜、武田軍が夜襲やしゅうを掛けた。
    
    さあ 不意を突かれた 上杉軍は、上を下への大騒ぎだ。

八五郎:さすが信玄!策士っスねえ!

ご隠居:さて そんな大混乱の上杉軍の中に、ひとりの若武者わかむしゃがいた。
    騒ぎを聞きつけ ガバッと跳ね起き、すぐさまいくさ支度じたくに 取り掛かった。
    よろいを身に着け かたなを差し、さあかぶとをと思ったが、なんと いつも置いてある所に かぶとが無い!
    どうやら 混乱の中、誰かが 間違えて 持って行ってしまったらしい。
    かぶとなくしていくさに出るは むざむざ死にに行くも同じ。
    困った若武者わかむしゃ、何かかぶとの代わりになる物は無いかと あたりを見回したところ――
    
    そこに ひとつの 水沸みずわかしがあった。

八五郎:え、まさか――

ご隠居:いかにも さよう、そのまさか。
    
    中の水をば ガバッと捨てて、その水沸みずわかしを 頭にかぶると、馬にまたがり出陣した。
    さんじゃくすん大刀だいとうを振りかざして 敵勢てきぜいの中へおどんだ若武者わかむしゃ
    そのはたらきは目覚ましく、雲霞うんかのごとくむらがる敵を、バッタバッタとたおす。
    まさに八面六臂はちめんろっぴの活躍だ。

八五郎:へー、すごいもんスねえ。
    よっぽど強かったんスね、その若武者わかむしゃ
    頭に水沸みずわかしさえ かぶってなけりゃ、かっこよかったのになぁ。
    
    で、どうなったんスか?

ご隠居:それを見た武田軍のたいちょう、驚いて叫んだ。
    「水沸みずわかしの化け物 現れたり!」
    そして手勢てぜいの者どもに向けて叱咤しったした。
    「誰か あの化け物を討つ者はおらぬか!討った者には褒美ほうびを取らすぞ!」。
    
    これを聞いて 進み出たのが、誰あろう、当代一とうだいいちの弓の名手・那須なすの与一よいち宗隆むねたか

八五郎:いやいやいやいや。ちょっと待ってくださいよセンセイ。
    あのねぇ、いくら あっしがバカだからって、いい加減なこと言っちゃダメっスよ。
    あっしは 国語は からっきしだけど、歴史は いくらか得意なんスから。
    
    知ってますよ?那須与一なすのよいちってのは、源平げんぺいの頃の人でしょ?
    時代が全然 違うじゃねえスか。
    なんで それが川中島の合戦に出て来るんスか。

ご隠居:そうやって短絡的に物を考えるから、貴様は愚者ぐしゃだというのだ。
    川中島の話に出て来た那須与一なすのよいちを、誰が 源平げんぺい時代の那須与一なすのよいちと 同一人物だと言った?

八五郎:え??違う人なんスか??

ご隠居:当たり前だ。

八五郎:え、でも、同じ名前なんでしょ?

ご隠居:それがどうした。
    
    たまたま同じ名前だっただけだ。

八五郎:そんなこと あるんスか!?

ご隠居:同姓同名など、たいして珍しくもないだろう。
    
    貴様は、かつてプロ野球の 日本にっぽんハムファイターズに、
    「田中幸雄たなかゆきお」という名前の選手が 同時期に2人 いたことを知らんのか。

八五郎:知らねえスよ そんなこと!

ご隠居:なにしろ 字も読みも同じだから紛らわしくてな。
    そこで背の高いほうを「おおユキ」、低い方を「ユキ」と呼んで 区別しておってな――

八五郎:ハイハイもういいスよ その話は。
    
    ……わかりましたよ、同姓同名だったんスね。
    で?どうなったんスか?

ご隠居陣頭じんとうへ立った那須与一なすのよいち滋籐しげどうの弓に 矢をつがえ、
    キリリと引き絞ると、ヒュッとばかりに切って放った。
    
    矢は 若武者わかむしゃの頭めがけて 飛んで行き、
    かぶとがわりの水沸みずわかしに命中すると、「カーン!」と鳴って はね返された。
    
    負けじと与一よいち二度にど 三度さんどと 立て続けに 矢を放つが、
    そのたびに水沸みずわかしが カーン カーンと はね返す。
    
    つまり、矢が当たってカーン!
    矢が当たってカーン!
    矢、カーン!
    矢カーン!
    
    というわけで、「ヤカン」となった。

八五郎:それでヤカンになったんスか!
    
