声劇台本 based on 落語

一文笛いちもんぶえ -上方版-


 原 作:3代目 桂米朝
 台本化:くらしあんしん


  上演時間:約25分


【書き起こし人 註】

この台本は、人間国宝・故 桂米朝師匠の創作落語を声劇用の台本にしたものです。

アドリブ・口調変更・性別転換 等々OKです。



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<登場人物>

・ヒデ(セリフ数:35)
 腕利きのスリ。


・兄貴(セリフ数:20)
 ヒデの兄貴分。元スリだが、今は足を洗って堅気になっている。


・老紳士(セリフ数:13)
 身なりの良い老紳士。腰に提げた煙草入れをスリ達に狙われる。


<配役>

・ヒデ:♂

・兄貴/老紳士:♂



【ちょっと難しい言葉】

チボ
スリのこと。

今日ら(きょうら)
このごろ。

引き合う(ひきあう)
割にあう。もうけがある。

覚悟の前(かくご の まえ)
覚悟の上。

ねがけてるさかい
狙っているから ※「ねがける」=狙う、目をつける。

あけへん
あかん。駄目だ。

得心(とくしん)
納得すること。

おまはん
おまえさん。

左官(しゃかん)
左官(さかん)と同じ。壁塗り職人。

釜のふたが開かない(かまの ふたが あかない)
米を買う金もない(従って釜を使うことがない)ほど貧窮すること。

端(はな)
物事の初め。最初。

最前(さいぜん)
さっき。先刻。

頬桁を叩く(ほおげた を たたく)
口をきく。しゃべる。言う。(非難の意を込めた表現)

匕首(あいくち)
つばのない短刀。

高高指(たかたかゆび)
なかゆび。「丈高指(たけたかゆび)」の転。

あんじょう
いいぐあいに。うまく。

テコに合わない(てこ に あわない)
手に負えない。

洋行(ようこう)
西洋に旅行・留学すること。 請け合う(うけあう)
責任をもって,確かに約束を果たすと引き受ける。

去ぬ(いぬ)
行ってしまう。去る。「往ぬ」とも。

すっくり
すっかり。すべて。

しないな
しなさんな。「そんな顔しないな」=「そんな顔しなさんな」。

俥夫(しゃふ)
人力俥(じんりきしゃ)を引く職業の人。

ぎっちょ
左きき。




ここから本編




ヒデ:旦那!もし、だんさん!

老紳士:私ですか?

ヒデ:えらい、突然声かけて、あいすまんこってす。
   実はその…、ちょっとお願いの筋がございますねやが…。

老紳士:何でおまっしゃろ?

ヒデ:立ち話も何でっし…。
   いえ、決してお手間は取らせまへんねやが…、ちょっとそこの茶店ちゃみせまでお付き合い願えまへんやろか?
   いえ、じきに済むこっておます。お手間は取らせまへんよってに。

老紳士:はぁ、そこまでおっしゃるなら…。
    わかりました。ほなご一緒しましょか。

ヒデ:こらおおきにありがとうございます。
   ほな、参りましょか。

 


 

ヒデ:どうぞ、どうぞまぁそこへお掛けやす。
   
   (茶店の店員に)ん、甘酒2つてきて。
   
   えらいどうも、見ず知らずの人間が道の真ん中で突然呼び止めまして、申し訳ないこっておます。
   
   お願いの筋と申しますんは……、あんさん、えらいええ煙草入たばこいれをげてはりまんなぁ。

老紳士:これですか?
   …ええまぁ、ええと言うほどのもんでもないが、まぁ気に入ってげてますねやが…。
   
   これがどうぞいたしましたか?

ヒデ:実はその煙草入たばこいれを、私が3円で買いました。

老紳士:はぁ?私ゃ売った覚えはないが。

ヒデ:いや、あんさんはご存じないこってんねやが…、
   (甘酒が運ばれてくる)
   あ、ああ、甘酒おおきに。
   
   ま、どうぞ飲みながら。
   
   実はわたくしはその……、大阪のチボ、スリでおまんねや。

老紳士:えっ!?あんさんスリ!?

