声劇台本 based on 落語

一文笛いちもんぶえ -江戸版-


 原 作:3代目 桂米朝
 台本化:くらしあんしん


  上演時間:約25分


【書き起こし人 註】

この台本は、人間国宝・故 桂米朝師匠の創作落語を声劇用の台本にしたものです。

アドリブ・口調変更・性別転換 等々OKです。



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 観覧自体が無料であればかまいません。いわゆる「投げ銭システム」に代表されるような、リスナーから
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<登場人物>

・ヒデ(セリフ数:42)
 腕利きのスリ。


・兄貴(セリフ数:25)
 ヒデの兄貴分。元スリだが、今は足を洗って堅気になっている。


・老紳士(セリフ数:15)
 身なりの良い老紳士。腰に提げた煙草入れをスリ達に狙われる。


<配役>

・ヒデ:♂

兄貴老紳士:♂




【ちょっと難しい言葉】※クリックすると開いたり閉じたりします(ブラウザによっては機能しません)
  • 上方(かみがた)
    京都およびその付近一帯をさす語。また広くは畿内地方。京阪地方。関西地方。

  • 仲見世(なかみせ)
    神社・寺の境内にある商店街。

  • 左官(さかん)
    壁塗り職人。

  • 釜のふたが開かない(かまの ふたが あかない)
    米を買う金もない(従って釜を使うことがない)ほど貧窮すること。

  • 匕首(あいくち)
    つばのない短刀。

  • 洋行(ようこう)
    西洋に旅行・留学すること。

  • 九分どおり(くぶどおり)
    9割がた。おおかた。ほぼ間違いなく。

  • 請け合う(うけあう)
    責任をもって,確かに約束を果たすと引き受ける。

  • 俥夫(しゃふ)
    人力俥(じんりきしゃ)を引く職業の人。





ここから本編




 ヒデ:(往来で老紳士を呼び止める)
    旦那!
    
    ちょいと!そこの旦那!

老紳士(呼び止められたのに気付く)
    私ですか?

 ヒデ:いや、こりゃどうも、こんな往来おうらいで 呼び止めたりして、申し訳ねえこって。
    
    実はその……、ちょいと旦那に おねげえしてえ事が ごぜえやして……。

老紳士:はあ、なんでしょう?

 ヒデ:まあ 立ち話も 何ですからねぇ。
    ああ いやいや、お手間は 取らせねえんで、
    ちょいと そこの茶店ちゃみせまで お付き合い願えやせんか?
    いやもう、すぐにむ話で ごぜえやすんで。

老紳士:はぁ……、そこまで おっしゃるなら……。
    
    わかりました。ご一緒しましょう。

 ヒデ:こりゃどうも! ありがとうごぜえやす!
    
    では、参りやしょうか。

 


 

 ヒデ:(茶店の店員に)
    オウッ、ごめんよッ!
    甘酒あまざけ2つ、頼むぜ!
    
    (老紳士に)
    さ、どうぞ旦那、そちらへ お座りんなって くだせえ。
    
    
    いやどうも、見ず知らずの人間が いきなり 呼び止めたりして、
    申し訳ねえことで ござんした。
    
    それで……、おねげえのすじなんですがね ――
    
    旦那、ずいぶんと いい煙草たばこれをげてらっしゃいやすねえ。

老紳士:これですか?
    
    ……ええまあ、いいと言うほどの物でも ありませんが、
    まぁ気に入って 使っております。
    
    ……この煙草たばこれが、どうか いたしましたか?

 ヒデ:実は、その煙草たばこれを、あっしが 3円で 買いやしてね。

老紳士:はぁ?え、何ですって?

 ヒデ:いや、ですからね、その煙草たばこれ、
    あっしが 3円で 買ったんで ござんすよ。

老紳士:いやいや ちょっと待ってください。
    
    お前さんとは 今日 初めて会ったんですよ?
    ましてや煙草たばこれを 売ったなんて。
    
    私は この煙草たばこれ、どなたにも 売った覚えはありませんよ?

