声劇台本 based on 落語

転失気てんしき


 原 作:古典落語『転失気』
 台本化:くらしあんしん


  上演時間:約30分


【書き起こし人 註】

古典落語をベースにしていますが、あくまでも"声劇台本"として作成しています。
なるべく声劇として演りやすいように、元の落語に様々なアレンジを加えている場合があります。

アドリブ・口調変更・性別転換 等々OKです。



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 観覧自体が無料であればかまいません。いわゆる「投げ銭システム」に代表されるような、リスナーから
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<登場人物>

和尚おしょう(セリフ数:72)
 ?歳。まあ、初老~おじいちゃんかな。
 お寺の住職。知ったかぶりをしちゃう。



珍念ちんねん(セリフ数:78)
 ?歳。まあ、子供です。
 お寺の小坊主。



・医者(セリフ数:59)
 ?歳
 住職とは馴染みの医者。常識人。



乾物屋(セリフ数:11 )
 ?歳。
 乾物屋さんの店主。知ったかぶりをしちゃう。



・語り(セリフ数:1 )
 ?歳。
 最初のセリフだけです。なんとなく珍念役に振ってますが、誰がやっても大丈夫です。







<配役>

・和尚:♂

珍念語り:♀

医者乾物屋:♂

 ※配役はあくまでも推奨ですので、自由に変えていただいて構いません。




【ちょっと難しい言葉】

転失気(てんしき)
おならのことだそうです。

愚僧(ぐそう)
お坊さんの一人称。

仏弟子(ぶつでし)
お釈迦様の弟子。つまり仏教徒。つまりお坊さん。

符丁(ふちょう)
隠語。




ここから本編




 語り:えー、いつの世にも、知らないことを素直に「知らない」と言えない人、
    知らないことを素直にたずねられない人、いわゆる 知ったかぶりをする人というのは
    いらっしゃるもので――
    
    
    ここにおります、とある お寺の和尚おしょうさん。
    
    ある朝、おなかの具合が悪いということで、
    かかりつけの お医者さんにに来てもらったのですが――

 


 

 医者(診察を終えて)
    ――ふむ。
    
    まぁ特に悪いやまいというのでは ありませんな。
    少し食べ過ぎたために、腹が張っておるのでしょう。
    なに心配はりません。
    2、3日 安静あんせいにして ゆっくり お休みになれば、じきに良くなるでしょう。

 和尚:ああ、ようでございましたか。
    いやどうも、としを取ってまいりますと、何事にもおお袈裟げさになって いけませんな。
    
    いや 先生には わざわざ 足労そくろういただきまして、お手数を お掛けしました。

 医者:ああ いえいえ、そんなことは お気になさらず。
    では、わたくしはこれで。(と、腰を上げかけるが)
    
    ああ、一応、念のために うかがっておきますが――
    
    時に ご住職、
    
    
    ――てん失気しきは、ございますかな?

 和尚:は?

 医者てん失気しきは、ございますかな?

 和尚:テンシキ――
    
    (独白)
    はて――?テンシキとは何じゃ――
    
    何のことか分からんが――
    
    (医者に)
    あ、いや、先生、テンシキは――、ございませんなぁ。

 医者:ほう、てん失気しきが無い……?
    それは いささか気掛かりですな――
    
    ふむ。では薬を調合しておきましょう。
    
    お昼までには こしらえておきますので、坊主ぼうずさんでも 取りにつかわしてください。

 和尚:はあ――

 医者:では、わたくしは これで失礼を。(去る)

 


 

 和尚:(独白)
    あー、こりゃマズいことを してしまったな……。
    テンシキが何かも分からんのに、つい知ってるフリをして、
    ございません などと言うてしもうた……。
    
    ん~、テンシキとは何じゃ……?
    テンシキ……テンシキ……。
    
    いや さっぱり分からん。
    
    しかし気になるのぉ……。
    テンシキが無いと聞いて 先生、それは気掛かりだから
    薬を調合しておきましょうと おっしゃっていたな……。
    無いと良くないものなのか……?
    ん~……。
    
    (何事か思い付く)
    そうだ、珍念なら知っておるかもしれん。
    アイツは子供のくせに 何かと知識を付けておるからな。
    
    よし、珍念を使って テンシキが何か確かめてみるとしよう。
    
    (小坊主の珍念を呼ぶ)
    珍念!これ 珍念や!

 珍念(返事)はぁ~い!
    