    いやー なげえ話だった……。
    
    あ、でもセンセイ、今の話、まだ分からねえ事が あるんスけど。

ご隠居:なんだ?

八五郎:いや、かぶとの代わりに 水沸みずわかしを 逆さに かぶったって言いますけど、
    取っ手の部分が 邪魔になりませんか?

ご隠居:取っ手は アゴに掛ければ、の代わりになるだろう。

八五郎:あ、なるほど、の代わりね。
    
    そいじゃ フタは どうしたんスか?

ご隠居:フタは、ポッチの部分を口にくわえて、面の代わりにした。

八五郎:あ、なるほど、顔を守るためにね。
    
    じゃ 湯が出る口はどうです?
    ニョキっとえてて邪魔だし、あんな穴、らねえでしょ?

ご隠居:当時のいくさでは 「名乗り」というものがあったからな。
    それを聞くために、穴が開いているほうが都合がい。

八五郎:ああ、なるほど。
    
    でも、逆さに かぶったら、穴が 下向いちゃいますよ?

ご隠居:その日は 雨が激しかったと言っただろう。
    穴が上を向いておったら、雨水が全部 耳に入って来て
    大変な事になるではないか。

八五郎:そっか、なるほど。
    
    あ、でも、片っぽにだけ、その穴があるのは どうなんスか?
    だって耳は2つでしょ?なのに、片っぽには ニョキっとえてて、
    もう片っぽはたいらじゃあ、釣り合いが取れなくて不便じゃねえスか?

ご隠居たいらなほうは、陣中じんちゅう武装ぶそうしたまま 仮眠を取る際、枕を当てるほうだ。

八五郎:なるほど、枕を当てるのに邪魔にならねえように、片っぽはたいらなんスか。
    
    いやセンセイ、よく分かりやりした。ありがとうごぜえます。

ご隠居:うむ。知識はともかく、全体的に 聞き分けのい生徒であったぞ。

八五郎:はあ、なんかめられてんのか どうか よく分かんねえスけど……。
    
    いやー、でも 時間を掛けて教えてもらったせいか、
    やたらヤカンに詳しくなったような気がするなぁ。
    
    さて、そいじゃ 今日は このへんで。
    また勉強さしてもらいに来ますんでね、センセイ。

ご隠居:うむ。
    
    では次は 日が暮れてから 来るがい。

八五郎:日が暮れてから?
    
    どういうワケで?


ご隠居:これがホントの、やかん学校だ。※「夜間学校」のシャレ。



おわり


その他の台本                 


参考にした落語口演の演者さん(敬称略)


春風亭一之輔
桂文治(10代目)
三遊亭圓生(6代目)
三遊亭金馬(3代目)
春風亭柳朝(5代目)
柳家小せん(5代目)



■各語の語源あれこれ
 オンラインの語源由来辞典・国語辞典・wikipedia等を中心に調べてみました。
 1つの言葉でも、その成り立ちには様々な説があるようです。


●餡ころ餅
 ①餡が衣のように餅をくるんでいるので「餡衣餅(あんころももち)」と呼ばれ、「ころも」の「も」が省略されて「餡ころ餅」となった。
 ②餅に餡をつける際、あずき餡の中で餅を転がすから。
  ※餡ころ餅は、「餡転餅」と表記されたり、「餡ころばし餅」と呼ばれたりすることもある。
 ③「餡ころ餅」の「ころ」は、「石ころ」「犬ころ」「さいころ」等、小さい物・丸い物・ころころした物に添えられる「ころ」である。


●月とすっぽん
 ①「丸い」という共通点を持つ二者を比べた物。(すっぽんは「まる」とも呼ばれ、すっぽん料理のことを「まる料理」と言うこともある)
  また、このときの「月」は水に映った月だという説もある。
 ②「月と朱盆(しゅぼん)」が訛ったもの。
 ③「月と素盆(すぼん)」が訛ったもの。


