声劇台本 based on 落語

天災てんさい


 原 作:古典落語『天災』
 台本化:くらしあんしん


  上演時間:約25分


【書き起こし人 註】

古典落語をベースにしていますが、あくまでも"声劇台本"として作成しています。
なるべく声劇として演りやすいように、元の落語に様々なアレンジを加えている場合があります。

アドリブ・口調変更・性別転換 等々OKです。



ご利用に際してのお願い等

・上演を公開される際は、観覧無料の媒体のみで行うようお願いします。
 観覧自体が無料であればかまいません。いわゆる「投げ銭システム」に代表されるような、リスナーから
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<登場人物>

・八五郎(セリフ数:111)
 通称「はっつぁん」。ガラが悪い。口が悪い。気が短い。喧嘩が好き。


・ご隠居(セリフ数:35)
 町内の物知り隠居。


紅羅坊べにらぼう 奈丸なまる(セリフ数:44)
 心学の先生。ご隠居の知り合い。心学を修めているだけあって、物腰が柔らかく丁寧。年齢設定は特になし。
 八五郎の受け答えに振り回されつつも、根気よく説いて聞かせる。ていうかなんでこんな名前なんでしょうね。



・通行人(セリフ数:3)
 紅羅坊 奈丸の住まいを八五郎に教えるだけの人物。


・熊さん(セリフ数:26)
 八五郎の友人。




<配役>

・八五郎:♂

・ご隠居/紅羅坊/通行人/熊さん:♂



【ちょっと難しい言葉】

離縁状(りえんじょう)
夫が妻を離縁する際、その旨を記して渡す書状。

了見(りょうけん)
考え。思案。

唐傘(からかさ)
割り竹の骨に油紙などを張り、柄をつけて ろくろで開閉できるようにした傘。

縮緬(ちりめん)
表面に細かい「しぼ」と呼ばれる凹凸のある絹織物。

長谷川町(はせがわちょう)
東京都にあった地名。大正13年の区画整理で旧田所町と合併して現在の堀留町2丁目になった。

新道(しんみち)
ここでは「三光新道」(さんこうじんみち)のことかと。
「三光新道」は、現・堀留町2丁目(旧長谷川町)にある三光稲荷神社の前の道だそうです。


心学(しんがく)
いわゆる「石門心学(せきもんしんがく)」。石田梅岩(いしだ ばいがん)を開祖とする倫理学の一派。心の修練に重きをおく学問。

打つ(ぶつ)
たたく。なぐる。 例)「二度も打(ぶ)った!オヤジにも打(ぶ)たれたことないのに!」

打擲(ちょうちゃく)
たたくこと。なぐること。ぶつこと。

若輩(じゃくはい)
年が若い者。また、未熟で経験が浅い者。

おこがましい
身の程しらずだ。差し出がましい。

端歌(はうた)
長唄(ながうた)などに対し、短い俗謡。三味線を伴奏として歌う。

下女/下男(げじょ/げなん)
どちらもそれぞれの性別の召使いのこと。

堀端(ほりばた)
堀のふち。

角店(かどみせ)
道の曲がり角にある店。

膏薬(こうやく)
動物のあぶらなどで薬を練り合わせた外用薬。

四里(より)
江戸時代の距離の単位「里(り)」は約4キロメートルだそうです。なので、四里は約16キロメートルですかね。

馬の背を分ける(うま の せ を わける)
馬の背の片側だけを濡らすように、ある場所では雨が降り、そのすぐ付近では晴れていることのたとえ。

原中(はらなか)
野原のまん中。

仏説(ぶっせつ)
仏が説いた教え。仏教の思想。

頭陀袋(ずだぶくろ)
僧が修行の旅をする際、経文などを入れて首にかける袋。死者の首にかける袋。




ここから本編




八五郎:オーウ!ご隠居ォ!いるかい!

ご隠居:おや、誰かと思ったらっつぁんじゃないか。

八五郎:オウご隠居!悪いんだけどよォ、書いてくれよ。2本。急ぎで。書いてくれよ、2本。

ご隠居:ちょちょちょ…。まあ ちょいと落ち着きなよ。とりあえず、こっちにお上がり。

八五郎:オウ、邪魔するぜ。
    
    でよォ、書いてくれよ。2本。急ぎで。さ、書いてくれよ。

ご隠居:ちょ、ちょいとお待ちよ…、話がよく見えないねえ。
    書いてくれ?書いてくれって、何をだい?

