声劇台本 based on 落語

千早振るちはやふる


 原 作:古典落語『千早振る』
 台本化:くらしあんしん


  上演時間:約20分


【書き起こし人 註】

古典落語をベースにしていますが、あくまでも"声劇台本"として作成しています。
なるべく声劇として演りやすいように、元の落語に様々なアレンジを加えている場合があります。

アドリブ・口調変更・性別転換 等々OKです。



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<登場人物>

八五郎はちごろう(セリフ数:70)
 ?歳。
 通称「はっつぁん」。
 職人で、あまり学があるとは言えない。
 娘がひとりいる。
 その娘に和歌の意味を尋ねられ、困って物知りのご隠居に教えを請いに来た。
 一人称は「あっし」。



ご隠居(セリフ数:70)
 ?歳。
 町内で 物知りとして通っている ご隠居さん。
 とはいえ何でも知っているわけではなく、中途半端な物知り。
 なまじ物を知っているだけに、知らないことを素直に「知らない」と言えず、
 知ったかぶりをしてしまうこともしばしば。
 一人称は「私」。



<配役>

・八五郎:♂

ご隠居:♂



【ちょっと難しい言葉】※クリックすると開いたり閉じたりします(ブラウザによっては機能しません)
    在原業平(ありわらの なりひら)
    平安時代の歌人。六歌仙のひとり。

    はばかり
    トイレのこと。

    三役(さんやく)
    相撲で、大関・関脇・小結の総称。

    断ち物(たちもの)
    神仏に願を掛け、自分の好きなものを一定の期間やめること。

    花魁道中(おいらんどうちゅう)
    位の高い遊女がなじみ客を迎えるために美しく着飾って遊郭の中を練り歩いたこと。

    清掻き(すががき)
    歌がなく、三味線だけで奏でる音曲。

    入山形に二ツ星(いりやまがたに ふたつぼし)
    遊女を等級分けした案内書「吉原細見」の中で、最高級の花魁に付けられた印。

    松の位(まつ の くらい)
    遊女の最高の地位。

    全盛(ぜんせい)
    いちばん盛んな時期。

    あちき
    遊女がもちいたとされる一人称。「わちき」とも。

    妹女郎(いもうとじょろう)
    妹分の女郎。後輩の女郎。

    夕まぐれ(ゆうまぐれ)
    夕方のうすぐらいこと。ゆうぐれ。

    そぼろ
    ぼろぼろに乱れた衣服。

    卯の花(うのはな)/おから
    豆腐の絞りかす。卯の花とおからは同じもの。

    了見(りょうけん)
    考え。思案。

    灯芯(とうしん)
    あんどん・ランプなどの芯。綿糸などをより合わせて作る。

    前非(ぜんぴ)
    過去におかした過ち。




ここから本編




八五郎:こんちはァ。
    ご隠居、いますか?

ご隠居:おお、誰かと思ったらっつぁんじゃないか。
    どうしたんだい?

八五郎:いやぁ、今日はちょいと、ご隠居にたずねてえ事が ありやして。

ご隠居:ほう、私にたずねたい事?

八五郎:そうなんスよ。
    ご隠居は、ものをよく知ってるでしょ?
    なんたって、町内で いちばんの物知りだからね。

ご隠居(持ち上げられて まんざらでもない)
    ん?ああ、まあ そうだな。
    自慢するわけじゃないが、まぁ長く生きてる分、
    お前さんたちよりも ものは知ってるだろうね。
    
    ま、お前さんたちに何をたずねられても、
    返答に困るという事は まず ないだろう。
    
    さ、なんでも答えてあげよう。
    何が聞きたいんだい?

八五郎:へい。
    あの、あっしん所に、娘が1人いるんですがね。

ご隠居:あぁ、こないだ見かけたよ。
    ちょっと見ない間に ずいぶんと大きくなったねえ。
    
    顔も お前さん そっくりになってきたなぁ。
    
    ……気の毒に。

八五郎:なんてこと言うんスか。
    
    いや、それでね、その娘が最近、
    みょうなモンにっちまいやがって……。

ご隠居:妙なもの?