ヒデ:シーッ!!声がこおますがな。
   そないびっくりしてもぉたら困ります。こっちから、割ってお話をしとりまんのんで。

老紳士:はぁ…。

ヒデ:実は、我々の仲間のある男が、あんさんのその煙草入たばこいれに目を付けましてな。
   ええしなもんやなぁ欲しいなぁと思て、堺筋さかいすじ長堀ながほりのあたりから、ず~っとあとをつけとったんですが、
   あんさんのお身体からだにど~してもスキがないので 抜き取ることがでけへんかったんやそうで。
   
   ほて、八幡筋はちまんすじですかなぁ…あのへんまで下って来たら、また別の仲間にうたんやそうで。
   いやこらもう、スリ仲間てな見たらじきに分かりまんねん、
  「ああ、あれろとるな」ちゅうなもんで。
   
   ほて
   「ええ煙草入たばこいれやないかい。なんで早よ抜かんねん」
   「それが抜かれへんねん」
   「なんでよぉ抜かんねんあんな老いぼれ」…いやその…、こらどォも…、
   ま、陰ではどんなこっても言いまんがな、どうぞご勘弁を。
   いやほんで、
   「あんなお年寄りが提げてはる煙草入たばこいれぐらい、なんでよぉ抜かんねや」と。
   「いやもうどォしても抜けんねん」
   「よし!俺に1円で売れ!」
   …ちゅうてそいつが1円で買いよりましてん。その、腰につけたままで。
   
   まぁ、よ言うたら、「抜き取る権利」を買いよったんでんなぁこれが。

老紳士:へェ~ッ!そういうことがあるんですか!

ヒデ:そういうことがございまんねん。
   
   ほてこいつは1円出したもんやさかい、どうでも仕事にせんならんちゅうわけで、おあとしとうて南へ南へ参ったんやが…、
   なるほど、なんでもないように見えて、お身体からだにスキがないんですなぁ、「どうにもならん、どうにもならん」と言うて、
   道頓堀どうとんぼりへんまで来たら、おんなじようにミナミ流してたまた別の仲間に会うたんやそうで。
   
   こいつは、もともと江戸っ子でな、我々の仲間で「はやぶさ」とあだ名を取った、こらなかなかエエ仕事をするヤツで。
   「よしッ!おいらが一番!」ちゅうてコイツが2円出して買い取りまして。ほて、あとをつけて行きよった。
   
   で、私もおんなじようにミナミをふらふらしててその噂を聞いたもんやさかい、
   「こらおもしろい」ちゅうんで、じきにあとを追いかけてて、
   御蔵跡おくらあとへんで追いついたんやが、こいつもまだよぉ抜いてしまへんねん。
   
   「よォしワイに3円で売れ」ちゅうてまァ、3円でぉたんでおますが……。
   
   なるほど仲間が手こずったはずや。
   なんでもないように見える旦那のお身体からだにスキがないんですかなァ、どォ~しても抜き取ることができん。
   
   大阪、合邦辻がっぽがつじとこうやって参りまして…、どうやら、天王寺てんのうじさんへでもご参詣さんけいですのんかな、西門さいもんまで来てしまいました。
   
   彼岸中ひがんじゅうならともかく、こんな今日らみたいな閑散かんさん境内けいだいへ入られたら、こら余計どうすることもでけん、
   もぉ恥を忍んで、一番当たって砕けぃと思てまァ、お声を掛けさしてもろたような訳で。
   
   …どうでおまっしゃろ、それなァ、値段を付けて申し訳ないが、
   15、6円から20円近くはお出しになったしなかと思います。
   
   飽きが来て、道具屋へ払い下げたと思うて、どうでおまっしゃろ、それ私にひとつ、
   10円で譲っていただけまへんやろか?

老紳士:はぁ…。しかしあんた、さき3円出してなはる。
    今また10円出して…、この品物、13円も出して引き合いますか?

ヒデ:アホらしい、んなもん引き合いますかいな。
   
   私らのもんばっかりぉてくれるような店がおまんねんけどな、こういう商売人は足元見てまっさかい、
   これだけのしなもん持って行ったかて、まァ~せいぜい4円。4円50せんはむつかしいな。
   
   せやけど損は覚悟かくごまえでおます。
   
   「皆がどぉにもならなんだヤツを俺が見事に抜いてきたやろ」と自慢したいだけでお願いしとりまんねや。
   
   どうでおまっしゃろな、ひとつ、10円で 曲げてお願いできまへんやろか?