八五郎:何をって、離縁状りえんじょうだよ。

ご隠居:離縁状りえんじょう!?離縁状りえんじょうとは穏やかじゃないね。
    そんなもの、書けと頼まれたって、おいそれ・・・・と書けるものじゃないよ。

八五郎:んなこと言わねえで書いてくれよ。2本。急ぎで。書いてくれよ、2本。

ご隠居:ちょいとお待ちってんだよ。
    
    人んに来るなり離縁状りえんじょうを書けとは どういう了見りょうけんだい。
    それに、2本てのは何だい?まぁ離縁状りえんじょうなんだから、1本はオカミさんに渡すんだろうけど、
    もう1本はいったい誰に渡すんだい?

八五郎:ババアだよ。

ご隠居:え?

八五郎:ババアだよ。

ご隠居:誰のことだい、そのババアってのは。

八五郎:あれ?ご隠居 知らねえの?ウチに古くからいやがるババア。
    あの提灯ちょうちんババア 知らねえの?

ご隠居:なんだい その提灯ちょうちんババアってのは。

八五郎:よこにシワがってるから提灯ちょうちんババアじゃねえか。
    
    たてってりゃ唐傘からかさババア。
    
    縦横たてよこってりゃ縮緬ちりめんババア。

ご隠居:何言ってんだい。
    あのねぇ、お前さんに古くからいるとなれば、それはお前さんの母親だろ?
    親を捕まえて提灯ちょうちんババアなんて言い草があるかい。

八五郎:親?なんだい親ってぇのは。つまらねえ言いがかり付けんなオイ。

ご隠居:言いがかり…?あれは お前さんのおっかさん・・・・・じゃないのかい?

八五郎:あれが!?冗談言っちゃいけねえよ。

ご隠居:じゃ何かい、お前さんのオカミさんのおっかさん・・・・・かい?

八五郎:あ?バカなこと言うなィ。

ご隠居:親戚のかたかい?

八五郎:んなワケねえだろ。

ご隠居:じゃ、その人は何なんだい?

八五郎:何なんスかねぇ…?

ご隠居:どういうことだよ。
    何なんスかねぇって…、その人は、お前さんの家にいるんだろ?

八五郎:いるんだよ…。またずいぶん古くから いやがってねぇ…。
    聞くところによるってえと、俺が産まれる前からいるってんだ。

ご隠居:そんなに長く一緒にいて、何者か分からないって言うのかい?

八五郎:そうなんだよ。3年前に死んだ親父オヤジいだってことだけは分かってるんだがねェ。

ご隠居:じゃ やっぱりおっかさん・・・・・じゃないか!

八五郎:え?

ご隠居:亡くなったおっつぁんのオカミさんなら、お前さんにとっちゃおっかさん・・・・・だろ。

八五郎:ほォ…。そういう見当けんとうになるかい?

ご隠居:見当けんとうなんて言い草があるかい、火事の方角ほうがく見てるんじゃあるまいし。
    
    (ため息)まったくあきれたもんだねぇ。親に離縁状りえんじょうを渡すなんて無茶な話があるかい。
    だいいちお前さんは しょっちゅう、気に入らないことがあると言っては
    オカミさんやおっかさん・・・・・に当たって騒いでるそうじゃないか。
    どうもお前さんは気が短くていけない。
    
    ちょいと待っといで。

八五郎:お…?紙と筆 取り出したね。なんだ、やっぱり離縁状りえんじょう書いてくれようってのかい?

ご隠居:そうじゃないよ。いいから ちょいとお待ち。
    
    (何かを書いている間)
    
    これでよし。ほら っつぁん、これをお持ち。

八五郎:なんだい?これ。

ご隠居:私の知り合いにてて書いた手紙だ。
    
    長谷川町はせがわちょう新道しんみちに、紅羅坊べにらぼう 奈丸なまるという心学しんがくの先生が住んでいる。
    この手紙を持って、その先生をたずねなさい。

八五郎:この手紙をそいつに渡せっての?なんだい、つかいかよ。

ご隠居:そうじゃない。その手紙を渡せば、先生からお前さんに話をしてくださる。それを聞いてくるんだ。

八五郎:話を?