    (やって来る)
    お呼びでしょうか 和尚様おしょうさま

 和尚:うむ。すまんがな珍念、テンシキを持って来ておくれ。

 珍念:え?

 和尚:テンシキを持って来ておくれ。

 珍念:て、テンシキ……?
    
    あの、和尚様おしょうさま、テンシキって何でしょうか?

 和尚:何を申しておるか。
    
    以前おまえに、大事に しまっておくようにと、
    テンシキを預けたではないか。

 珍念:はあ……たしかに和尚様おしょうさまは、しょっちゅうオイラに、
    あれを しまっておけ、これを しまっておけと、
    いろいろなモノを お預けになりますけど……、
    テンシキというのは、ちょっと分からないんですけど……。

 和尚:いかんな珍念。ワシが教えたことを もう忘れてしもうたとは。
    人の話を しっかりと聞いておらん証拠じゃ。なげかわしいぞ。

 珍念(納得はいかないが)
    はぁ……どうも すみません。
    
    それで、あの和尚様おしょうさま、テンシキというのは何なんですか?

 和尚:それが いかん。

 珍念:え?

 和尚:そうやって、分からんことを すぐワシに聞いて済まそうとするのが おまえの悪いクセじゃ。
    そのように安直あんちょくなことでは、確固かっこたる知識として おのれの身に付くものではない。

 珍念:はあ……。
    
    あの、和尚様おしょうさまは、テンシキが何か ご存知なんですよね?

 和尚:あ、当たり前じゃ!そうを何と心得る!
    
    そう、はばかりながら ぶつ弟子でしになる以前より 学問を重ね、
    この世の ありとあらゆる物事ものごと精通せいつうしておる。
    
    手前てまえで言うのも おこがましいが、
    博学はくがく多識たしき故郷こきょうにしき・やってて良かった文式もんしき
    しんばんしょう神社仏閣じんじゃぶっかくそうに知らぬ物など無い。
    いわんや、テンシキごとき、そうが知らぬなどということがあろうか、いや無い。

 珍念:そ、そうですか。
    何をおっしゃってるんだか よく分かりませんでしたけど……。
    
    あの、和尚様おしょうさま、オイラ どうしても テンシキが何だったか思い出せませんし、
    いくら考えても テンシキが何なのか 分かんないんです。
    
    お願いですから、教えてください。

 和尚:ならん。ワシに頼らず、おのれで努力して解決するのじゃ。
    さればこそ、しんに学ぶことができるというものじゃ。

 珍念:でも、どうすればいいんですか?

 和尚:ほら そうやって またワシに聞く。しょうがない奴じゃな。
    
    では今回だけ、1つ助言をやろう。
    
    良いか、おもてどおりの乾物かんぶつへ行ってな、そこのあるじに、ワシがようだと言って、
    「テンシキを貸してください」と頼むのじゃ。
    乾物かんぶつのほうにテンシキがあれば、貸してくれるじゃろう。

 珍念:ああ、なるほど!

 和尚:首尾しゅびよく借りることができたら、ワシの所へ持って来なさい。
    正しくテンシキを借りて来たか、ワシが確認するのでな。

 珍念:分かりました。

 和尚:うむ。では行って参れ。

 珍念:はぁーい!(去る)

 


 

 和尚:(独白)
    うーむ、珍念も、テンシキが何か 知らなんだか……。
    一体テンシキとは何なんじゃ……?
    
    しかしまあ、うまく珍念を使って 借りにったからな。
    珍念が帰って来れば分かるじゃろう。

 


 

 珍念(乾物屋への道中。独白)
    テンシキ……テンシキ……。
    
    おっかしいなぁ、テンシキなんて教えてもらった覚え 無いんだけどなぁ……。
    
    和尚様おしょうさまもイジワルだよなぁ、知ってるなら スッと教えてくれればいいのに……。
    
    何だろうなぁ、テンシキって……。
    
    (乾物屋に到着)
    あ、着いた着いた。
    
    乾物かんぶつさーん!すみませーん、乾物かんぶつさーん!

乾物屋:いらっしゃい!
    
    お?誰かと思ったら、お寺の珍念さんじゃないか。お使いかい?

 珍念:あのですね、和尚様おしょうさまの言いつけで、テンシキを貸してもらいに来たんです。

乾物屋:オウ そうかい。いいよ。

 珍念:貸してくれますか!

乾物屋:ああ構わねえよ。
    
    何かい、和尚おしょうさん、旅にでも出んのかい?

 珍念:え、旅?

