声劇台本 based on 落語

粗忽の使者そこつのししゃ


 原 作:古典落語『粗忽の使者』
 台本化:くらしあんしん


  上演時間:約30~40分


【書き起こし人 註】

古典落語をベースにしていますが、あくまでも"声劇台本"として作成しています。
なるべく声劇として演りやすいように、元の落語に様々なアレンジを加えている場合があります。

アドリブ・口調変更・性別転換 等々OKです。



ご利用に際してのお願い等

・上演を公開される際は、観覧無料の媒体のみで行うようお願いします。
 観覧自体が無料であればかまいません。いわゆる「投げ銭システム」に代表されるような、リスナーから
 配信者へ 金銭または換金可能なアイテムやポイントを贈与できるシステムの有無は問いません。
 ただし、ことさらリスナーに金銭やアイテム等の贈与を求めるような行為は おやめください。


・無料公開上演の録画は残してくださってかまいません(動画化して投稿することはご遠慮ください)。
 録画の公開期間も問いません。

・当ページの台本を利用しての有料上演はご遠慮ください。

・当ページの台本を用いて作成した物品やデジタルデータコンテンツの販売はご遠慮ください。

・当ページの台本を用いて作成した動画の投稿はご遠慮ください。

・台本利用に際して、当方への報告等は必要ありません。




<登場人物>

地武田じぶた 治部右衛門じぶえもん(セリフ数:83)
 30代~50代くらい。
 粗忽な侍。
 物忘れが激しく 間が抜けているが、本人は至って真面目。



・別当(セリフ数:33)
 ?歳
 治部右衛門の従者。



・馬方(セリフ数:11)
 ?歳
 治部右衛門の従者。馬引き係。
 微妙に田舎くさい喋り方をする。



田中三太夫たなかさんだゆう(セリフ数:59)
 ?歳。
 赤井御門守の家臣。
 真面目な人。



・トメ(セリフ数:43)
 ?歳。
 大工。
 お調子者。



・語り(セリフ数:4 )





<配役>

・治部右衛門:♂

・別当/トメ:♂ ※兼ね役色分け台本はこちら

・三太夫/馬方/語り:♂ ※兼ね役色分け台本はこちら


 ※配役はあくまでも推奨ですので、自由に変えていただいて構いません。



【ちょっと難しい言葉】

粗忽(そこつ)
軽率で不注意なこと。そそっかしいこと。

別懇(べっこん)
特別に懇意なこと。とりわけ親しいこと。

居敷き(いしき)
お尻のこと。

作事場(さくじば)
建築の仕事現場。工事現場。




ここから本編




   語り:いつの世にも、粗忽そこつな方というのは いらっしゃるものです。
      
      "粗忽そこつ"というのは まぁ、"そそっかしい" とか "おっちょこちょい" とか、
      あるいは現代では "天然てんねん" といったような意味になりますでしょうか。
      
      ついさっき言われたことを 覚えてなかったり。
      おでこに眼鏡めがねを乗せたのを忘れて 眼鏡めがねを探し回ったり。
      かと思えば 眼鏡めがねを掛けたまま 目薬を差しちゃったり。
      マスクを着けてるのを忘れて つばいちゃったり。
      あるいは マスクの上から 水を飲もうとしちゃったり。
      
      そういう お方というのは、はたで見ていて 大変 おもしろいものです。
      
      
      さて、その昔――
      
      杉平柾目正すぎだいらまさめのしょうというお殿様とのさま家臣かしんに、地武田じぶた 治部右衛門じぶえもんという、
      ちょっと変わった名前の お侍さんがいました。
      
      この治部右衛門じぶえもんさんという方が、それはそれは粗忽そこつな お人でして――

 


 

治部右衛門:弁当は いずこじゃーッ!
      弁当ーッ 弁当ーッ!
      弁当は いずこじゃーッ!

   別当:(馳せ参じて)
      治部右衛門じぶえもん様。

治部右衛門:おお!待っておったぞ!

   別当:(返事)はッ!
      空腹でござりまするか?

治部右衛門:ん?なことを申す。
      わしは空腹をおぼえてなど おらんぞ。

   別当:しかし今、弁当 弁当と……。

治部右衛門:何を申しておる。わしは おぬしを呼んでおったのだ。

   別当:いや あの……、お言葉ではござるが、手前てまえは"別当べっとう"で ござります。弁当では ござりませぬ。

治部右衛門:おお そのほうの名は 別当べっとうと申すのか。
      
      わしの名は 地武田じぶた 治部右衛門じぶえもんじゃ。

   別当:ぞ、存じておりまする。昨日今日 従者じゅうしゃになったのでは ござりませんので。
      
      ところで治部右衛門じぶえもん様、手前てまえを お呼びになったのは、いかなる御用ごように ござりましょうか?