ご隠居:うん。その先生の話を、そうだなぁ…、まぁとおのうち3つでも聞いてくれば、いい心持こころもちになれるだろう。

八五郎:いい心持こころもちになれんの?ホントかい?じゃ行こうじゃねえか。
    
    えーと、長谷川町はせがわちょうの?新道しんみちだっけ?
    そこに住んでる…、名前 何てったっけ、えーと…、べらぼうに・なまける

ご隠居:ちがうよ、紅羅坊べにらぼう 奈丸なまるだ。ちゃんと手紙を渡して、話を聞いてくるんだよ。

八五郎:ああ、この手紙を、そいつに渡しゃあいいんだな、分かった分かった。
    
    オウ、手紙はいいけどよぉ、アレはどうなってんだよ。

ご隠居:アレって何だい?

八五郎:何ってオメエ、離縁状りえんじょうだよ離縁状りえんじょう。2本。
    書いてくれって言ったじゃねえか離縁状りえんじょう、2本。書いてくれよ離縁状りえんじょう、2本。

ご隠居:うるさいねぇ、まだ言ってんのかい…。
    先生の話を聞いたうえで なお離縁状りえんじょうを書いてもらいたいという了見りょうけんが残っていたら、
    その時は2本でも3本でも書いてやろうじゃないか。だから今は黙って、先生の所へ行って来な。

八五郎:あ、そう。分かったよ。じゃ とりあえず行ってくるよ。じゃあな

 


    

八五郎:えーと、この辺だと思うんだが… (通行人に)オウ!ちょいと!

通行人:はい、なんでしょう?

八五郎:この辺によォ、べらぼうに なまけるとか何とか言うヤツの家、ねえかい?

通行人:べらぼ……なんですって?

八五郎:だからよォ、べらぼうに なまけるとか何とかって名前のよォ、あの、アレだ、
    シンガクだかデンガクだかの先生してるって言う…

通行人:心学しんがくの…。ああ!紅羅坊べにらぼう 奈丸なまる先生のお宅ですか。
    それなら、この先に、煙草屋たばこやがあるでしょ?その裏手の家ですよ。

八五郎:オウ、そうかい。ありがとよ!

 


    

八五郎:えーと、この家だな…。オーウ!いるかーい!オーウ!

紅羅坊:はいはいはい。どなたか、おいでですかな?

八五郎:オウ、オメエか?べらぼうに なまけるってのは。

紅羅坊:べ、べらぼ…?いやいや、わたくし紅羅坊べにらぼう 奈丸なまると申します。
    わたくしに何か御用ですかな?

八五郎:ああ、オメエによぉ、手紙渡せって言うからよ、持って来たんだ。ホラ。

紅羅坊:ああ、そうでしたか。それはご苦労様なことで。では、拝見をいたしましょう。
    お返事が必要なものであれば、すぐに差し上げますのでね、少々お待ちを。
    
    どれどれ…
    
    (差出人を見て)
    ほォ、岩田いわたのご隠居から…。なになに…。
    
    (「ご無沙汰してます」みたいなことが書いてあって)
    いやいや、無沙汰ぶさたは互いでございます…。ふむふむ…。
    
    (「この八五郎というのがまた短気な男で」)
    ほォほォ…。
    
    (「毎日のように夫婦喧嘩 親子喧嘩で」)
    あれまぁ…。
    
    (「実の母親を提灯ババアよばわり」)
    うわ~…。
    
    (「時々母親を殴りさえする始末で」)
    あちゃ~…。
    
    (「それとなく ご意見をしてやってください」)
    ははぁ、なるほど…。

八五郎:オウ、読み終わったかよ?
    どうでもいいけどオメエよぉ、手紙読みながらチラチラチラチラ俺の顔見やがって。
    なんだよ?俺の顔に何か付いてるのかよ?

紅羅坊:あぁいえいえ、これは失礼をいたしました。
    いやいや、てっきりつかいのかたかと思っておりましたら、あなたが ご本人の八五郎はちごろうさんということで。

八五郎:そうだよ。

紅羅坊:あらためまして、ご挨拶を申し上げます。わたくしが、おたずねにあずかりました 紅羅坊べにらぼう 奈丸なまるでございまして、
    いささか心学しんがくかじりおる者でございます。どうぞお見知りおきくださいませ。
    
    玄関先げんかんさきでは何ですから、どうぞお上がりください。

八五郎:そうかい、邪魔するぜ。

紅羅坊:どうぞどうぞ。ささ、どうぞそちらの座布団ざぶとんをお当てになってください。
    
    え~、お手紙によりますと、あなたのおうちには、あなたの母親も一緒に暮らしていると。
    その母親を、あなたはち、打擲ちょうちゃくなさる、つまり殴るとのことですが…、
    これは何かのお間違いでしょうな?