 ヒデ:いや、旦那は ご存知ない事なんですがね……、
    (甘酒が運ばれてくる) (店員に)
    あ、オウ、甘酒あまざけ すまねえな。ここ、置いといてくれ。

    (老紳士に)   
    ま、どうぞ、甘酒あまざけ 飲んでくだせえ。
    
    旦那、実は あっしねぇ ―― 、スリなんスよ。

老紳士:ええっ!? お前さん スリなのかい!?

 ヒデ:シーッ!! 大声出しちゃ いけませんや。
    
    そんなに驚いてもらっちゃ 困りやすよ。
    こっちは 腹を割って 話してるんですから。

老紳士:はあ……。

 ヒデ:実は、あっしらの仲間の ある男が、その煙草たばこれに 目を付けやしてね。
    「いいしなモンじゃねえか、抜いてやろう」ってんで、旦那のあとを ず~っと つけてたんですが、
    旦那の身体からだに スキがなくて、抜くことが できなかったんだそうで。
    
    「こりゃ難しいや」と思ってるところへ、また別の仲間が来て。
    いや スリ仲間なんてのはね、見たらすぐに 分かるんスよ、
    「ああ、アレ狙ってやがるな」ってな具合にね。
    
    で、
    「いい煙草たばこれじゃねえか。どうして早く抜かねえんだ?」
    「いやそれが抜けねえんだ」
    「何言ってんだ、あんな老いぼれ……  いやその、
    (咳払い)「あんな お年寄りがげてらっしゃる 煙草たばこれくらい、すぐに抜けるだろ」
    「それが どォしても抜けねえんだ」
    「よし!じゃあ俺が 1円で買った!」
    てなワケで、そいつが1円で、その煙草たばこれを買ったんですよ。
    つまり、その 腰に げたままでね。
    
    ま、はええ話が、「その煙草たばこれを 抜き取る権利」を 買ったってワケなんスよ。

老紳士:ええと……。
    スリの世界では、そういうことが あるんですか……?

 ヒデ:あるんですなァ これが。
    
    で、その男、1円出した手前、どうしたって
    モノにしなきゃ ならねえってんで、
    旦那のあとを ず~っと つけて行ったんだが……、
    聞いたとおり 旦那の身体からだにスキがなくて 抜くことができねえ。
    
    「なるほど こいつァ難しいな」ってんで
    手を出せないで いるところへ、また別の仲間が 来て。
    
    こいつは上方かみがたから 流れて来たヤツでね、
    あっしら 仲間内なかまうちじゃ 「ハヤブサ」なんて呼んでる、
    まァ実に イイ仕事をする男で。
    こいつが「よっしゃ ワイに 2円で売れ」ってんで、
    2円出して、旦那のあとをつけて行った。
    
    で、あっしも ちょうど その近くを ブラブラしてて
    たまたま その話を 聞いたもんスからね、
    こいつァ面白ぇと思って あとを つけて行って。
    
    しばらくして ハヤブサに 追いついたんですがね、
    結局こいつも まだ抜けずに「難しい、難しい」って言って
    頭かかえてやがるんスよ。
    
    そこで あっしが、「よし、俺が3円で買った!」ってんで、
    3円出して買ったと、こういうワケでしてねえ。

老紳士:はぁ……、なるほど……。

 ヒデ:で、あっしも旦那のあとを つけて行ったんですがね……。
    
    なるほど 仲間が 手こずるわけだ。
    何でもないように見える 旦那の身体からだに、
    これっぽっちも スキがえと きてる。
    さすがの あっしも、こんなに難しいシゴトは 初めてだと 腰が引けたんだが、
    それでも、人ごみン中だったら なんとかなるかもしれねぇと思って、
    浅草あさくさ観音様かんのんさまなか見世みせを通って 浅草せんそう境内けいだい ――
    人にまぎれて 様子をうかがってたんでやすが、
    どォ~しても 抜けねえ。
    