治部右衛門:おお、そうじゃ。
      
      いや実は 今朝けさ殿とのからの ご命令でな、重大な お役目やくめおおかったのじゃ。

 


 

   語り:たいへん粗忽そこつ治部右衛門じぶえもんさんですが、人柄ひとがらは いたって真面目まじめな おかたでしたので、
      あるじである 杉平柾目正すぎだいらまさめのしょうさんは、彼を とても気に入っていました。
   
      そして今朝けさは、彼に 何やら 大役たいやくを申し付けたようで――

 


 

   別当:ほう、重大な お役目やくめ
      して、いかなる お役目やくめに ござりましょうや。

治部右衛門:アレじゃ。アレを おおせ付かった。

   別当:アレとは?

治部右衛門:じゃからアレじゃ、え~と……、
      
      王将おうしょう飛車ひしゃ……

   別当:王将おうしょう飛車ひしゃ……?
      
      将棋しょうぎの お相手で ござりまするか?

治部右衛門:いや そうではない。
      
      ん~、何であったかな……。え~……
      
      盲腸もうちょう医者いしゃ……

   別当:盲腸もうちょう医者いしゃ……!?
      
      では、殿とのに おかれましては、盲腸もうちょうわずらっておいででござりまするか!?

治部右衛門:いや そうではない。殿とのは いたって ご健勝けんしょうじゃ。

   別当:それは 安堵あんどいたしました。
      
      まぁ 仮に わずらっておられたとしても、治部右衛門じぶえもん様に
      医者いしゃ役目やくめおおせ付けられるとは思えませんが。

治部右衛門:ん~、何であったかな……。
      
      とうスポの記者……

   別当:ほう、どこかの大名だいみょうのスキャンダルをスッパ抜きまするか?

治部右衛門:そうではない。
      
      ほれ……、アレじゃ……、え~……、
      
      荒城こうじょうつき……でもなく……、
      
      明星みょうじょう支社ししゃ……、でもなく……

   別当:あの治部右衛門じぶえもん様……、ことによりますと……、もしかして、
   
      「口上こうじょう使者ししゃ」では ござりませぬか……?

治部右衛門:おお!それじゃ!口上の使者じゃ!
      口上の使者を おおかったのじゃ!

   別当:ずいぶん遠回りしましたな……。
   
      いや それはともかく、口上の ご使者とは、大役たいやくでござりまするな。

 


 

   語り:"口上の使者"というのは、自国じこくの お殿様とのさま伝言でんごんことづかって、それを伝えるさきの国へ みずかおもむき、
      そこの お殿様とのさま口頭こうとうで 伝えるという おつかいです。
      
      おつかいと言っても 内容によっては たいへん重要な任務であり、また名誉めいよ役回やくまわりでした。

 


 

治部右衛門:殿とのに おかれては、く 準備をいたせ とのおおせであるからな。
      猶予ゆうよは ならん。早速さっそく 支度したくを いたそう。
      
      弁当ッ!

   別当:(返事)はッ!
      
      すぐに作らせまする!

治部右衛門:ん?何をじゃ?

   別当:ですから、道中どうちゅう昼食用ちゅうじきようの弁当を。

治部右衛門:何を申しておる。そのほうに 呼び掛けたのじゃ。

   別当:手前てまえは 別当でござりまする。弁当ではなく。

治部右衛門:おお 左様さようであったか。

   別当:もう お忘れにござりまするか。

治部右衛門:まぁどちらでもよい。
      
      とにかくアレを持て。

   別当:アレとは?

治部右衛門:じゃから、アレじゃ……、
      
      何と申したかな……、え~……、
      
      フォルテシモ……

   別当:HOUNDハウンド DOGドッグのCDで ござりまするか?

治部右衛門:そうではない。
      
      え~……
      
      ピアニシモ……

   別当:中島みゆきのほうでござりまするか?

治部右衛門:そうではない!CDではない!
      
      そうではなくて……ほれ、わしの着る……、
      
      川下かわしも……ではなく……、
      
      風下かざしも……でもなく……

   別当:あの、もしかして……、かみしもでござりまするか……?

治部右衛門:そう!そうじゃ!カミシモ!
      かみしもじゃ!かみしもを持て!

   別当:あの、おそれながら……、かみしもならば……

治部右衛門:なんじゃ!

   別当:もはや おしでござりまするが……。

治部右衛門:ぬぉ!?
      
      おお!本当じゃ!
      
      ああ 思い出した!
      今朝けさ殿との目通めどおりする際、かみしもに着替えたのじゃった!
      ならば これにて準備は万端ばんたん
      
      弁当ッ!