八五郎:当たり前じゃねえか!親を殴るワケねえだろ!

紅羅坊:そうでしょうなぁ。

八五郎:蹴り倒すんだよ。

紅羅坊:蹴り倒す…!?それはまた乱暴ですな…。
    わたくしは生まれてこの方、親を蹴り倒すなどという話は聞いたことがございません。

八五郎:そうだろ、俺が発明したんだからな。

紅羅坊:そんなものを発明されては困りますな。
    
    どのような事情がおありになるのかは存じ上げませんが、
    親というものは大切にしていただきたいものでございます。
    
    昔から申します。
    
    孝行こうこうの したい時分じぶんに 親は無し  さればとて 石に布団も 掛けられず
    
    親というのはえのないもの。
    いくらお金を出して買おうと思っても、買うことはできないのです。

八五郎:当たり前じゃねえか。売ろうと思ったって、あんなモン誰が買うかい。

紅羅坊:あぁ…それも一理ありますなぁ…。あ、いやいや お気になさらず。
    
    まぁそれとなく あなたに意見を差し上げてくれという お申し出なのですが、
    わたくしのような若輩じゃくはいの身で、意見などというおこがましい・・・・・・ことはできません。
    
    ですが まぁ、お話相手くらいなら いたしましょう。

八五郎:あ、そうかい。
    何だか知らねえけど 隠居が言うにはよォ、オメエの話を、
    とおのうち3つ聞きゃあ いい心持こころもちになれるって言うからよ。
    ひとつ、いい心持こころもちにしてもらおうじゃねえか。
    何やるんだい?落語か?端歌はうたか?どでえつ(都都逸どどいつ)か?

紅羅坊:どでえつ……??
    いやいや、心学しんがくというものは、聞いて面白い、可笑おかしいというものではございませんのでねぇ。
    
    まぁわたくしがこれからぼちぼちと申し上げるお話を、耳で聞かずに、腹で聞いていただきたい。

八五郎:腹?ヘソの穴で?

紅羅坊:ヘソの穴ではございません。
    「耳は取り次ぎの下女下男げじょげなん」などと申します。
    ただ聞き流すだけでなく、しっかりと腹に納めていただきたい。
    まぁ、それぐらい しっかりと聞いていただきたいと言うことです。
    
    え~…、お手紙によりますと、あなたは大変に その…、短気だそうで。

八五郎:誰がタヌキだ!

紅羅坊:タヌキではございません。短気。気が短いということです。
    あなた、喧嘩けんかなどはお好きですかな?

八五郎:「お好きですかな」だと?
    こちとら三度さんどめしより喧嘩けんかが好きだィ。
    売られた喧嘩けんかなんざ 高いの安いの言わねえで 全部買ってやらァ。
    
    オウ、やるか?

紅羅坊:いやいや、わたくしは やりません。
    喧嘩けんかというものは、どのみち 得のいくことではございません。必ずどちらかが損をする。

八五郎:何言ってやがる。喧嘩けんかするのに損も得もあるかよ。
    こちとら・・・・なァ、喧嘩けんかとなりゃあ命だってらねェんだ!
    
    オウ、やるのかよ?

紅羅坊:いやいやいや、わたくしは やりません。わたくし喧嘩けんかは大嫌いですので。
    
    まぁ誰しも 腹が立つ事はあるものでございましょうが、そこを、グッと我慢をしていただきたい。
    
    気に入らぬ 風もあろうに やなぎかな
    
    ムッとして 帰ればかどの やなぎかな
    
    風の吹く ほうをうしろに やなぎかな
    
    
    やなぎというものは、決して風に逆らいません。
    南から風が吹けば北へなびく。北から風が吹けば南へなびく。
    風の吹くまま 吹かぬまま。
    
    人もやなぎと同じように、柔らかになっていただきたいものです。

八五郎:冗談言っちゃいけねえや。
    人間がやなぎみたいに 風が吹くたんびに あっちにフラフラこっちにフラフラしててみろ、
    堀端ほりばたなんざ歩いてた日にゃあ、堀ん中 落っこっちまうだろうが。

紅羅坊:いやいや、そういうことではございません。
    やなぎのように柔らかな心持こころもちになっていただきたいと言うことです。
    柔らかな心持こころもちになれば、人といさかい・・・・を起こすことも自然と無くなりましょう。
    
    あなたは、堪忍かんにんというものをご存知でいらっしゃいますか?