    人も まばらに なってきちまったし、
    こりゃもう 仕事にならねえと 思いやしてね……、
    恥を忍んで、こうして 声を お掛けしたと、
    こういうワケなんで。
    
    旦那 ――
    他人ひとさまの持ち物に を付けるなんざ 失礼な話かも しれやせんが、その煙草たばこれ、
    あっしの見たところ、15、6円から、20円近く お出しになったしなかと思いやす。
    
    いかがなモンでしょうねえ、きが来て、道具屋へ はらげたと思って、
    あっしに、10円で ゆずっていただくワケにゃあ 参りやせんかねぇ?

老紳士:10円……?
    
    しかしお前さん、さっきの話だと、その、抜き取る権利……でしたかな?
    それを買うために、もうすでに 3円 出してらっしゃるんでしょう?
    
    それを、今 また10円 出すと おっしゃる。しめて13円。
    13円も出して、元が 取れるものですか?

 ヒデ:いやいや、とてもじゃねえが、元なんざ取れやしません。
    
    あっしら相手の 商売人なんてのは、足元 見てきやがるんでね、
    これだけの品物 持って行ったって、
    まぁせいぜい 4円か、いっても4円50せんが いいところだ。
    
    でもね旦那、こいつァ損得そんとくの話じゃねえんスよ。
    
    仲間が集まってる前で 旦那の煙草たばこれ ポーンと叩きつけて、
    「どうだ!おめえらが 抜けなかった煙草たばこれ、俺が 見事に 抜いてきたぜ!」
    そう言って 自慢してえだけなんで。
    
    (頭を下げる)
    おねげえしやす、どうか、あっしに10円でゆずっておくんなせえ!

老紳士:ちょちょちょ……、
    まあまあ、どうか頭を 上げてください。
    
    なるほどねぇ……。
    いや、私は しがない商人あきんどですがね、
    仲間内なかまうち見栄みえを張りたい気持ちというのは、
    よくわかりますよ。
    
    ふむ、せっかく こうして 腹を割って 話して下さったことだし……、
    では10円で、買っていただくとしましょうか。

 ヒデ:売ってくださる!?
    ありがとうごぜえやす!
    
    じゃ、お気の 変わらねえうちに。
    10円、どうぞ 受け取ってくだせえ。
    
    で、そちらの煙草たばこれ……、
    へい、確かに頂戴ちょうだいしやした!
    
    
    あ、このことなんですがね、誰にも おっしゃらねえように、
    どうか 内緒ないしょにしといて おくんなせえ。
    バレちまったら カッコがつかねえんで……。

老紳士:はっはっは。わかりました。
    では、我々だけの 秘密ということで。

 ヒデ:ええ、おねげえしやす。
    
    では、これで あっしの おねげえってのは しまいですんで。
    どうも、お時間 取らせちまって 悪うござんした。

老紳士:ああ いえいえ。
    
    では、ここの甘酒代あまざけだいは私が……

 ヒデ:いやいや とんでもねえ!
    わざわざ 付いてきてもらったんだ、あっしが 払いやすよ。
    
    (茶店の店員に)
    オウ、すまねえ! いくらだい?
    
    オウ そうかい、じゃ ここ 置いとくぜ。
    あァ 釣りは いらねえ、取っといてくれ。
    
    (老紳士に)
    旦那、どうも ありがとうござんした。
    それでは、くれぐれも ご内密に。
    
    じゃ、あっしはこれで。(去る)


    

老紳士:行っちまった……。
    
    不思議なことも あるもんだねぇ……。
    
    それにしても、うできのスリが 寄ってたかって
    ワシの腰の物を 抜き取ることができなかったとは、
    ワシも なかなか 捨てたモンじゃないな。
    
    身体からだに スキがないなんて言われりゃあ、
    まんざら 悪い気もしないねぇ。
    
    それに あの煙草たばこれも、もうずいぶん長く使ってたしねぇ。
    あれだけ使って 10円で売れたんなら、もうかったようなもんだ。
    
    今日は思わぬことで 10円なんて金が入ったし、
    これから どこかで一杯……………………ん…………?
    