八五郎:そうなんスよ。
    
    ホラ、あるでしょ?
    目の前に、ふだをバラバラっと並べて、
    それを みんなで取り合うっていう……

ご隠居:あぁ……それは いかんな……。
    
    花札かい。

八五郎:そうそう花札――いや違いますよ。
    花札は あっしがやるんスよ。
    
    そうじゃなくて、あの……、
    
    ホラ、ひとり仲間はずれのヤツがいて、
    そいつが、こう、妙~な 声と調子で、
    「ナントカの~ ナントカカントカ ナントカで~~」
    なんて 歌ァ うたって、
    
    そしたら、そいつを合図に みんながウワーッと
    ふだむらがるっていう ワケの分からねえ遊び、あるでしょ?

ご隠居:ああ、それは小倉山おぐらやま百人いっしょ・・・・・・だな。

八五郎:おぐらやまの百人いっしょ?

ご隠居:うむ。
    
    昔 小倉山おぐらやまという山のてっぺんで、
    100人の人が一緒に歌をんだから、
    小倉山おぐらやまの百人いっしょと言うんだな。

八五郎:へぇ、そうなんスか。
    
    で、その、100人だか 何人なんにんだか知らねえけど、
    その中に1人、イイ男がいるって話で。

ご隠居:いい男?
    
    ふむ、百人いっしょの中の いい男といえば、
    在原業平ありわらのなりひらだな。

八五郎:そう!その ナントカのナントカ!

ご隠居:ありわらの なりひら。

八五郎:長ったらしくて ややこしい名前スねぇ……。
    まあ名前は いいんスよ。
    その、ナリヒラ?の歌……、どんなのでしたっけ?

ご隠居千早ちはやふる 神代かみよかず 龍田川たつたがわ 
    からくれないに 水くぐるとは

八五郎:そう!それ!
    
    いやぁ、さすがご隠居、よく知ってらぁ。

ご隠居:この歌が どうかしたのかい?

八五郎:そうなんスよォ。
    
    いやね、さっき あっしが仕事から帰って来たら、
    娘のヤロウが駆け寄って来て、
    この歌の意味を教えてくれだなんて言うんスよ!
    
    んなこと急に言われたって、知るわけねえじゃねえスか。
    かと言って「分からねえ」なんて言っちまったら、
    親の威厳いげんに関わるんでねぇ。
    
    だから娘にね、
    「ちょっと待て。
     おっつぁん仕事から帰ったばかりで、
     今ちょっとはばかり・・・・ 行きてえんだ。    ※はばかり・・・トイレのこと。
     出たら教えてやるから、ちょっと待ってろ」。
     そう言って、はばかり入ったんスよ。
    
    まぁ しばらくここでジーっとしてりゃあ、
    あいつもそのうちあきらめて帰るだろうと思ってたんスけどね。
    よくよく考えたら ウチの娘ですからね、帰るわきゃねえんスよ。

ご隠居:当たり前じゃないか。

八五郎:そうなんスよ、嫁に行くまでウチにいるんスよ。
    
    いくらなんでも 娘が嫁に行くまで はばかりで過ごすわけにゃ いきませんからね。
    はばかりの格子こうしはずして、どうにか出てきたってわけなんスよ。
    
    だからね ご隠居、この歌の意味を教えてもらわねえと、
    あっしはウチへ帰れねえんスよぉ。
    
    ねえご隠居、この歌いったい、どういう意味なんスか?

ご隠居(歌の意味と言われると、実はよく知らない)
    (でも八五郎の手前、知らないとは言えない)
    ふむ…………。なるほどねえ…………。
    
    つまり、お前さんは……、
    
    「千早ちはやふる 神代かみよも聞かず 龍田川たつたがわ からくれないに 水くぐるとは」
    
    この歌の、意味を、知りたいと……。

八五郎:そうなんスよ!教えてください!
    どういう意味なんスか?