八五郎:あ?神主かんぬし

紅羅坊:神主かんぬしではございません。堪忍かんにん
    腹が立つことがあってもグッと我慢をする。これが堪忍かんにんです。
    
    堪忍かんにんの なる堪忍かんにんは たれもする ならぬ堪忍かんにん するが堪忍かんにん
    
    堪忍かんにんの 袋を常に 胸にかけ やぶれたらえ やぶれたらと。

八五郎:南無阿弥陀仏なむあみだぶつ南無阿弥陀仏なむあみだぶつと。

紅羅坊:おきょうではございません。…どうも、お分かりが無いようですな…。
    では、もう少し分かりやすいお話をいたしましょうか。
    
    そうですねぇ、例えば…、
    あなたが往来おうらいをお歩きになっているといたしましょう。
    すると、角店かどみせか何かで小僧さんが水をいている。
    そのき水が、あなたの着物のすそにかかる。
    
    さて その時あなたは どうなさいます?

八五郎:どうなさるもこうなさるもねえや。
    その小僧はり倒す・・・・に決まってんじゃねえか。

紅羅坊:はり倒す…?はり倒すと言っても、これはまだ小さい小僧さんで…

八五郎:小さかろうが大きかろうが、んなこたァ関係ねえんだよ。
    俺はその小僧のえりくびとっ捕まえて その店に怒鳴り込んでやらァ。
    「テメエんとこの店か、こんなマヌケな小僧をってやがんのは!」

紅羅坊:う…?これはまた乱暴な言いようですな…。まぁ、あなたのおっしゃりそうなことですが。

八五郎:当たり前だ、こちとら職人だ。威勢いせいがいいんでい!

紅羅坊:はぁ、威勢いせいがよろしい…なるほど。
    
    では、そうですねぇ…、今度は…、
    風の強い日に、あなたがせま路地ろじをお歩きになっているといたしましょう。
    すると屋根からかわらが落ちてきて、あなたの頭に当たる。
    
    するとあなたは、痛いでしょう?

八五郎:当たり前じゃねえか!
    頭にかわらが当たって くすぐったい・・・・・・なんてヤツがいるか!痛いに決まってんだろ!

紅羅坊:その時、あなたはどうなさいます?
    かわら喧嘩けんかをなさいますか?

八五郎:んなワケねえだろうが!かわらと取っ組み合いしてどうするってんだ!
    俺はそのかわらつかんで、その家に怒鳴り込んでやらァ。
    
    「おいコラ!テメエんとこじゃ職人の手間てましみやがるから こういうことになるんだ!
    この頭のキズ どうしてくれるんだ!」

    
    ってんで膏薬代こうやくだいふんだくってやらァ。

紅羅坊:ははァ…、膏薬代こうやくだい…。なるほど、その手がありましたか…。
    まぁ、あなたのおっしゃりそうなことですが。

八五郎:当たり前だ、こちとら職人だ。威勢いせいがいいんでい!

紅羅坊:はぁ、威勢いせいがよろしい…なるほど。
    
    では、そこがだったら、あなたはどうなさいます?

八五郎:あ、だったら…、そりゃオメエ……、
    
    誰か越して来るまで待ってようじゃねえか…。

紅羅坊:そこは意外と気が長いんですな…。
    
    では、今度は、四里より四方しほうもあろうかという、広~い野原のはらにさしかかったといたしましょう。
    
    ぞくに「夏の雨は馬の背を分ける」などと申しますが、突然にわか・・・の夕立が、
    あなたの頭上からザァザァと降ってまいります。
    
    さて、あなたは先ほど、小僧さんのいた わずかな水に腹を立てられたが、今度は全身れネズミ。
    
    この時、あなたはどうなさいます?どちらへ怒鳴り込みます?
    職人で威勢いせいがよくて気が短くて喧嘩けんかのお好きなあなたのこと。黙ってはいられないでしょう?

八五郎:当ッたり前じゃねえか!黙ってなんぞいられるか!んなもんオメエ………、え~っと……

紅羅坊:どうなさいました?さあ、誰を相手に喧嘩けんかをなさいますか?
    職人で威勢いせいがよくて気が短くて喧嘩けんかのお好きなあなた、黙ってはいないのでしょう?

八五郎:あ、当たり前じゃねえか…。こちとら黙っちゃいねえよ。だから……その……

紅羅坊:ん?どうなさいました?黙ってはいないのでしょう?
    どうなさる?ん?どうなさる?ん?どうなさる?ん?
    
    (一喝)オイッ!!