    あれ…………?
    
    
    財布がない!!

 


 

 ヒデ:(スリのたまり場。集まったスリ仲間たちに向けて)
    どうだ オメエら、仕事ってのァ こういう具合に やるんだ。
    
    いいか?
    オメエらはよォ、煙草たばこれを 抜き取ろうと思ったら、
    もう煙草たばこればかりを 見てんだろ?
    それじゃ ダメなんだよ。
    
    仕事がしやすいように、財布に 形を変えてやりゃあ いいんだよ。
    これが兵法へいほうってヤツだ。
    
    その財布に 形を変えるのに 10円かかろうが 20円かかろうが、
    しくも なんともねえんだ。
    そのぜには、仲間ァ連れて またこっちに 戻ってくるんだからなァ。
    
    世の中が チョンマゲ捨てて 明治へと 変わったんだぜ?
    これからは ぬす稼業かぎょうも、ちったぁアタマ 使わなきゃいけねえぞ?わかったか?

 兄貴:おうヒデ、ずいぶんと売り出してるじゃねえか。

 ヒデ:ああ、アニキ!

 兄貴:よせやいアニキなんて。
    俺はもう 綺麗に 足 洗って、今じゃ カタギだ、
    お仲間扱いは 勘弁してくれ。
    
    しかしオメエは 頭の働く男だなァ。
    そこで オメエの話 聞いてて、俺ァ 感心したぜ。
    
    なぁヒデ、それだけの才覚さいかくよぉ、なにも こんな稼業かぎょうに使うこたァねえやな。
    いい方へ 向けりゃあ オメエ、何やったって 一人前以上の人間に なれると思うぜ?
    
    どうだい、このへんで 心 入れ替えて、足 洗う気にゃあ ならねえか?

 ヒデ:ま~た始まったぜ、アニキの説教。
    もう 勘弁してくれよ。
    
    あのなアニキ、俺とアニキとは 違うんだよ。
    アニキは、間違って こんな世界に来ちまったんだ。
    もともと カタギになって 当たり前の人間なんだ。
    
    俺は違うぜ?
    オギャアと生まれた時から この世界だ。
    
    自慢にも なりゃしねえけど、俺ァ 親に飴玉あめだまひとつ 買ってもらった覚えは ねえよ。
    あめがほしいの 菓子かしがほしいの 言ったら、「てめえでぬすんで来い」って、
    そう言われて 育ってきたんだ。
    
    泥水どろみずほねずいにまで み込んじまってんだ。
    今さら どうにも ならねえじゃねえか。
    
    それよりアニキ、アニキの方こそ、今じゃつまらねえ小商こあきないで、
    こまけえぜに かせいで 暮らしてるそうじゃねえか。
    
    もったいねえなァ、こっちの稼業かぎょうじゃ その何倍、
    何十倍も かせぐウデが あったってのによォ。
    
    どうだいアニキ、心 入れ替えて、またこっちに戻る気は ねえかい?

 兄貴:馬鹿なこと言ってんじゃねえや。
    俺ァ 真面目な話を してんだぜ?
    
    それと言うのも、オメエという人間が もったいねえと思うからだ。
    他の連中に こんなことは言わねえよ。
    
    なぁヒデよォ――
    オメエ 一生 こんなこと 続けるつもりか?
    オメエの人生、それでいいのか?

 ヒデ:しょうがねえじゃねえか!
    
    今さらだいかんに なろうったって 無理な話だろうが。
    俺ァこれ以外、なんのウデも ねえんだ。
    
    ――けどアニキ、ひとつだけ 言わせてもらうぜ?
    
    俺はなァ、ここいらの連中みてえに、
    ぜにに なりゃあ どんなシゴトでもするような、
    そんな気持ちだけは 持ってねえぜ?
    