●河童の屁
 ①水中での屁は勢いが無いから。
 ②「木っ端の火(こっぱのひ)」が訛ったもの。


●猫も杓子も
 ①「禰子(ねこ)も釈氏(しゃくし)も」。「禰子」は「神主」、「釈氏」は「僧侶」のこと。
 ②「女子(めこ)も弱子(じゃくし)も」。「女子」は「女性」、「弱子」は「子供」のこと。
 ③「寝子(ねこ)も赤子(せきし)も」。「寝子」は「寝る子」、「赤子」は「赤ん坊」のこと。
 ④「杓子」は「しゃもじ」のことで、主婦が使う物であることから「主婦」を表し、「猫も主婦も家族総出で」という意味。
 ⑤猫はどこにでもいる動物、杓子は毎日使う物で、どちらも「ありふれた物」ということから。
 ⑥一休さんが言った説。
  一休宗純の説話集『一休咄』に、次のような一説がある。
  「生まれては 死ぬるなりけり おしなべて 釈迦も達磨も 猫も杓子も」
  この「猫も杓子も」は語呂が良かっただけで深い意味は無いのだとか。


●クジラ
 ①「クロシラ(黒白)」が転じたもの。「黒白」なのは、「皮膚は黒く 中の肉(脂肪?)は白いから」、または「背は黒く、腹は白いから」。
  そういえば葬儀等で使われる白黒の幕を「くじら幕」と言いますね。
 ②「ニクジロ(肉白)」の「ニ」が脱落して訛ったもの。
 ③「クシシラ」が転じたもの。「ク」は「大きい」を表す朝鮮古語。「シシ」は「獣」のこと。「ラ」は名詞を作る接尾語だそうです。
 ④「クシシシ(奇し獣)」が転じたもの。「珍しい生物」という意味と、「獣(シシ)」には「獣の肉」という意味もあるので、「珍しい食材」という意味もあるのかも。
 ⑤「クチビロ(口広)」の短縮「クチロ」が転じたもの。口が大きいから。
 ⑥「クジリ(久慈理)」が転じたもの。常陸国(ひたちのくに)に久慈理(くじり)という丘があり、その形がクジラの背中に似ていたから。

 他にもいくつかあるようです。


●ヒラメ
 ①平たい体に目が付いているから。
 ②「メ」は、「ヤマメ」「アイナメ」等と同じく「魚」を表す語なので、単に「平たい魚」という意味。


●カレイ
 ①「カラエイ」が転じたもの。昔はエイの仲間だと思われていたそうです。
  「カラ」は「(韓(から)=朝鮮)でよく獲れる」という説と「枯れ葉のような体色」という説がある。
 ②「カタワレイオ(片割魚)」が転じたもの。ある魚が2つに裂けて、目のあるほうがこの魚だという中国の伝説から。
  カレイはその目で、片割れである目の無いほうを探しているのだとか……。


●タイ
 「タイラ(平ら)」から。昔の文献には「平魚」と書かれているのだとか。ヒラメやカレイのほうが平らだと思いますけどね。

●マグロ
 ①目が黒いから。目黒/眼黒(メグロ)→マグロ。
 ②背が黒く、泳ぐ姿が真っ黒な小山に見えたことから。
 ③常温で時間が経つと、体色が黒くなることから。


●コチ
 「コツ(笏)」から。「笏」は神主が持つ「笏(しゃく)」のことで、それに形が似ていることから。

●ホウボウ
 ①脚のような胸ビレを使って這うように移動することから、「這う這う」が転じたもの。
 ②方々を這うように移動することから。
 ③ウキブクロを使って「ボウボウ」という音を出すことから。 
 ④↑の音が方々に響き渡ると言われていたことから。


●ウナギ
 もともとは「むなぎ」と呼ばれていた。
 ①「む」は「身」を表し、「なぎ」は「長い」を表す。体が長いから。
 ②胸が黄色いので「胸黄(むなぎ)」。
 ③家を建てる際、屋根のてっぺんに横に渡す部材「棟木(むなぎ)」に似ていることから。


●カバ焼き
 ①もともとはウナギの身を開かずに串に刺して焼いており、その見た目が「蒲の穂(がまのほ)」に似ていたことから「がま焼き」と言い、それが転じたもの。
 ②焼きあがった色や形が「樺の木(かばのき)」に似ていたことから。
 ③焼いている香りがたちまち伝わることから、「香(か)」が「疾(はや)い」→「香疾(かばや)」→「香疾焼き(かばややき)」が 転じたもの。
 ④焼くと かんばしい香りがするので「かんばしい焼き」となり、それが縮まったもの。
 ⑤「蒲鉾焼き(かまぼこやき)」という料理と混同され、縮まったもの。


●やかん
 もともとは、薬を煮出すために用いられていたので「薬鑵(やっかん/やくかん)」と呼ばれており、それが縮まった。
 「鑵」は「金属製の容器」という意味の漢字。

 


何かありましたら下記まで。
kurobekio@yahoo.co.jp

inserted by FC2 system