老紳士:そないまで言われたら断りにくいなコレせやけど…。
    
    ん~…ほなまぁ……、せっかく打ち明けて言うてくれはったんやさかい…、ほな10円で、ぉてもらいましょか。

ヒデ:えらいすんまへん御無理ごむりなことお願いしてもォ…。
   ほしたら、気の変わらんうちにコレ、へェ。ええ、確かにちょうだいいたしました。
   
   え~…どうぞあの、これ内緒にお願いします。こんな話あんまり自慢になるもんやおまへんさかい。

老紳士:はあ…。ほな、内緒ということで…。

ヒデ:おおきにありがとうおます!
   エエ、こいで私のお願い、話ちゅうんはしまいでおますよって。
   いやホンマ、お時間取らして申し訳ないこっておました。

老紳士:ああいえいえ。ではここの甘酒代は私が…

ヒデ:いやいやアホらしぃ!私が払いますがな。
   
   (茶店の店員に)
   おん、なんぼや?
   ん、さよか。ほなここ置いとくで。あァ釣りはいらん釣りはいらん。
   
   (老紳士に)
   ではだんさん、くれぐれもご内聞にお願いいたします。では、さいなら御免ごめん


   

老紳士:てしもた…。
    
    ……しかし不思議なことがあるもんじゃなァ~、へェ~エ。
    
    ま、しかし、腕利うでききのスリが2人も3人も寄って、わしの腰のものを抜き取ることがでけなんだちゅうのはまァ、
    悪い気もせんわい。
    
    あの煙草入たばこいれ、あれだけ使つこて10円で売れたらもうかったようなもんやな。
    
    思わぬことで今日は10円てな金が…、……
    
    かねが……………………
    
    
    財布がない!!

 


 

ヒデ:どや皆、仕事というものはこういう具合にせなあかんぞオマエら。
   
   ええか?オマエらなぁ、煙草入たばこいれを抜こうと思たら「煙草入たばこい煙草入たばこい煙草入たばこいれ~ッ」ちゅうて
   煙草入たばこいればーっかりねがけてる・・・・・さかいあけへん・・・・ねやないかい。
   煙草入たばこいれで抜きにくかったら形を変えたらええねん。これが兵法へいほうというやっちゃ。
   財布のほうが仕事がしやすいねん、そらせや。
   その財布に形を変えるのに10円かかろうが20円かかろうが、そのぜには仲間連れてまた戻ってくるんやさかいな。
   
   世の中がちょんまげ切り落として明治と変わったんじゃ。
   これからはぬすも ちぃと頭働かさなあかんで。

兄貴:ヒデ、えらい売り出してるやないかい。

ヒデ:おおアニキお越し。

兄貴:アニキてなこと言わんといてくれ。今では綺麗に足をあろォて、もうカタギじゃ。お仲間扱いは堪忍かんにんやで。
   
   しかしオマエはえらい男やなぁ、ええ?
   わしゃそこで聞いてて感心かんしん得心とくしんもしたわい。
   
   なあ、それだけの才覚さいかく、ええ方へ向けたらオマエ、どんな道へ進んだかて一人前以上の人間になれるんやが…、
   心入れ替えてひとつ、足洗う気にはならんかい。

ヒデ:また始まったアニキの説教、もォ堪忍かんにんしてや。いや~~もォ、あけへん・・・・ねやて、なんぼ言うたかて。
   
   そらなぁ、アンタとワイとは違うねん。
   おまはんはなぁ、間違まちごォてこんな仲間へ来たんや、カタギになって当たり前の人や。
   
   ワイは違うで。オギャアと生まれた時からこの世界や。
   自慢にもならんけど、ワイ親父に飴玉あめだま1個でもおてもろた覚えないな。
   「菓子が欲しいあめが欲しい」ちゅうたら「己でぬすんでこい」ちゅわれて大きなってきたんや。
   泥水どろみずほねずいにまでみ込んでるわい。今さら、どないもしゃあないやないかい。
   
   それよりアニキ、おまはんこの頃なさけない商売してるそやなァ。
   もったいないなァあれだけの腕、ええ?
   