ご隠居:ふむ……。なるほどねえ……。
    
    要するに お前さんは……、
    
    「千早ふる神代かみよも聞かず龍田川たつたがわ からくれないに水くぐるとは」
    という歌の、意味を、知りたいと……。

八五郎:だからそう言ってるじゃねえスか!
    どういう意味なんスか?

ご隠居:ふむふむ、なるほどねぇ…………。
    
    まあつまり……、要するに……、早い話が……

八五郎:ちっとも早くねえじゃねえスか!
    
    
    あれェ……?
    
    もしかすると、ご隠居も、この歌の意味、知らねえんスか?

ご隠居:ばッ……馬鹿なことを言うんじゃないよ。
    私が この歌の意味を知らないなんて、そんなことはないよ。

八五郎:じゃ教えてくださいよ。

ご隠居:わ、わかったよ……。
    
    ん~……、まぁ、まず「千早ちはやふる」。
    まず「千早ちはやふる」と来たなら、
    やはり自然と「神代かみよも聞かず」となる。
    となれば 物の道理から言って「龍田川たつたがわ」となるのは必然で、
    であるならば「からくれないに」となるのがことわりだ。
    さすれば「水くぐるとは」となるのは、
    もはやけがたい運命だと言わざるをえないな。

八五郎:いやいや……。
    
    なんだか難しそうな事 言ってますけど、
    それ、歌を 切れぎれに言っただけじゃねえスか。
    
    ちゃんと意味を教えてくださいよ!

ご隠居:うるさいねえ お前さんは……。
    
    わかったよ……。
    
    ええと……、
    
    「千早ちはやふる 神代かみよも聞かず 龍田川たつたがわ」……
    
    お前さん、この「龍田川たつたがわ」というのは、なんだと思う?

八五郎:いや、それが分からねえから聞きに来てんスよ。
    何なんスか?

ご隠居:あのねえ、分からないなら 分からないなりに 少しは考えてごらんよ。
    
    「川」の字が付くんだから、お前さん、これ 川の名前だと思うだろ?

八五郎:ああ、神田川かんだがわとか隅田川すみだがわとか言いますからねえ。
    
    じゃ龍田川たつたがわってのは、川の名前なんスか?

ご隠居:なんスかじゃないよ。
    私がお前さんにいてるんだ。
    
    龍田川たつたがわというのはお前さん、川の名前だと思うだろ?
    え?思うだろ?

八五郎:はあ……、まあ、思いますねえ。

ご隠居:それが畜生ちくしょうあさましさだ。

八五郎:なんだよ それ。
    そう思うように ご隠居が 仕向けたんじゃねえスか。
    
    川の名前じゃねえんスか?

ご隠居:違うな。
    
    やれやれ、「川」の字が付くからと言って、
    そのように造作ぞうさもなく 川の名前だと思うとは、
    いや実に そのおろかしさたるや、
    あきれ返って物も言えないな。

八五郎:ひどい言われようだねえ……。
    
    川の名前じゃねえなら、龍田川たつたがわってのは何なんスか?

ご隠居龍田川たつたがわというのはな、相撲取すもうとりの名前だ。

八五郎:へえ~相撲取すもうとりスか。
    あんまり聞いたことねえ名前だなぁ。

ご隠居:そりゃあそうだ。
    今の力士じゃない。
    何百年も昔に活躍した力士だ。

八五郎:へえ。

ご隠居ては 大関おおぜきの地位にまでのぼり詰めた 立派な力士だった。

八五郎:大関おおぜき!そりゃ大したもんスねえ!  ※昔は大関が最高位だった。

ご隠居:だが最初から強かったわけじゃない。
    
    相撲取すもうとりになったからには 何とかして
    三役さんやくになりたいと 稽古けいこに明け暮れたが、
    厳しい世界だ、まわりには強い力士がゴマンといて、
    並大抵なみたいていのことでは出世も覚束おぼつかない。
    