八五郎:び、ビックリしたぁ…!きゅ、急に気合きあいをかけるんじゃねえよ…。
    ど、どうするって…、だから…、その…、か…、駆け出さァ!

紅羅坊:駆け出す…?駆け出したところで、広~い原中はらなか
    雨は一面に降っている。とてもこの雨から逃れられるものではございません。

八五郎:…。お、大きな木の下でもって、雨宿りしようじゃねえか。

紅羅坊:広~い原中はらなか。木などは1本もない。

八五郎:…。そ、そこらの居酒屋か何かで1杯やりながら、雨がむのを待とうじゃねえか。

紅羅坊:広~い原中はらなか。店などは1軒もない。

八五郎:…。そ、そこらの家ののきでも借りて、雨がむのを待とうじゃねえか。

紅羅坊:広~い原中はらなか。家などは1軒もない。

八五郎:オメエずるいなァ後から後からよォ!
    
    ……。それじゃ、んなもん……もう……仕方がねえじゃねえか…。

紅羅坊:仕方がない…?どう 仕方がないのですか?

八五郎:どう仕方がないって…、だから…、あきらめるってんだよ。

紅羅坊:ほう。どうあきらめるのですか?

八五郎:ヤな野郎だなオメエは…。
    どうあきらめるって、だから…、天から降った雨だと思ってあきらめるってんだよ!

紅羅坊:ほう…。天から降った雨だと思ってあきらめる…。
    天から降った雨だと思って、あきらめられますか?

八五郎:られますかッたって、これ以上 られようがねえじゃねえか!

紅羅坊:ふむ。
    天から降った雨だと思ってあきらめられるのなら、先ほどの、小僧さんがいた わずかな水も、
    天から降った雨だと思って、あきらめてごらんなさい
    人に頭を殴られたら、これは殴られたのではない、屋根からかわらが落ちてきて頭に当たったのだと、
    あきらめてごらんなさい

    屋根からかわらが落ちてきたのも、おのれがそこを通り合わせた不運ふうんだと、あきらめてごらんなさい
    
    何事においても、心を広く持つことです。
    
    これを仏説ぶっせつのほうでは「運命うんめい」あるいは「因縁いんねん」などと申しますが、われわれ心学しんがくのほうでは、
    「天がおのれせるわざわい」というところから、天災てんさいと申しております。
    
    何事も、天災てんさいだと、あきらめるわけには まいりませんか?

八五郎:(考える)ん~~……。つまり…、じゃあ何か?
    早い話がよォ…、人を、天だと思えって、そういうことかい?

紅羅坊:まあ、そういうことです。

八五郎:ああ、なるほどなァ…。
    
    ま…、そう言われてみりゃよ…、喧嘩けんかして得したためし・・・なんざ無えや…。
    着物はやぶくしケガはするし、仲直りに1杯やんなくちゃいけねえし、ぜにのかかることばっかりだ。
    
    なるほどねぇ。オメエ、いいこと言うじゃねえか。なるほど、天災てんさいかぁ。

紅羅坊:お分かりになりましたか。

八五郎:オウ、よく分かったよ。オメエの話聞いてよォ、俺は目から魚が落ちたぜ!

紅羅坊:ええと…、目からうろこですか…?

八五郎:うろこなんて生易なまやさしいもんじゃねえよ、1匹まるごと ボトッと落ちたよ!

紅羅坊:そ…、そうですか…。それはうございました…。

八五郎:いやぁ、隠居の言うとおりだ、いい心持こころもちになったよ。
    天災てんさいねぇ、なるほどなるほど…。
    
    あのさ、俺んとこの長屋にはさ、気の短い野郎が何人もいるんだ。俺だけじゃねえんだよ。
    けどよ、天災てんさい心得こころえてるヤツなんざ1人もいねえよ?俺だけだ。
    
    これからよ、長屋でもって騒動でもあった日にゃ、俺、今日教えてもらった天災てんさいいてやってよ、
    騒動おさめてやろうと思うよ!

紅羅坊:ああ、それは心掛こころがけでございます。

八五郎:だろ?イイ話聞かしてくれて ありがとよ。
    じゃ、俺は帰るぜ。

紅羅坊:あ、もうお帰りですか?
    これはわたくしとしたことが、お話に夢中で お茶も出さずに失礼をいたしました。

八五郎:いいってことよ。
    
    今までの俺だったら、なんだって茶の1杯も出しやがらねえんだ!って怒鳴りつけるところだがよ、
    今日の俺は天災てんさい心得こころえてるんだ。
    
    オメエが茶を出さねえと思うから腹が立つんだ。天が茶を出さねえと思えば腹も立たねえ。
    ま、早い話が、今日オレがここへ来た 不運ふうんてヤツだ。

紅羅坊:こ…、これはまた ものすごい応用でございますな…。
    では、お帰りになりましたら、岩田いわたのご隠居に よろしくお伝えください。お気をつけて。

八五郎:おう、あばよ!