   どや、心入れ替えてもっぺん戻る気ないか?

兄貴:何をかしとんねんヒデ。ワシゃなあ、真面目に話をしてんねん。
   お前という人間が勿体ないと思うさかいこんなこと言うてんねや、他のもんにはこんなこと言わへんわい。
   
   オマエ一生こんなことしてる気ィかい。

ヒデ:しゃあないやないかい!今さら大工にも左官しゃかんにもなれず、何のウデもないねや。
   
   その代わりなぁ、ワイはここらの連中みたいに、ぜにになったらどんな仕事でもする、そんな気持ちだけは持ってない。
   これだけはちょっと言わしてもらうわ。
   はばかりながらワイは「悪どい仕事」ちゅうやつだけはしたことないで。
   
   この金がなかったら明日の釜のふたが開かんてな奴のふところろたようなことはいっぺんもない。
   これくらいの金この人にあってもなかっても別にどうっちゅうこともないような人のふところか、
   こんな奴にこんな金、持たさんほうが世の中のためやちゅうような奴のふところしかろたことない。
   せやからワイは年中貧乏してんねや。
   これだけはなァちょっと言わしといてもらうわ。

兄貴:ほォ…。偉そうなこと言いやがったな。
   
   んならオマエ、今日ウチの長屋でなんであんなマネしたんや?

ヒデ:おかしなこと言わんといてやオイ。
   たしかに長屋へはたわい。近所まで行ったさかいちょっと寄ってみたんや。
   せやけどアニキ留守やちゅうさかい、じきに帰ってきたんや。
   
   言うてすまんけどあんな貧乏長屋で、それもアニキが住んでる長屋で、なんでワイが仕事したりすんねん!

兄貴:…かど駄菓子屋だがっしゃで、一文笛いちもんぶえぬすんだんはオマエと違うか。

ヒデ:一文笛いちもんぶえ…?
   
   あァ~~、何を言うのかと思たらアレかい。ああ、あらワイや。
   
   いやな、おまはん留守やちゅうさかい帰りかけたんや。
   ふっと見たらあの角の駄菓子屋だがっしゃんとこに子供がぎょうさん集まってんねや。
   何かいなァと思たら、卸屋おろっしゃがゴソっとあの、あれ、一文笛いちもんぶえちゅうのんかい?オモチャの、安もんの竹の笛、
   赤やら青やらに染めたぁるなァ、あれをおろしてたとこや。
   
   子供が集まってきて、こいつを、ピィピィピィピィ吹いてる奴がある、
   あれおかこれにしょうかて選んでる奴があるわい、皆おもしろそうに騒いでんのに、
   一人だけちょっと離れた所でな、みすぼらしい洗いざらしの着物着て、髪バサバサに伸びた、
   せた子ォが、離れて立って見とんねや。
   
   指くわえて見てたけど、皆があんまりおもしろそうにしてるもんやさかい、
   自分も遠慮しながらそばへ寄ってて、1本笛を抜き取って こう見てたらあの駄菓子屋だがっしゃばば
   あっこのばば、顔見ただけでムカムカするようなばばやで、恐い顔してその笛シューっとひったくって、
   ぜにのない子はあっちてんか」。こない言いよった。
   
   ワイ ムカ~ッときてな、おのれの小さい時分じぶんの姿見るような気がして、「このクソババ」と思たさかい、
   通りしなにあの笛ひとつシュッと取ってその子のふところり込んで帰ってきたんやが、それがどないぞしたんかい?

兄貴:やっぱりオマエやったんやな…。
   
   あのあとどないなったと思う?
   