    そこで龍田川たつたがわは、ものをした。

八五郎:ああ!なんか聞いたことがあるねえ。
    昔の人はよくやったらしいスね。
    茶断ちゃだちとか塩断しおだちとか。

ご隠居:うむ、お前さんにしてはよく知ってたね。
    
    だが 茶断ちゃだちでも塩断しおだちでもない。
    
    だいいち相撲取すもうとりが塩をってどうするんだ。
    塩をったからって 砂糖まいて土俵入りなんてしてごらんよ、
    土俵の上がアリだらけになるだろ?

八五郎:別に砂糖まくこたァねえと思いますがね。

ご隠居茶断ちゃだちや塩断しおだちなんて生易なまやさしいもんじゃない。
    
    龍田川たつたがわは、女をったな。

八五郎:女っスか!

ご隠居:そうだ。
    相撲すもうに限ったことじゃない、何の修行においても、
    女にうつつを抜かすというのが いちばん良くない。
    
    さて女断おんなだちをした龍田川たつたがわ
    それからは女に目もくれないどころか
    メス猫1匹 ひざに乗せることもなく、
    一心不乱いっしんふらん相撲すもうの修行に明け暮れた。
    
    その努力の甲斐あって、3年つかたないうちに、
    みごと大関おおぜきにまでのぼり詰めた。

八五郎:3年も女をってねぇ……。
    
    いやぁ、あっしにゃあ考えられねえなぁ。

ご隠居:そうだろうな。
    
    お前さんじゃ、3年どころか、
    3日と もたないだろうなぁ。

八五郎:ほっといて下さいよ。

ご隠居:さて、めでたく出世を果たした龍田川たつたがわ
    
    大関おおぜきともなれば 人気も うなぎのぼりだ。
    
    ある日のこと、贔屓筋ひいきすじから、吉原よしわらへ行かないかと 誘いを受けた。
    これまでだったらことわっていた龍田川たつたがわだが、晴れて大関おおぜきとなった今、
    もうがんほどきをしてもよかろうと言うことで、贔屓ひいきしゅうに連れられて、
    吉原よしわら夜桜見物よざくらけんぶつに出かけた。
    
    当時の吉原よしわら、それはもう大変なにぎわいだ。
    そこへもってきて、おりしも花魁おいらん道中どうちゅうだ。
    
    清掻すががきという三味線のに乗って、次から次へと美人ぞろいの花魁おいらんが出てくる。
    第一番に何屋なにやのなにがし、第二番に何屋なにやのなにがし。
    先を争い 負けず劣らず、いずれも非の打ちどころのない艶姿あですがただ。

八五郎:へえ~!いい女ばかりなんスか!

ご隠居:いかにも。いずれ劣らぬ美女ぞろいだ。
    
    さあ そこで、第三番目に出てきたのが、誰あろう、
    入山形いりやまがたふたぼしまつくらい太夫職たゆうしょく
    当時、かのさとで 飛ぶ鳥を落とす勢いを誇っていた
    全盛ぜんせい花魁おいらん千早太夫ちはやだゆう その人だった!

八五郎:千早太夫ちはやだゆう

ご隠居:そうだ。
    
    この千早太夫ちはやだゆうの美しいことと言ったら……、
    さながら夜中の はばかりだ。

八五郎:美しいってわりに 例えが汚ねえなぁ……。
    どういうことスか?

ご隠居:目が覚める。

八五郎:くっだらねえ……。

ご隠居:さあ龍田川たつたがわ、この千早太夫ちはやだゆうを一目見るなり、
    体がブルブルっと震えた。

八五郎:震えましたか。

ご隠居:震えたね。
    その震えが 三日三晩みっかみばん 止まらなかった。

八五郎:ほォ……。
    
    やっぱりマラリアで。

ご隠居:そうじゃないよ……。
    
    男というものは、の当たりにした女が あまりにも美しすぎると、
    思わず体が震えるものなんだ。
    
    お前さん、女を見て震えたことは ないかい?