    はばかりながら、俺ァ「あくどいシゴト」ってヤツだけは したことねえんだ。
    
    このぜにがなかったら 明日あしたかまのフタがかねえ なんてヤツのふところなんざ
    いっぺんだって 狙ったことはねえ。
    これくらいのぜに られたって 痛くも かゆくも ねえようなヤツの ふところか、
    ヘタにぜになんざ 持たせねえほうが 世の中の ためンなるってヤツの ふところしか
    狙ったことはねえんだ。
    
    これだけはなァ、ハッキリ言っとくぜ。

 兄貴:ほォ……。偉そうなこと 言うじゃねえか。
    
    じゃオメエにくがよォ ――
    
    今日 ウチの長屋で、オメエ、シゴトしなかったか?

 ヒデ:おいアニキ、妙な 言いがかりは 勘弁 願いてえな。
    
    たしかに アニキの長屋へは 行ったよ。
    近所を 通りかかったから ちょいと 寄ってみたんだ。
    けどアニキは留守だって言うから すぐ帰ってきたんだ。
    
    言っちゃあ悪いがよ、あんな貧乏長びんぼうなが
    それも アニキが住んでる 長屋だぜ?
    そんなとこで 俺が 仕事なんざ するワケねえじゃねえか。

 兄貴:……かど駄菓子屋だがしやでよォ、一文笛いちもんぶえ ぬすんだの、オメエじゃねえか?

 ヒデ:一文笛いちもんぶえ……?
    
    ああ、アレか!
    
    なんだよ、俺が 長屋から 何か ぬすんだ みてえな口ぶりだから
    ビックリしちまったよ。
    
    なんだ、あの笛のことか。
    ああ、アレだったら アニキの言うとおり、俺だよ。
    
    いや、帰りがけに あのかどのほう 行ったらよ、
    駄菓子屋だがしやに ガキが 大勢おおぜい集まってやがってよ。
    
    何やってんだと思って ヒョイと見てみたら、
    おろしがゴソっと、あの、一文笛いちもんぶえってのかい?
    いろんな色の オモチャの笛、あれを 下ろしてるところでよ。
    
    ガキどもは 大喜びだ。
    もう手に取って ピィピィ鳴らしてるヤツもいりゃあ、
    どの色の笛にしようか 迷ってるヤツもいる。
    
    みんな楽しそうに 騒いでるってのに、そっから ちょいと離れた所によ、
    ひとりだけ ポツンと立ってる ボウズがいたんだ。
    
    せた体に 洗いざらしの着物 着て、
    髪も バサバサに伸びた みすぼらしいガキでよ。
    仲間に入りたそうな顔して 立ってんだ。
    
    しばらくは 指くわえて 眺めてたんだが、
    みんなが あんまり面白そうに 騒いでるもんだから、
    辛抱しんぼうできなくなったんだろ、
    遠慮しながら寄って行って、笛を1本 手に取った。
    
    そしたら、あの駄菓子屋だがしやのババア ――
    前から いけ好かねえババアだと思ってたが あんじょうだ。
    おっそろしい顔して その子の持ってた笛 ひったくってよォ、、
    
    ぜにのない子は あっち 行っとくれ」
    
    こんなことかしやがった。
    
    俺ァ なんだか ガキのぶん手前てめえの姿 見てるようで、
    カーッと来ちまったもんだからよォ、
    
    通りがけに その笛 ひとつ取って、
    その子の ふところに 放り込んでやったんだ。
    
    それが どうかしたかい?

 兄貴:やっぱりオメエだったんだな……。
    
    あのあと どうなったと思う?
    