紅羅坊:あ、ちょっと…、その格子こうしを閉めて行っていただきたいのですが…

八五郎:あ?何言ってんだ!
    俺が閉めねえと思うから腹が立つんじゃねえか!天が閉めねえと思え!

紅羅坊:は、はいッ…!

 


    

八五郎:いやぁイイ話聞いたなァ。天災てんさいなんてのは考えたこと無かったねぇ…。
    
    ん…?なんだか長屋のまわり、ずいぶん人が出てるじゃねえか…。なんかあったのか…?

ご隠居:おや、っつぁん。おかえり。

八五郎:オウ、ご隠居じゃねえか。
    なんだい?長屋、なんかあったのかい?

ご隠居:ああ、クマさんとこで、ちょっとした騒動があってね。
    ま、もう収まったみたいなんだけど。

八五郎:クマのヤロウんとこで?どうしたんだい?

ご隠居:いや、私も聞いただけなんだけどね、こなだいクマさん、
    新しい女ができたってんでカミさんと別れたって言ってたろ?

八五郎:ああ、そういや そんなこと言ってたな。

ご隠居:ところが、その別れ話が、前のカミさんとの間で上手く付いてなかったらしいんだな。

八五郎:というと?

ご隠居:どうも前のカミさんは、まだ別れた気になってなかったらしくてねぇ。
    それで、今日 クマさんがウチで新しい女と、まぁ仲睦なかむつまじくしているところへ、
    前のカミさんが暴れ込んで来て、死ぬの殺すの言って大騒ぎになって。
    長屋の連中がめに入って、さっきやっと収まったみたいなんだがね。

八五郎:へぇ、んなことがあったのかい。

ご隠居:みんな言ってたよ。っつぁんがいなかったのが不幸中の幸いだって。

八五郎:あ?どういうこったよ?

ご隠居:もしお前さんがいたら、すぐに収まる喧嘩けんかが3日続いて、そのうえ死人が出て…

八五郎:オイオイオイ!みんな俺を何だと思ってんだよ!
    
    
    オウ、ちょいと行ってくらぁ。

ご隠居:行くって、どこへ?

八五郎:クマのヤロウの所だよ。

ご隠居:よしなよ。もう収まったんだから。

八五郎:いや、ちょいとヤロウに言って聞かせることがあるんだ。

ご隠居:よしなってのに。やっと収まったところなのに、お前さんが行ったら また持ち上がっちゃうだろ。

八五郎:冗談言っちゃいけねえ。今の俺は天災てんさい心得こころえてんだ。
    天災てんさいいて聞かせるんだよ!

 


    

八五郎:オーウ!クマァ!いるかァ!

熊さん:うわぁ…マズいのが来たよ…。こっちはやっと収まったとこだってのによ…。
    
    お、オウ…、ハチか。いやぁ、すまねえな、騒がしちまってよ…。悪かった…。

八五郎:おう、それはいいよ。今日はオメエに、ちょいと話があるんだ。

熊さん:な…なんだよ、あらたまって…。

八五郎:(咳払い)えー、てっきりつかいのかたかと思っておりましたら、あなたが ご本人の八五郎はちごろうさんということで。

熊さん:え…!?オイオイ、オメエ大丈夫か…!?八五郎はちごろうはオメエじゃねえか。俺は熊五郎くまごろうだよ。

八五郎:いいから黙って聞け。
    
    (咳払い)玄関先げんかんさきでは何ですから、どうぞお上がりください。

熊さん:いやいや、俺はもう上がってるよ。上がるのはオメエじゃねえか。

八五郎:あ、そうか。じゃ上がるぜ。
    
    (咳払い)えー、お手紙によりますと…

熊さん:お手紙?俺はオメエに手紙なんざ書いてねえよ?

八五郎:いちいちうるせぇなぁ、黙って聞け。
    
    えー、あなたのおうちには、あなたの母親も一緒に暮らしていると。

熊さん:いやいや、おっかぁ・・・・いねえよ。去年死んじまったもん。オメエも知ってんだろ?