八五郎:あっしは ないスねぇ。
    ご隠居は、あるんスか?

ご隠居:ある。

八五郎:誰見て震えるんです?

ご隠居:ウチの女房。

八五郎:美しすぎて?

ご隠居:恐ろしすぎて。

八五郎:何だいそりゃあ……。

ご隠居:さて龍田川たつたがわ
    「あぁ世の中には いい女がいるものだ。
     男と生まれたからには、あんないい女と、
     たとえ一晩でもいいから、しみじみと
     さかずきのやり取りをしてみたいものだ」。
    そう言うと、御贔屓筋ごひいきすじが、
    「なあに大関おおぜき花魁おいらんなんてのは売り物買い物。
     金さえ積めば 造作ぞうさもないこと」。
    そう言うので 掛け合ってみたんだが……。
    
    千早太夫ちはやだゆういわく、
    「あちきはゆえあって相撲取すもうとりはイヤでありんす」
    と、こうきた。

八五郎:ありゃ、フられちまったのかい?

ご隠居:そうだ。
    
    龍田川たつたがわ幾度いくども通い詰めたんだが、結局フられどおし。
    
    と、千早太夫ちはやだゆう妹女郎いもうとじょろう神代太夫かみよだゆうと言うのがいてな。
    「なにも千早ひとりが花魁おいらんじゃない」
    と言うことで、この神代太夫かみよだゆうにも掛け合ったんだんだが…。
    
    「ねえさんがイヤなものは、あちき・・・もイヤでありんす」
    と言って、これも言うことを聞いてくれなかった。

八五郎:なんだい、また振られちゃったのかよ……。
    そりゃガッカリだねえ……。

ご隠居:そう、ガッカリだ。
    
    ガッカリした龍田川たつたがわ、相撲を辞めて
    田舎で豆腐屋になった。

八五郎:ちょちょちょ……!
    急展開スねぇ。
    
    なんでいきなり豆腐屋になったんスか?

ご隠居:なったっていいじゃないか。
    人間、なりたいと思えば何にでもなれるんだ。

八五郎:いやいや、それにしたって、
    豆腐屋ってのは どこから出てきたんスか?

ご隠居:うむ。実は、龍田川たつたがわの実家が豆腐屋だったんだな。

八五郎:あ、龍田川たつたがわってのは、豆腐屋のせがれだったんスか。

ご隠居:そうだ。

八五郎:いや、それにしたってですよ?
    大関おおぜきまでのぼり詰めた力士でしょ?
    
    いくら女にフられてガッカリしたからって、
    豆腐屋なんかに ならなくたっていいじゃねえスか。

ご隠居:うるさいねえお前さんは。
    
    いいじゃないか。
    当人が なりたいんだから、
    お前さんがとやかく言うことじゃないだろ?

八五郎:まあ、そりゃそうスけどねぇ……。

ご隠居:晴れて家業を継いで 豆腐屋になった龍田川たつたがわ
    年老いた両親に苦労をかけまいと一生懸命働いた。
    
    時のつのは早いもので、はや3年という月日つきひ
    夢のように流れ去ったのちの、ある日のゆうまぐれ。
    
    いつものように龍田川たつたがわが 仕込みの豆をいていると、
    そぼろ・・・を身にまとった女乞食おんなこじきが、
    竹の杖にすがってヨロヨロと歩いてきた。    ※そぼろ・・・ぼろぼろの衣服。

八五郎:色んな人が出て来るんスねえ……。

ご隠居:この女乞食おんなこじき、フラフラとした足取りで龍田川たつたがわの前にやって来ると、
    「お恥ずかしい話ですが、おとといから何も口にしておりませぬゆえ、ひもじゅうてなりませぬ。
     はなのお余りでもございましたら、どうぞお恵みくださいまし」   ※卯の花・・・おからのこと。
    蚊の鳴くような声で願い出た。
    