    その子が気付かねえうちに ふところに 何か入ってる。
    何だろと思って 探ってみりゃあ、買った覚えのねえ笛だ。
    
    妙だとは思ったが、そこは子供だ、
    ましてや 欲しかった笛、どうしたって 吹きたくもなるさ。
    口へ持ってって ピィと鳴らしてみた。
    
    そしたら ババアが 目ざとく 見付けやがって、
    「オマエに買ってもらった覚えはない。さてはぬすんだな、この泥棒」
    そう言って、父親のところへ 引っ立てて 行っちまった。
    
    その子の おっつぁんてのはな、元さむらいぞくだ。
    おっかさんは 何年か前に 死んじまって、父ひとり 子ひとりの 二人暮らし。
    おっつぁん自身も ながわずらいで ロクに足腰が 立たねえもんだから、
    ないしょくで どうにか 食いつないでるって 家だ。
    
    だが 貧しくても 元はさむらいだ、誇りってモンがある。
    てめえの息子が ぬすみを働いた なんて聞かされて、タダでむと思うか?
    
    「貧乏はしても、ぬすみをするような子供に 育てた覚えはない。
    ぬすは ウチから出て行け」
    
    そう言って、その子を 放り出しちまった。
    
    長屋の連中が なだめようとしたって 聞く耳 持たねえ。
    
    その子は 涙ながらに 「覚えがない」と訴えたが、
    現に ふところから 笛が出てきたんだから どうしようもねえや。
    
    家から 閉め出されちまった。
    
    はじめのうちは ワァワァ泣いてたんだが、
    しばらくして 泣き声が 止んだかと思うと、妙な音がした。
    
    長屋の連中が 慌てて 飛び出してみるってえと……、かわいそうに……、
    その子なぁ、井戸に 身を 投げたんだ!

 ヒデ:ええっ!?

 兄貴:長屋の連中が すぐに その子を 引き上げた。
    
    どうにか 息は吹き返したが、気ィ失ったまま、
    いまだに 目ェ覚まさねえ……。
    
    
    おいヒデ、さっきの 口ぶりよォ ――
    もしかして オメエ、いい事 した気にでも なってたんじゃねえのか?
    
    子供が かわいそうだと思ったんなら、たかが 5りんや1せんの笛、
    どうして ぜに出して 買ってやらねえんだ!
    それがぬす根性こんじょうだってんだ!
    
    オイ、テメエ さっき何て言ってた?
    ずいぶん 偉そうなことかしてやがったなァ。
    
    このぜにがなかったら 困るようなヤツの ふところは 狙わねえ?
    このぜにで 困るの 困らねえの、それが どうして オメエなんぞに 分かるんだ。
    
    どんな恰好かっこうしてようと 誰が 持ってようと、
    そのぜにが どんな事情のあるぜにか、
    まわりまわって どこの誰が どんな迷惑するか、
    オメエ いっぺんでも 考えたことあんのか!
    
    世間せけんのことなんざ なんにも知らねえ ガキのくせ しやがって、
    でけえ口 たたいてんじゃねえ!!

 ヒデ:…………。
    
    アニキ…………、
    
    すまねえ…………。

 兄貴:俺に謝ったって どうしようもねえだろうが。
    
    
    オイ、もし あの子が死んだら、オメエどうするつもりだ?
    
    どう言って 親に 詫び入れるつもりだ!

 ヒデ:勘弁してくれ……! これに免じて……!
    ふんッ!!(懐から刃物を取り出して右手の人差し指と中指を叩っ切る) ぐぁッ!!

 兄貴:ヒデ!! この馬鹿野郎!!
    
    (周囲の連中に)
    オイ誰か! 急いで ぬのきれ 持って来い!
    このバカ、テメエの 指2本、切り落としやがった!
    
    (誰かが布きれ持ってくる)
    おう、ぬのきれ 持ってきたか!
    右手だ右手!
    人差し指と中指の根元ねもとのとこだ!
    きつく しばれ! とにかく血を止めろ!
    