八五郎:あ、そうだった。じゃ俺んとこのババア貸すからよ。

熊さん:借りてどうすんだよ?

八五郎:蹴り倒せ。

熊さん:やだよ!

八五郎:あ、そう?
    どのような事情があるかは存じませんが、親というものは大切にしていただきたい。

熊さん:だから いねえ・・・ってんだよ!
    だいいちオメエいま、てめえのババア貸すから蹴り倒せとか言ってたじゃねえか!
    オメエが大切にしろよ!

八五郎:昔から申します。
    
    こうこうの したい時分じぶんに 布団ふとん無しと。
    さればとて 親には石も 乗せられずと。

熊さん:当たり前じゃねえか!石なんぞ乗っけて 死んじまったらどうすんだ!

八五郎:いちいちうるせえってんだよ。
    
    まぁワタクシがこれから申し上げるお話を、ヘソの穴で聞いていただきたい。

熊さん:難しいこと言うねぇ。

八五郎:お手紙によりますと…

熊さん:だから書いてねぇって。

八五郎:あなたはタヌキだそうで。

熊さん:どういうことだよ!クマとは呼ばれてるけど、タヌキじゃねえよ!

八五郎:人は、タヌキではいけません。

熊さん:人がタヌキになるわきゃねえだろ!

八五郎:ウナギになっていただきたい。

熊さん:う、ウナギ…!?

八五郎:ウナギのように柔らかに、グニャグニャになっていただきたい。

熊さん:そ…、そうなの…?

八五郎:気に入らぬ 風もあろうに ウナギかな 
    風の吹く ほうをうしろに ウナギかな

熊さん:風…?それオメエひょっとして、ウナギじゃなくてヤナギじゃねえか…?

八五郎:あ、そうだヤナギだ。
    
    え~、ヤナギは風に逆らいませんな。南から風が吹けば、西になびき、西から風が吹けば、北になびき、
    北から風が吹けば、寒いから、どうしたってキュ~っと1杯やりたくなるだろうと。

熊さん:オメエ何言ってんだ…?

八五郎:どうも、お分かりが無いようですな…。

熊さん:分かるワケねえだろ!

八五郎:では、あなたは神主かんぬしというものをご存じですかな?

熊さん:神主かんぬし…?

八五郎:そう。
    
    奈良なら神主かんぬし 駿河するが神主かんぬし
    
    神主かんぬしの 袋は常に 頭陀袋ずだぶくろ 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
と。
    
    お分かりですかな?

熊さん:さっぱり分からねえ。

八五郎:お分かりが無いですか…。
    では、もう少し分かりやすい話をいたしましょう。

熊さん:おう…、そうしてくれると助かるよ…。

八五郎:例えば…、あなたが往来おうらいをお歩きになる。
    
    すると、屋根から小僧が落ちてくる

熊さん:危ねえなオイ!

八五郎:広~い野原のはらにさしかかる。
    夏の雨は馬が降る

熊さん:こわッ!それを言うなら 馬の背を分けるじゃねえか?夕立のことだろ?

八五郎:そうそう夕立。にわか・・・の夕立がザァザァと降ってくる。
    と、小僧が表で水を

熊さん:バカじゃねえのか その小僧は。なんで雨降ってんのに水いてんだよ!

八五郎:ああもう分からねえヤツだな!
    
    つまりオメエ、アレだろ?前のカミさんが暴れ込んで来たってんで腹ァ立ててんだろ?
    そうじゃなくて、天が暴れ込んで来たと思え!そうすりゃ腹も立たねえ!
    
    これすなわち・・・・天災てんさいだ!!

熊さん:何言ってんだ。ウチへ来たのは、
    
    先妻せんさいだ。
  



おわり

その他の台本                 


【書き起こし人  補足】

本来の落語「天災」では、物語の終盤、八五郎は自分の女房から熊さん家の騒動を聞くのですが、女房の出番がそこだけのため、
この台本では、ご隠居から聞いたというふうにアレンジし、男2名で無理なくできる台本としました。

「自分の知ってる『天災』と違う!」とお怒りの向きもあるかもしれませんが、どうか柳の如く柔らかなお心でお赦しいただき、
楽しんでいただければ幸いです。


参考にした落語口演の演者さん(敬称略)


桂吉朝

柳家小三治(10代目)
春風亭柳橋(6代目)
柳家小さん(5代目)
春風亭柳朝(5代目)


何かありましたら下記まで。
kurobekio@yahoo.co.jp

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