   別当:別当でござりまする。

治部右衛門:アレをけぃッ!

   別当:なんでござりまするか?

治部右衛門:ブタをけぃッ!

   別当:馬では ござりませぬか?

治部右衛門:そうじゃ!馬じゃ!馬をけぃッ!

   別当:(返事)はッ!
      
      (馬方の小者を呼ぶ)
      これッ、馬方うまかた治部右衛門じぶえもん様の ご乗馬じょうばを、これへ!

   馬方:(少し離れた所から返事)へーい!

   別当:それでは治部右衛門じぶえもん様、手前てまえとも支度したくを いたして参りますので、
      ご乗馬じょうばになって お待ちくだされ。

治部右衛門:うむ、急げよ。

 


 

   馬方:(馬を引いてくる)
      治部右衛門じぶえもん様、馬でごぜえます。
      どうぞ、お乗りんなってくだせえ。

治部右衛門:む、大儀たいぎである。
      
      しからば。
      (馬にまたがる掛け声)ハッ!
      
      
      む?
      
      なんじゃ この馬は!
      首が無いではないか!

   馬方:いえ あの……、治部右衛門じぶえもん様が うしろ向きに 乗って ござらっしゃるんで。
      
      馬の首は 後ろに ちゃんと ごぜえます。

治部右衛門:なに、首が後ろに?
      
      なんたる粗忽そこつな馬じゃ!手打てうちに いたす!

   馬方:いや その、馬に罪は ごぜえませんので。
      どうぞ お静まりくだせえ。

治部右衛門:む、それもそうじゃ。みだりな無礼打ぶれいうちは かえって武士の汚名おめいと言うもの。
      そのほうめんじて、このたびゆるすぞ。

   馬方:あ、ありがとうごぜえます……。

治部右衛門:とは申せ、このままでは けるに不便であるな。
      
      うむ、苦しゅうない、そのほう、馬の首を切って こちらに付け替えよ。

   馬方:ちょちょちょちょ、それでは お手打てうちと変わりませんので……。
   
      どうぞ、お乗り直しになってくだせえ。

治部右衛門:いったん乗ったものを、下りてまた乗り直すは 手間である。
      
      そうじゃ、わしが今から あぶみを踏んで いささか 上に跳躍ちょうやくして 腰を浮かすでな、
      そのあいだに そのほううまたいを 180度 入れ替えよ。

   馬方:いやムリムリムリムリ、無理でごぜえます!
   
      お手間でも ございましょうが、どうぞ お乗り直しんなってくだせえ。

治部右衛門:左様さようか……仕方ないのう。
      
      (下りる)よいしょ。
      
      (乗る)ハッ!
      
      これで よいか?

   馬方:ええ、ありがとうごぜえます。
      
      では、今日は 手前てまえ道中どうちゅうくつわを取らせていただきますで。
      
      此度こたびは どちらまで 参られるんでごぜえますか?

治部右衛門:うむ、此度こたびはな、あのおかたの城まで つかいに参る。

   馬方:あのおかたというのは?

治部右衛門:アレじゃ、あのおかたじゃ。
      
      え~、何と申されたかな……。
      
      ん~……

   別当:(やって来る)
      お待たせを いたしました。
      
      (治部右衛門様の様子を見て)
      む?これは また たいそう お悩みの ご様子。
      
      (馬方に)
      これ馬方、治部右衛門じぶえもん様は いかがなされた?

   馬方:はあ、それが、此度こたびの行き先を おたずねしたんでごぜえますが、
      どなたの お城へ行くんだか、お忘れんなったようで……

   別当:なんと、それは困ったな。
      
      (治部右衛門に)
      治部右衛門じぶえもん様、なんとか思い出せませぬか?

治部右衛門:いや もう 出かかっておるのだ……
      
      え~……アレじゃ、あの おかたじゃ……え~……
      
      カワイ・ガモンノカミ とか何とか……

   別当:カワイガモンノカミ?
      
      河相我聞かあいがもんとは また懐かしい名前でござりまするな……。
      
      
      おそれながら……、
      
      もしかして、赤井御門守あかいごもんのかみ 殿どのでは ござりませぬか?

治部右衛門:おお!そうじゃ!赤井御門守あかいごもんのかみ 殿どのじゃ!