   子供 ふところへ手ェ入れたらぉた覚えのない笛が出てきた。
   おかしいなぁとは思たけどそこは子供や、口ぃ持っていてピィと鳴らすわい。
   ほんならばばが それ見つけて、
   「お前にぉてもろた覚えはない、さては盗ったなぬすんだな泥棒 ぬす
   ちゅうて親父のとこへ引ったててたんや。
   
   あの子のおっつぁんちゅうのはな、元さむらい士族しぞくや。
   腰の立たんような病気になってな。母親はとうに死んでおらへんねや。
   手内職てないしょくでやっとおかいさん食べてるっちゅうようなうちや。
   
   「貧乏はしてもぬすみをするような子供には育ててないはずや。お前みたいなウチの子やない出ていけ」っちゅうねや。
   
   長屋のもんが謝ってやっても聞くような親父やあらへん。
   子供が泣いて「覚えがない」と言うたかて現にふところから笛が出てきたんやさかいしゃあないがな。
   
   閉め出されてしもて。
   
   はなはわぁわぁわぁわぁ泣いてたんやが、ふっと泣き声が聞こえんようなったとおもたら妙な音がしたさかい、
   近所のもんが出てみたら、かわいそうに……、子供、井戸へ身ィ投げたで!

ヒデ:え!?

兄貴:長屋のもんがびっくりして、じきに引き上げた。
   息は吹き返したけれども、どっか打ちよったんかな…、ず~っと寝たきりで今だに気が付かん。
   
   ワシゃ仕事から帰ってきてこの話聞いてオマエが来たちゅうこと聞いたさかい、
   こらひょっとしたらヒデの仕業しわざやと思て出てきたんやが…。
   
   おい、オマエ何ぞええ事でもしたように思てたんと違うか?
   
   子供がかわいそうやと思たら、たかだか5りんや1せんの笛、なんでぜに出して買ぉてやらん!
   それがぬす根性こんじょうやちゅうねん!
   
   ワレ最前さいぜん偉そうなこと抜かしたな。
   この金がなかったら困る奴のふところは狙わん?それがなんでオマエに分かるねん。
   
   どんな恰好してようと誰が持ってようと、その金がどんな事情のある金か、
   まわりまわってどこの誰がどんな迷惑するか、いっぺんでも考えたことあんのかい!
   
   生意気なほおげた叩くな!!

ヒデ:……すまん…

兄貴:ワシに謝ったかてしゃぁないやないかい。
   
   この子が死んだら、オマエ親にどない言うて申し訳する気やねん。
   どないすんねん!!

ヒデ:堪忍かんにんしてくれ…!これに免じて…!
   ふんッ!!(懐から刃物を取り出して右手の人差し指と中指を叩っ切る) ぐぁッ!!

兄貴:何をすんねん!
   
   (周囲の連中に)
   オイ!誰か!布きれかなんか持ってきてくれ!!このドアホ、血迷ちまよぉて己の指切ってまいよったんじゃ!
   
   (誰かが布きれ持ってくる)
   おう布きれおおきに。右手じゃ右手。
   人差し指と高高指たかたかゆびの根元のとこな、ギュ~っとぐるぐる巻きに縛れ、血ィ止まるまで!

ヒデ:アニキ…、ワイ今日限りスリやめる…カタギになる…。

兄貴:わかった。わかったさかいジッとしてえ。
   
   (布きれ巻いてる奴に)
   おう、力いっぱいくくれよ。
   
   (また別の奴に)
   ああ、そこのもん、その匕首あいくちひろといて。そんな物騒なもんり出したぁったら危ないさかいな。
   
   思い切ったことやりやがったなこいつ…。

ヒデ:せやけどアニキ…、ワイぬすより他なァんも知らん人間や…。今日から、あんじょう・・・・・引き回し頼む…。

兄貴:わかった。オマエだけの人間や。どんなことがあってもワシが一人前の男にしてみせる。
   
   じきに医者へ行け医者へ。血が止まって、始末してもろたら、明日でもあさってでもええ、ウチぃ来い。
   なん~ッぼでも相談に乗ったるさかいな!

 


 

ヒデ:アニキ、昨日は騒がしてすまん…。

兄貴:おうヒデ。こっち入れ。右手はどうや?もう痛まんか?

ヒデ:ワイの手ェみたいなどぉでもええねん。
   子供まだ生きてるか?……死んだか?
   あの子に死なれたらワイどないしてええや分からん。生きてるか…?

兄貴:まだ生きてる。……というだけのこっちゃ。
   ず~っと寝たきりで、まだ気が付かん。

ヒデ:医者は!?