    落としちまった指は……もう しょうがねえ……。

 ヒデ:(激痛。意識も朦朧。涙ながらに)
    アニキ……、俺、今日限り スリやめる…………
    足……洗うよ…………。

 兄貴:わかった。わかったから ジッとしてろ。
    
    (布きれ巻いてる奴に)
    おう、もっと グルグル巻きにして ――
    よし、そこんとこで しっかり くくってやれ。
    
    ふぅ、とりあえず そんなもんでいいだろ。
    
    (また別の奴に)
    ああ、そこのわけえの、その匕首あいくち 拾っといてくれ。
    そんな物騒ぶっそうなモン 放り出してちゃ 危ねえからな。
    
    まったく、なんてバカなマネ しやがるんだ……。

 ヒデ:けどアニキ……、
    
    俺みてえな、ぬす稼業かぎょうしか 知らねえ ろくでなしが、
    カタギになんて、なれんのかな……。

 兄貴:当たり前じゃねえか。
    オメエは 何だってできる 能があるんだ。
    俺に任しとけ。

 ヒデ:おねげえしやす……、アニキの手で、
    俺を、人並みの カタギにしてくれ……、このとおりだ……。

 兄貴:わかった。だからもう あんまり喋んな、傷に さわる。
    
    オメエほどの人間だ。どんなことがあっても、俺が 一人前の男に してやる。
    
    いいか?これから すぐ医者へ行け。
    血が止まって 落ち着いたら、明日でも あさってでもいい、
    俺んところへ来い、わかったな?
    
    (周囲の連中に)
    おうオメエら、2、3人 付き添ってよぉ、
    コイツ 医者へ 連れてってやれ。

 


 

 ヒデ:アニキ、昨日は 騒がしちまって、すまねえ……。

 兄貴:おうヒデ!上がれ上がれ。
    
    右手の具合は どうだ? もう痛まねえか?

 ヒデ:俺の手なんざ どうだっていいんだ。
    
    あの子、まだ生きてるか?
    死んじまったか……?
    
    あの子に 死なれちまったら、
    俺ァ どうしていいか分からねえ……。
    
    生きてるか……?

 兄貴:生きてるよ。
    
    ……ただ生きてるってだけの話だけどな……。
    
    気ィ失ったまま、まだ目ェ 覚まさねえ……。

 ヒデ:医者に見せてねえのか?

 兄貴:そりゃ見せたさ。
    
    けど こんな 貧乏長びんぼうながに来るような医者じゃ どうにもならねえ。
    安静あんせいにしといて下さいだの 様子を見ましょうだの、
    当たりさわりのねえこと 言って 帰っていくだけだ。

 ヒデ:どっかに いい医者は いねえのかよ!

 兄貴:まぁ、いねえことも ねぇんだがな……。
    
    ほら、おもてどおりに、たみってつくざかが あるだろ?
    そこの大旦おおだんしゅ治医じいの、ナントカって医者が、毎日 往診おうしんに 来てんだ。
    
    なんでも 洋行帰ようこうがえりで がくはかだか 何だかで、
    まぁとにかく ウデは いいらしいんだ。

 ヒデ:じゃ、そいつに頼みゃ いいじゃねえか!

 兄貴:今朝 頼んだんだ。
    
    ところがよ、困ったことに この医者、
    金が好きで 貧乏人が嫌いなんだ。
    
    頭 下げて 頼みこんで、どうにか 長屋に 来てもらってよ、
    いちばん上等じょうとうの 座布団 だしてやったんだが、
    ごこ 悪そうに 座りやがってよぉ。
    まぁそれでも、るだけはてくれたんだ。
    
    その医者が言うには、このまま 放っておいたら、
    九分くぶどおり 死ぬってんだ。

 ヒデ:ええ!?

 兄貴:けど、すぐに 入院させて、しかるべき手を 尽くしたら、
    この子は 元通り 元気になる、間違いなくうってんだ。
    
    「それじゃ先生、その入院てヤツを」と言いかけたら、その医者、
    「則書そくしょ」とか ナントカ 書いた 紙きれ 出してよ、
    
    「この紙に書いてある内容を よく読んで、
    前金まえきん20円を 用意のうえ、手続きを取りなさい」。
    
    それだけ言って 帰ってったよ。
    
    20円だとよ。
    あっさり言ってくれるじゃねえか。
    
    そんな大金、長屋じゅうのぜに 集めたって
    用意できるかどうか 怪しいもんだぜ。
    
    裏のタケんところよォ、昨日 カカアが 8せんりんの おかず 買ったって だけで、
    「贅沢ぜいたくだ!」ってんで 夫婦喧嘩してんだぜ?
    