   馬方:(別当に)よく分かりますね。

   別当:(馬方に)まぁ慣れじゃ。
      
      それでは、赤井御門守あかいごもんのかみ 殿どのの ご居城きょじょうへ向けて、出発いたしましょう。
      
      (馬方に)
      馬方、先導 頼むぞ。

 


 

   語り:そんなこんなで、一行いっこうは 無事、赤井御門守あかいごもんのかみの お城へと たどり着きました。

 


 

   別当:治部右衛門じぶえもん様、お供をできるのは この城門まででござりまする。
      あとは我ら、門外もんがいにて、お戻りを お待ちいたしておりまする。

治部右衛門:うむ、では行って参る。

 


 

   トメ:(城の外壁の修繕をしている大工)
      ふう。腰板こしいたは こんなもんでいいか。
      
      あ~疲れた。
      
      この城も ずいぶんガタが来てやがるからなぁ。
      壁の修理だけで一苦労ひとくろうだぜ。
      
      あ~ちぃ。ちょいと そこののきの陰で ひと休みすっか。
      
      (軒の陰に座る)
      ふぅ。
      
      (壁越しに、部屋に人が入ってくる気配)
      ん?誰か入って来たな。
      
      ああ、そういや今日は、どっかの城から 誰か来るとかナントカ言ってたな。
      よし、ちょいと覗いちゃお。
      
      (と軒下の窓から中を覗く)
      お、ひとりは ここの城の三太夫さんだゆうさんで……、もうひとりは……、
      あれも どっかの お侍だな。ずいぶん四角張しかくばった顔してやがる。

 


 

  三太夫:いや このたびは はるばるの ご来訪らいほう、ご苦労にぞんじまする。
      拙者せっしゃ当家とうけ家臣かしん田中三太夫たなかさんだゆうと申す者。
      以後 お見知みしくだされまして、ご別懇べっこんねがわしゅうぞんじまする。

治部右衛門:これは ご丁寧な ご挨拶、痛み入り申す。
      
      拙者せっしゃ当家とうけ家臣かしん田中三太夫たなかさんだゆう……

  三太夫:は?

   トメ:あん?

治部右衛門:……では ござらぬ。

  三太夫:はあ。

   トメ:何言ってんだ あの侍。

治部右衛門:田中三太夫たなかさんだゆうは、ご貴殿きでんでござる。

  三太夫:さ、左様さようにござる。以後、お見知みしきを。
      
      して、ご貴殿きでんの お名前は……

治部右衛門:え~……、拙者は、その……
      杉平すぎだいら木目もくめの、いや木目もくめでは ござらん、え~、杉平すぎだいら
      ああ、柾目まさめでござった。杉平柾目正すぎだいらまさめのしょう家臣かしんにて、え~……
      地武田じぶた 治部之助じぶのすけ……は、父でござった。
      え~……地武田じぶた 治部九郎じぶくろう……は、伯父でござった。
      え~、拙者は、地武田じぶた……、ああ!治部右衛門じぶえもんでござった!
      拙者、地武田じぶた 治部右衛門じぶえもんでござる!

   トメ:大丈夫かコイツ?

  三太夫:な、なるほど、地武田じぶた 治部右衛門じぶえもん 殿どのでござるな。
      
      えー、此度こたびは ご口上の ご使者ということで ございますな。
      
      ご口上のおもむき、この田中三太夫たなかさんだゆうが しかとうけたまわって 殿とのへと お取り次ぎ申しますゆえ、
      早速さっそくでは ございますが、その ご口上、お聞かせねがわしゅう存じまする。

治部右衛門:御意ぎょい
      
      えー、当方とうほうの 口上と申しまするは――
      
      (思い出せない)
      
      ええ――、その――、口上と申しまするは――

  三太夫:口上と申されるは――

治部右衛門:ええ その――当方とうほう――口上でござるが――
      
      
      ご貴殿きでん――
      
      
      ご存知では ござりませぬか――

   トメ:オイオイ。

  三太夫:は――
      
      あ、いや、地武田じぶたうじ手前てまえは まだ何もうかがっておりませんので(汗)。
      どうぞ、ご口上を お聞かせねがわしゅう存じまする。

治部右衛門:その――、口上でござるが――
      
      ご貴殿きでん、どうぞ、よしなに、お取り次ぎねがわしゅう――

  三太夫:いやいや地武田じぶたうじ、聞いてもおらぬ口上を 取り次げと申されましても(汗)――
      
      ささ、どうぞ、ご口上を お聞かせくだされ。

治部右衛門:これは――、どえらいことに なり申した――

  三太夫:――
      
      如何いかがなされました――

治部右衛門:拙者――、口上の内容を――
      
      失念しつねん つかまつった――

   トメ:マジかよ。

  三太夫:失念しつねん――
      
      (冗談だと思って)
      また そのような おたわむれを――

治部右衛門:たわむれでは ござらぬ。
      
      お恥ずかしい話でござるが、拙者、生来せいらい粗忽者そこつものにて、よく 物忘ものわすれを いたす。
      しかし それにしても、使者の口上を 忘却ぼうきゃくするとは なんたる失態しったい――
      
      かくなる上は 治部右衛門じぶえもん、この場にて 一服いっぷく つかまつる!