    もとより情け深い龍田川たつたがわ、「おやすいご用」と、
    大きな手で商売物しょうばいものおから・・・を ひとつかみすると、
    「さ、たんとお上がり」。
    差し出そうと見下ろす龍田川たつたがわ
    「おありがとうございます」。
    受け取ろうと見上げる女乞食おんなこじき
    
    互いに見交みかわす、顔と顔…………。

八五郎:いいねえ。互いに見交みかわす顔と顔なんてのは。
    色っぽくて、あっしは好きだねぇ。

ご隠居:好きだねぇなんて、ボーっと聞いてる場合じゃないよ。
    
    顔を見交みかわした2人、
    
    「貴様は……!」
    「あなた様は……!」
    
    双方そうほうが驚いた。

八五郎:驚いた?
    どうしたんです?

ご隠居:どうしたも こうしたも。
    
    この女乞食おんなこじきを、お前さん、誰だと思う?

八五郎:へ?
    
    んなもん分かるわきゃねえじゃねえスか。

ご隠居:分からないのも無理はない。
    
    誰あろう、これが3年前に龍田川たつたがわをフった、
    千早太夫ちはやだゆうれのてだ。

八五郎:ちょちょちょちょ!
    
    それは おかしいでしょ!

ご隠居:おかしいかい?

八五郎:おかしいスよ!
    
    だってそうでしょ?
    吉原よしわら全盛ぜんせいを誇った千早太夫ちはやだゆうが、
    なんで たった3年で乞食こじきになるんスか!

ご隠居:なったっていいじゃないか。
    人間、なりたいと思えば何にでもなれるんだ。
    とりわけ乞食こじきなんてのは一番なりやすい。
    お前さんだって 今からでもなれる。

八五郎:なりたくねえスよ。
    
    それにしたって全盛ぜんせい花魁おいらんが3年で乞食こじきって……、
    ちょっと信じらんねえけどなぁ……。

ご隠居:うるさいねえ お前さんは。
    
    いいじゃないか。
    当人がなりたいんだから、
    お前さんが とやかく言うことじゃないだろ?

八五郎:本当に当人が なりてえって言ったんスか……?

ご隠居:まぁとにかく、この女乞食おんなこじきが、
    3年前に龍田川たつたがわをフった 千早太夫ちはやだゆうだったわけだ。
    
    さあそこでっつぁん!

八五郎:なんスか?

ご隠居:お前さんなら、この時、おからをやれるかい?

八五郎:ん~。
    
    いやぁ、ちょいと恨みのある女ですからねぇ……。
    あっしなら やれねえかなぁ。

ご隠居:そうだろう。
    龍田川たつたがわも同じ了見りょうけんだ。
    
    「貴様のおかげで俺は 大関おおぜきを棒に振ったんだ!」
    そう怒鳴どなって、手に持っていたおからを
    ベシャっと地面に叩きつけた。
    
    そして女がおびえて逃げ出そうとすると、
    その肩先かたさきをドンと突いた。
    
    突いた方は 力自慢の元力士。
    突かれた方は 3日も物を食ってない、
    灯芯とうしんのようにせ細った女乞食おんなこじきだ。
    
    ふっ飛んだな。

八五郎:飛んだんスか。

ご隠居:飛んだ飛んだ、ふっ飛んだ。
    
    飛んだ先に土手どてがあった。
    もし この土手どてがなかったら、どこまで飛んで行ったか分からない。
    この土手どてにドーンとぶつかると、はね返って また戻って来た。

八五郎:ゴムまりみてえな女ですねえ。

ご隠居龍田川たつたがわの店の前に 大きな井戸があって、
    その横に、やなぎ古木こぼくわっていた。
    この柳の木にすがってヨロヨロと
    立ち上がった女乞食おんなこじき、もとい千早太夫ちはやだゆう
    前非ぜんぴいたものか、天をあおいで
    ハラハラと落涙らくるいおよんだかと思うと……、
    
    ドボーーン……!
    