兄貴:そら医者にも見したわい。せやけどこんな貧乏長屋に来てくれるような医者のテコに合うかいな。
   「えらいこっちゃなぁ」ちゅうて顔見合わしてるだけや。

ヒデ:どこぞにええ医者はおらんのかい!?

兄貴:そこにな、伊丹屋いたみやちゅう酒屋があるやろ。
   あすこへ北浜きたはま高田たかだっちゅうお医者はん、洋行帰ようこうがえりで博士はかせで偉い先生やそぉな、これが毎日往診おうしんに来とんねや。
   
   で、こいつ頼もかと思たけど、困ったことにこの医者、金が好きで貧乏人が嫌いやねん。
   
   騙すよぉにして連れてきて、長屋でいちばん上等の座布団出したけど、心地悪そうに座りやがって。
   けどまぁるだけはてくれた。
   
   「こんなりっといたら、まぁ六分ろくぶぐらいは死ぬ。助かっても、頭がアホになる」ちゅうねや。
   
   せやけど「これをすぐ入院さして手に手を尽くしたら、今度は逆に八分はちぶまでう」と、こない言うてくれたんや。
   
   「ほんなら先生その入院ちゅうやつを」て言いかけたら、何や書いた紙出しよってな、
   「規則書きそくしょ」とか何とかいうのんや、それ出してな、
   
   「入院さしたかったらこれに書いてある通りにして手続きを取りなさい。20円という前金を用意して」。
   
   いちばんしまいにペッとこない言うてにやがった。
   
   20円。あっさり言いやがったでホンマに。この長屋のぜにすっくり集めたかて危ないでェひょっとしたら。
   
   裏のタケとこなァ、昨日嫁はんが8せんりんのおかずぉた言うて「贅沢やー!」ちゅうて夫婦喧嘩しとんねで。
   8せんりんでケンカなるような長屋で20円やなんて…。
   
   ワシゃ今日ほど金が欲しいと思たことないな。

ヒデ:…。その医者はもうんだか?

兄貴:いや。またあの酒屋戻ってな、蔵出くらだしのとっときの上等の酒飲んで、いっつもほろ酔い機嫌きげんで帰んねやないかい。

ヒデ:…。さよか…。まだ、おるか…。

兄貴:ん?ああ、あけへんあけへん、頼んだかてアカンねや。
   金積まなんだら話にならんという有名な医者やないかい。口に風邪ひかすだけや。
   
   ……ん?おい、ヒデ!どこ行くねん!おい!

 


 

ヒデ:アニキ、何にも言わんとなァ、この金で、子供入院さしたってくれ!

兄貴:何じゃ?この財布。

ヒデ:4,50円入ってるはずや。

兄貴:どないしたんやオマエこれ。

ヒデ:いやあのあとワイ、酒屋の前行たがな。
   ほなあの医者の人力俥じんりきしゃが停まってた。
   見たら俥夫しゃふ居眠りしとって。
   
   ほてくるまの陰に隠れてたらな、みんなに送られてあの医者、酔ぉて千鳥足ちどりあしんなってな、
   ご機嫌きげんでフラフラこぉ出て来よったさかい、ワイふっとこぉすれ違いしなに、ちょっとこぉ…
   いただいてきたんやけど……いやそんな顔しないな。
   そら約束破ったんは悪いけどな、あの子に死なれたらワイどないしてええやわからん。
   
   この金かて、どうせいっぺんこっち通るだけでまた向こうへ帰るんやないか、な?
   
   そらもォ…名乗っても出る。せやけどな、今ワイが名乗って出たら子供助けることがでけへんがな。
   この金で入院さして、もぉ命が大丈夫や頭も確かやちゅうことがわかったら、ワイ懲役ちょうえきでもどこでも行く。
   
   せやから、もっぺんだけ見逃して、頼むわ!

兄貴:そらまぁ…、人間の命に関わるこっちゃさかい、見逃すも見逃さんもないけど………
   
   しかしオマエは名人やなオイ。
   この指2本飛ばして、よぉこれだけの仕事がでけたな!

ヒデ:アニキ、実はワイぎっちょ・・・・やねん。
  



おわり

その他の台本                 


参考にした落語口演の演者さん(敬称略)


桂米朝(3代目)


何かありましたら下記まで。
kurobekio@yahoo.co.jp

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