  三太夫:(煙草を一服して落ち着きたいんだな、と受け取って)
      それが よろしゅうござります。
      落ち着かれれば 思い出されましょう。
      では すぐに 煙草盆たばこぼんの用意をさせますので――

治部右衛門:何を申される!のんきに煙草たばこなど吸うておる場合では ござらぬ!
      
      このままでは 武士の面目めんぼくが立たぬゆえ、この場で 腹を切ると申しておるのでござる!

  三太夫:ああ、一服いっぷくではなくて、切腹せっぷくでござるか――え、切腹せっぷく!?

   トメ:この侍おもしれぇな。

  三太夫:ああ いやいや地武田じぶたうじ!そのような ご短慮たんりょされては いけませぬ。
      切腹せっぷくなど なされては、かえって困ってしまいますので――
      
      なんとか、その、思い出す工夫くふうは ござりませぬか――

治部右衛門:そう申されましてものぅ……
      (と、何か思いつく)
      おお、そうじゃ。

  三太夫:何か、良い方策ほうさくが ござりまするか?

治部右衛門:無いことも ござらんのじゃが――
      
貴殿きでんの お力添ちからぞえが 必要でござれば――

  三太夫:なんの、いとやすきこと。
      
      ご口上を思い出されるためとあらば、
      いかなる ご助力じょりょくしむものでは ござらぬ。

治部右衛門:かたじけのうござる。
      
      ――恥を話すようでござるが、拙者、幼少ようしょうおりから
      物忘ものわすれが 激しゅうござってのぅ。
      
      それで、何かを忘れるたび、おこった父に
      居敷いしきを ギュッと つねられたものでな。 ※「居敷き」=お尻のこと

  三太夫:居敷いし――つまり、臀部でんぶを つねられたと。

治部右衛門:左様さよう。そうして その あまりの痛さに 失念しつねんしたことを
      思い出すことも しばしばあってのぅ――
      
      如何いかがでござろう、ご貴殿きでん、拙者の居敷いしきを おつねり下さらぬか?

   トメ:どういう思い出し方だよ。

  三太夫:拙者が、ご貴殿きでんの、臀部でんぶを……?
      
      ああ いや、拙者は かまわんのでござるが、その――
      ご自分で おつねりになるわけには 参られませぬか――

治部右衛門:いや それが なかなか ままならぬもので。
      自分で やると、痛みが強くなる所で どうしても加減を生じてしまい、
      思い出すに至らんのでござる。
      
      拙者の痛みを感じぬ他人が、加減も容赦ようしゃも無く おつねり下さることで、
      しんに激しい痛みを感じ、記憶を呼び戻すことが できるというもの。
      
      何卒なにとぞ、お力添えを 願いとうござる。

  三太夫:なるほど――
      
      あいわかり申した。
      
      そういうことならば、この三太夫、微力びりょくながら ご貴殿きでん居敷いしき、おつねりいたそう。

治部右衛門:かたじけない。
      
      それでは、初対面で まことに 不躾ぶしつけではござるが、
      立ち上がって 後ろを向かせていただき申す。

  三太夫:では 拙者は、ご貴殿きでん臀部でんぶの前で、いつでも おつねりいたせるよう、構えを取り申す。
      
      さ、地武田じぶたうじ、いつでも おつねり申しますぞ。

治部右衛門:うむ。
      
      では――はかまを失礼いたす。

  三太夫:え?はかま――、お脱ぎなさる――

治部右衛門:袴越はかまごしでは 痛みも薄れてしまいますゆえ。
      
      ――よろしいか?

  三太夫:は、はあ――
      
      よ、よろしゅうござる。

治部右衛門:(袴を下ろして尻を出す)
      では、御免ごめん

  三太夫:(目の前に尻)
      ぬぉっほ――出ましたな――
      いやはや、なかなかに いかめしき 尻構しりがまえで――
      
      
      ――では、よろしゅうござるか?

治部右衛門:ええ。よろしく お頼み申す。

  三太夫:しからば――
      
      (つねる)ふむッ!
      
      (固い)
      ぬぉ、これはまた、皮も肉もかとうござるな。つねり甲斐がいがござる。
      
      (力を入れる)ふむッ!
      
      さあ、いかがでござる、地武田じぶたうじ

治部右衛門:(何も感じない)
      ――
      
      はて――、もはや おつねりでござるか――

  三太夫:は!?
      