    井戸の中へ身を投げた。

八五郎:へえぇ……、おもしろくなってきたねぇ。
    
    それから千早ちはや幽霊ゆうれい
    「うらめしや~」なんて言いながら、
    龍田川たつたがわ枕元まくらもとに出てくるんでしょ?

ご隠居:出ない。

八五郎:出ない?
    こっから怪談話かいだんばなしになるんじゃねえの?

ご隠居:ならない。

八五郎:じゃ どう続くんです?

ご隠居:どうも続かないよ。
    この話は これでおしまいだ。

八五郎:おしまい?
    
    んなバカな。
    それじゃ尻切れトンボだ。

ご隠居:何が尻切れトンボだ。
    
    いいかい?
    龍田川たつたがわ吉原よしわら千早太夫ちはやだゆうれたけど、
    フられたって言ったろ?
    龍田川たつたがわを、千早ちはやったんだ。  
    だから、千早ちはや だ。

八五郎:え!?
    
    ちょちょちょ……、え!?
    
    この話、あの歌の意味だったんスか!?

ご隠居:そうだよ。

八五郎:え、あ、そうだったんスか!
    いやぁ、あんまりなげえから、
    あっしはまた別の話かと思ってましたよ。

ご隠居:何を言ってるんだい。
    お前さんが歌の意味を知りたいと言うから 教えてやってるのに。
    しっかり聞いといてくれなくちゃ困るよ。
    
    いいかい?
    龍田川たつたがわ千早ちはやにフられたあと、
    妹女郎いもうとじょろう神代太夫かみよだゆうに掛け合ったけど、
    神代かみよもイヤだと言って、
    言うことを聞いてくれなかったろ?
    
    だから、神代かみよも聞かず 龍田川たつたがわとなるじゃないか。

八五郎:ああ、なるねえ!
    なるほどなるほど。

ご隠居:3年って女乞食おんなこじきとなった千早ちはや龍田川たつたがわの店先に立って、
    はな、つまりおから・・・をくれと言ったが、
    龍田川たつたがわは おからを くれなかったろ?
    
    だから、から くれないじゃないか。

八五郎:あ、おからをくれねえから からくれないスか!
    そりゃ ちょっと気が付きませんよぉ。
    
    じゃ、「水くぐるとは」ってのは?

ご隠居:最後に千早ちはやが井戸へ身を投げたじゃないか。
    どんな身軽な人間だって、井戸に飛び込めば
    一度くらいは水をくぐるだろ?
    
    だから水くぐるとはだ。

八五郎:はァ~なるほどねぇ……。
    井戸に飛び込んで「水くぐるとは」……

        
    ん――
    
    でも、ちょいとおかしくねえスか?

ご隠居:何がおかしいんだい?

八五郎:水をくぐるんなら、「水くぐる」で切りゃいいじゃねえスか。
    何なんスか?その、「水くぐるとは」のとわってのは。

ご隠居:お前さんも勘定高かんじょうだかい男だねぇ……。
    とわくらいのはしたは まけときなよ。

八五郎:イヤそうはいきませんよ。
    
    教えてください ご隠居、
    とわってのは、何なんスか!

ご隠居:とわ……とわ……?う~ん……
    とわと言うのは………………、
    
    
    おお!そうだ!
    
    よ~く調べてみたら、とわと言うのは、
    
    千早ちはやの本名だった。
  



おわり

その他の台本                 


参考にした落語口演の演者さん(敬称略)


三遊亭圓楽(5代目)
柳家小さん(5代目)
柳家小三治(10代目)
三遊亭小遊三
滝川鯉昇


何かありましたら下記まで。
kurobekio@yahoo.co.jp

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