    8せんりんで喧嘩になるような 貧乏長びんぼうながで 20円なんてよぉ……。
    
    俺ァ今日ほど ぜにが欲しいと 思ったことはねえや。

 ヒデ:……。
    
    アニキ、その医者、今どこにいるんだい……?

 兄貴:ああ、また表通おもてどおりの酒屋に戻ってるよ。
    今ごろは くらしの上等じょうとう一杯いっぱいやってるんじゃねえか?
    
    そうやって いいこころちで 酔っ払って帰るのが 日課らしいからな。
    
    いい身分なもんだぜ。

 ヒデ:……。
    
    そうか……。
    
    アニキ、すまねえ、俺ちょっと出てくる。(席を立つ)

 兄貴:ん?
    
    おいヒデ、オメエ 頼みに行くつもりか?
    
    やめとけやめとけ、ぜにまなきゃ 話にならねえんだ。
    
    オイ! オーイ!
    
    行っちまいやがった……。

 


 

 ヒデ:(帰って来る)アニキ。

 兄貴:おうヒデ。
    
    ダメだったろ?
    
    しょうがねえんだ、ああいう手合てあいは、
    ぜに 見せなきゃ 動いちゃくれねえ。

 ヒデ:(兄貴の前に財布を出す)
    アニキ、何も言わねえで、このぜにで、その子 入院させてやってくれ。

 兄貴:おい、なんだよ この財布。

 ヒデ:そん中に、4、50円 入ってるはずなんだ。

 兄貴:オメエ……、コレどうしたんだ……?

 ヒデ:俺が 酒屋の前に行ったら、人力俥じんりきしゃが停まってた。
    あの医者を 送ってくために 待ってるヤツだ。
    
    見たら、しゃが 居眠りしてて。
    俺、くるまの陰に隠れて 様子 うかがってたんだ。
    
    そしたら、お医者のセンセイが 出て来て。
    
    酔って 千鳥足ちどりあしンなって、ふらふら くるまのほうへ 歩いて来やがったから、
    俺、すれ違いざまに、ヒョっと、こう…………、そいつのふところから……、

 兄貴:なんだとォ……?

 ヒデ:アニキぃ、そんな顔しないでくれよぉ……。
    
    約束 やぶっちまったのは 悪かった……。
    
    けどよぉ、あの子に 死なれちまったら、
    俺ァもう どうしていいか 分からねえんだ……。
    
    このぜにだってよォ、一旦 こっち通るだけで、
    また向こうへ 帰るんじゃねえか。
    
    頼むよアニキ。
    俺だって このままませるつもりなんざねえ。ちゃんと 名乗って出る。
    けど、今 俺が名乗って出たら、あの子を助けられねえ……。
    
    このぜにで入院させて、もう元通りだ 大丈夫だってことが 分かったら、
    俺、懲役ちょうえきでも どこでも行くよ。
    
    だからアニキ、今回だけ、見逃してくれ!おねげえだ……!

 兄貴:そりゃまあ……、子供の命に 関わることだ、
    見逃すも 見逃さねえも ねえけどよぉ……。
    
    しかし オメエは 名人だなぁオイ。
    
    右手の 人差し指と 中指、指 2本も 落として、
    よく これだけの 仕事が できたな!

 ヒデ:アニキ、
    実は俺、ひだりきなんだよ。 

  



おわり

その他の台本                 


参考にした落語口演の演者さん(敬称略)


桂米朝(3代目)
林家正蔵(9代目)


何かありましたら下記まで。
kurobekio@yahoo.co.jp

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