      もはや おつねり いたしており申すが……。

治部右衛門:ううむ……、の止まったほども 感じませぬゆえ、
      もそっと手荒てあらに おつねり下さらんか。

  三太夫:さ、左様さようでござるか……。
      しからば もそっと手荒てあらに参る。
      
      (さらに強くつねる)ふむッ!
      
      いかがでござる、地武田じぶたうじ

治部右衛門:いかがと申して、ほんのはえが止まった程度にござる。
      もそっと手荒てあらに おつねり下され。

  三太夫:さ、左様さようでござるか……。
      
      しからば もはや手加減いたしますまい。
      
      (力いっぱいつねる)ふぬ~ッ!!
      
      いかがでござる、地武田じぶたうじ……!!

治部右衛門:まだまだ、いささかかゆみをおぼえる程度にござる。
      もそっと手荒てあらに。

  三太夫:いや地武田じぶたうじ、拙者も これ以上 指先に 力が入り申さぬ。

治部右衛門:左様さようか……困り申したな。
      
      ご当家とうけに、指先に 力のある御仁ごじんは いらっしゃらぬであろうか?

  三太夫:さてさて……、武芸ぶげいひいでた者は いくらも おり申すが、
      指先に力のある者となると、むずかしゅうござるかのぅ……。

治部右衛門:無理もござらぬ……。
      
      いや、もはや これまで。
      かくなる上は、やはり 腹を切るしかあるまい――

  三太夫:いやいやいやいや お待ち下され!
      
      まだ 指先に力のある者がいないと限ったものでは ござりませぬ。
      拙者、一応 探して参りますゆえ、暫時ざんじ この場にて お控え下され。

治部右衛門:左様さようでござるか。いや重ね重ね、かたじけのうござる。

 


 

   トメ:いやぁ ヘンな侍が来てやがるなぁ。
      口上の使者が 口上 忘れるかァ?
      それに ケツつねって 思い出すって どういうことだよ?
      おもしれぇヤツだなぁ。
      
      それにしても、アイツのケツ、よっぽどかてえんだな。
      
      三太夫さんといえば この城の 剣術指南役けんじゅつしなんやくだぜ?
      腕っぷしなら 人一倍ひといちばいだ。
      その三太夫さんが 目一杯 つねってもダメだってんだからなぁ。
      
      (何か思い付く)
      そうだ!ここは いっちょ俺が――
      
      へへっ、こいつぁ おもしろそうだぞ!

 


 

  三太夫:(ため息)
      困ったものだ……。
      
      指先に 力のある物と言われてもな……。

   トメ:三太夫さーん♪

  三太夫:む?何じゃ そのほうは。
         
      見たところ 職人ではないか。
      れしく 名を呼ぶでない。

   トメ:いやぁ、さっきは ご苦労様でしたねぇ。

  三太夫:ご苦労様じゃと?
      
      何を申しておる。今日は 作事場さくじばへなど まわっておらんぞ。

   トメ:違いますよ。
   
      「いかがでござる、地武田じぶたうじ……」

  三太夫:なッ!?
      
      貴様、盗み聞き しておったのかッ!

   トメ:いやいや、ちょうど 外の壁 修理してましてね、
      一服いっぷくしてたら聞こえてきたんスよ。
      
      それより三太夫さん、指先に力のある野郎ってのは 見つかったんスか?

  三太夫:いや。そのような者、なかなか おらぬで 難儀なんぎしておる。

   トメ:へっへっへ、そうでしょうねぇ。
      
      ねぇ三太夫さん、あっしが なんとかしてあげましょうか?

  三太夫:何?そのほうが?
      
      見た限り さほど怪力のようにも思えぬが……。
      そのほう、それほど指先の力に 自信があるのか?

   トメ:まさか。
      
      でもね、よく言うでしょ?「頭とハサミは使いよう」。
      道具を使うんスよ。

  三太夫:道具?何じゃ?

   トメ:(道具袋から でかいペンチみたいなのを取り出す)
      こいつでさぁ。

  三太夫:ぬぉ、なにやら 物騒な得物えものであるな。
      
      何じゃこれは?

   トメ:あっしらは「エンマ」って呼んでますがね。

  三太夫:エンマ?

   トメ:ほら、地獄の閻魔大王えんまだいおうが こいつで罪人の舌ァ ひっこ抜いてるでしょ?
      まぁ あっしらが抜くのは ぶっといくぎっスけどね。
      
      コイツ使えば、指の何十倍、何百倍の力でもって つねれますよ!

  三太夫:待て待て。
      
      力が出るのは 良いが、かように大仰おおぎょう得物えものもちいて、
      尻の肉が ちぎれたりせんのか?

   トメ:まぁ なみのケツだったら、間違いなく ちぎれまさぁね。

  三太夫:いかんいかん!
      ご使者の尻肉しりにくを ちぎったとあっては、一大事ではないか!

   トメ:何言ってんスか。なみのケツじゃないんでしょ?その ご使者のケツは。
      
      だいたいね、口上 思い出せなかったら、そいつ 腹 切るって言ってんでしょ?
      腹 ブッタ切ることに比べたら、ケツの 1貫目かんめや2貫目かんめ、どうってことねぇじゃねぇスか。

  三太夫:そんな乱暴な……

   トメ:じゃあ三太夫さんは いいんスか?このまま ほっといて あの侍が 腹 切ることになっても。

  三太夫:いや それは困るが……

   トメ:じゃあ あっしに任せてくださいよ!
      エンマは使い慣れた道具っスからね、加減は 心得てまさぁ。
      大丈夫、悪いようには しねえスから!

  三太夫:ん~……仕方ないのぅ……。
      
      では、そのほうに 一任すると いたそうか……。
      
      しかし 職人ふぜいを ご使者の前に 目通めどおりさせるわけにはいかん。
      ウソでも侍になってもらわねばな。
      
      よし ついて参れ。着る物を用意してつかわす。

   トメ:へーい♪

 


 

  三太夫:(侍の格好をしたトメを見て)
      ふむ……「馬子まごにも衣裳いしょう」とは よく言ったものじゃ。
      着る物を着れば、侍に 見えぬこともないわい。

   トメ:うわぁ、侍ってのは いつも こんなモン着て歩いてんスかぁ?
      窮屈だし 暑いし 重いし、動きにくくってしょうがねえや。

  三太夫:文句を言うでない。
      
      ――ときに、そのほう、名は何と申す?

   トメ:え?あっしの名前?
      
      トメっス。

  三太夫:トメ?
      
      それは通称であろう。
      本名は何じゃ?

   トメ:え?本名って言われてもねぇ……。
      周りからは 「トメ」とか「トメこう」としか 呼ばれねえスからねぇ。

  三太夫:ん~、その名では どうも侍としての格好がつかぬな。
      
      では……そうじゃな……、
      
      わしが田中三太夫たなかさんだゆうであるから、「田中」を逆さにして「中田なかだ」、
      下の名を「留太夫とめだゆう」として、そのほうの名としよう。
      
      よいか?今から そのほうの名は、「中田なかだ 留太夫とめだゆう」じゃ。

   トメ:中田なかだ 留太夫とめだゆう
      
      へぇ~カッコイイね!侍みてぇだ!

  三太夫:それから 左様さような 言葉遣いは いかんな。
      もそっと 丁寧な言葉を使わなければならん。

   トメ:んなこと言ったって、こちとら職人スからねぇ。
      丁寧な言葉って言われても 分かんねえや。

  三太夫:なに そう難しいことではない。
      
      言葉の頭に「お」を付け、最後に「ござる」 「たてまつる」を付ければ それらしくなる。

   トメ:ああ~、なるほど!
      
      言われてみれば 侍ってのは そんな話し方してらぁ。

  三太夫:分かったか?

   トメ:へい、バッチリ お分かりでござり たてまつるでござるよ!

  三太夫:……まぁよい。
      
      では これから 地武田じぶたうじの所へ参るが、まず そのほうは隣の部屋で控えておれ。
      おりを見て 拙者が そのほうの 名前を呼ぶので、そうしたら 入って参るようにな。

   トメ:へ~い♪

 


 

  三太夫:地武田じぶたうじ、長らく お待たせを いたしました。

治部右衛門:いえいえ、さほどでも ござらぬ。
      
      して、ご貴殿きでんは どなたでござるかな?

  三太夫:も、もはや お忘れでござるか(汗)。
      
      拙者、先ほど 目通めどおりいたした、田中三太夫たなかさんだゆうでござる。

治部右衛門:おお、そうじゃ!田中三太夫たなかさんだゆう 殿どのであったな!
      
      して、拙者に何か ご用でござるか?

  三太夫:それも もはや お忘れでござるか(汗)。
      
      いやその、ご貴殿きでん居敷いしきを つねりまする人材、し連れて参りましたので。

治部右衛門:おお、なんと!左様さよう御仁ごじんが おられたか!

  三太夫:はい。
      
      次の間に 控えさせておりますれば、早速さっそく こちらへ 通したく存じまするが、
      よろしゅうござるか?

治部右衛門:勿論でござる!少しも早く!

  三太夫:では。
      
      (隣の部屋に向かって)
      次に控えし 中田留太夫なかだとめだゆう!これへ!
      
      (反応がない)
      
      次に控えし 中田留太夫なかだとめだゆう!これへ!
      
      (反応がない)
      
      え~、 中田留太夫なかだとめだゆう!これへ!
      
      (反応がない)
      
      (仕方ないので)
      トメ公!

   トメ:(入ってくる)
      オーウ!

治部右衛門:とめこう……?

  三太夫:ああいや 地武田じぶたうじ、どうぞ お気になさらず。
      
      えー、こちら、当家とうけ下役したやくで、中田留太夫なかだとめだゆうと申す者でござる。
      
      (トメに)
      では留太夫とめだゆう、ご挨拶を申せ。

   トメ:へい。
      
      (治部右衛門に)
      (慣れない言葉遣いなので たどたどしい)
      えー、お初に、お目に、おかかり、たてまつるで、ござる。
      えー、お手前てまえは、中田なかだ留太夫とめだゆうと、お申し、たてまつるでござる。
      えー、このたびは、おアンタ様が、お口上を、お忘れたてまつりござって、
      お困りたてまつってござるから、えー、ここは おひとつ、お手前てまえが、
      おアンタ様の、おケツを、おつねり たてまつりござって――

  三太夫:(見かねて)
      もうよい もうよい。
      
      (治部右衛門に)
      えー、では地武田じぶたうじ、この者の面前めんぜんに、ご貴殿きでん居敷いしきを。

治部右衛門:うむ。されば不躾ぶしつけながら、後ろを向かせていただき申す。
      
      もはや はかまを下ろして よろしゅうござるか?

   トメ:よろしゅう たてまつるでござるよ。

治部右衛門:(袴を下ろす)
      では 御免ごめん

   トメ:(尻を目の当たりに)
      おおぅ……、こりゃまた立派なケツだねぇ……。
      見るからにかたそうだなァ……なんかゴツゴツしてるもん。
      カカトみてえじゃねえか……。
      
      
      えー、では早速さっそく
      
      あ、治部右衛門じぶえもんさん、こっち向いちゃ ダメでござるっスよ?
      ちゃんと前を お向き たてまつってて下さいでござるっスよ?

治部右衛門:あいわかり申した。よろしく お頼み申す。

   トメ:よーし、それじゃぁ……
      (懐からエンマを取り出す)よいしょ。
   
      じゃあ いくでござるよ。
      
      (つまむ)よッ!

治部右衛門:おお。ご貴殿きでんの指は また ずいぶんつめとうござるな。

   トメ:そ、そうなんで ござるよ。
      血のめぐりが よろしく たてまつってねえもんで ござるからして。
      
      じゃあ 力 入れていくでござるよ?
      
      (強く つまむ)ふむッ!

治部右衛門:(わりと痛い)
      ぬぉッ!?
      
      おお……こ、これはッ……なかなかの おちからッ……!

   トメ:どうでござる?思い出したでござるか?

治部右衛門:ぬおぉぉ……!も……もそっと手荒てあらに、お願い申す……!

   トメ:まだ平気なのかい!?すげえケツだな……。
      
      じゃあ もうちょいと手荒てあらにいくでござるよ?
      
      (さらに強く)ふぬッ!
      
      さあ、どうでござるか?

治部右衛門:(だいぶ痛い)
      ぬおおぉ~ッ!
      
      こッ、これは すごい……!
      痛うござる!これは痛うござるぞッ!

   トメ:どうだい、思い出したでござるかッ?

治部右衛門:ぬあぁぁ~ッ!もう少し!もう少しでござるッ!
      もそっと!もそっと手荒てあらにッ……!

   トメ:おいおいマジかよ……どんなケツしてんだよ……。
   
      よーし こうなりゃ手加減ナシだ。ひねりも加えていくぜェ!
      
      (さらに強く、そしてひねる)
      おらァァッ!!

治部右衛門:(激痛)ぬぁおぁあ~~ッッ!!

   トメ:おーら、まだまだ いくゼェ!
      
      オラぁ!!オラぁ!!

治部右衛門:(超激痛)ぬぁぉあぁぁぁあぐぁあぁぁぁ~~ッッッ!!!!!
      
      お、思い出してござる!!思い出してござる~~ッッ!!!

   トメ:(三太夫に)
      三太夫さーん!思い出したってよー!

  三太夫:おお!でかした!
      
      (治部右衛門に)
      地武田じぶたうじ!して、その口上は!?


治部右衛門:屋敷を出るおり、聞かずに参った。
  



おわり

その他の台本                 


参考にした落語口演の演者さん(敬称略)


柳亭市場
林家たい平
古今亭志ん朝(3代目)
古今亭志ん生(5代目)
柳家小さん(5代目)
古今亭右朝
金原亭馬の助


何かありましたら下記まで。
kurobekio@yahoo.co.jp

inserted by FC2 system