乾物屋模様もよう唐草からくさでいいよな。
    
    けっこう大きいヤツだから、たくさん包めると思うぜ。

 珍念:あ、あの、何を貸してくれようとしてます。

乾物屋:ん?フロシキだろ?

 珍念:ち、ちがいますよ!フロシキじゃなくてテンシキですよ!
    
    テ・ン・シ・キ!

乾物屋:て、テンシキ……?
    
    (独白)
    何だ?テンシキって……。聞いたことねえぞ……。
    
    寺の人間ってのは 時々ワケの分からねえちょうを使いやがるからなぁ……。
    こないだも、卵のことを "しょぐるま" なんて言ってやがって。
    「なんで?」っていたら、「中に黄身きみ(君)が わします」だってよ。
    
    しかしテンシキって何だ……?
    
    テンシキ……テンシキ……

 珍念乾物かんぶつさぁん。

乾物屋(我に返る)ハ、ハイ!

 珍念乾物かんぶつさん、もしかして、テンシキ知らないんですか?

乾物屋:え!?いやッ!しッ、知ってるよ!
    
    
    (独白)
    ヤベぇ~っ!知らねえのに 知ったかぶりしちゃったよォ~!

 珍念:貸してもらえますか?テンシキ。

乾物屋:あ、いや、その、て、テンシキなんだけど、2つばかり ウチにあったんだけどよォ、
    1つは昨日 親戚が来て、とこに飾りてえって言うから、あげちまったんだよ。
    で、もう1つは、棚に置いといたら、今朝けさがた ネズミが 落っことしやがって、割れちまったんだ。
    だから貸してやれねえんだよ、すまねえなぁ。

 珍念:あ、そうなんですか。

乾物屋:そ、そうなんだよ。悪りぃなぁ、役に立てなくて。

 珍念:いえ、そういうことなら しょうがないですね。
    どうも お邪魔しました。(去る)

乾物屋:オウ、和尚おしょうさんによろしくな。
    
    (独白)
    何なんだよ……テンシキって……。

 


 

 珍念:ただいま戻りましたぁ。

 和尚:うむ。どうじゃ?テンシキは借りられたか?

 珍念:いえ、ダメでした。

 和尚:なに?乾物かんぶつには テンシキは無かったのか?

 珍念:いえ それが、2つばかり あったそうなんですけど、
    1つは親戚が とこに飾りたいと言うので あげてしまって、
    もう1つは 棚に置いておいたら ネズミが落として 割れちゃったそうで。

 和尚:ほう……そうか……。

 珍念:あの、和尚様おしょうさま、テンシキって何なんですか?
    もう教えてもらえませんか?

 和尚:な、ならん!甘えるでない!

 珍念:でも、和尚様おしょうさまおっしゃるとおり乾物かんぶつさんに行きましたけど、
    結局わからなかったので……。

 和尚:いかんいかん。
    
    そうやって 少し つまずいたぐらいで すぐ人を頼りおって。
    ゆとりか貴様は。

 珍念:ゆとり……?

 和尚:とにかく、すぐにあきらめるでない。
    
    ふむ、そうじゃな。
    
    もうワシの薬も できてるであろう。
    珍念、医者の先生の所へ行って、薬をもらって来てくれ。

 珍念:あ、はい、分かりました。

 和尚:そのついでに、テンシキとは何か、先生に直接 たずねて来なさい。
    きっと答えてくださるであろう。

 珍念:ああ!なるほど!
    
    あ、でも、結局 いて教えてもらうんだったら、
    和尚様おしょうさまが今 教えてくださっても同じことじゃ……

 和尚:そうではない。
    
    安易あんいに得た知識は、容易たやすく失われるものじゃ。
    いーじーかむ・いーじーごー じゃ。 *Easy come, easy go. = 「簡単に手に入るものは簡単に失う」。
    
    先生の所まで足を延ばすという苦労のすえに 得てこそ、
    おのが知識として身に付くのじゃ。分かったか?

 珍念:は、はあ……。
    では、行って参ります。(行きかける)

 和尚:(呼び止めて)
    ああ珍念、念のために言っておくが――、くれぐれも、
    「ワシの言いつけで」とか「ワシにいて来いと言われたから」などと言ってはならんぞ。
    「おのれ自身が知りたい」という気持ちを 前面ぜんめんに押し出して たずねるのじゃぞ。良いな?

 珍念:わ、分かりました。それでは。(行く)

 


 

 和尚:(独白)
    はてさて――。またしてもテンシキの正体は 分からずじまいか……。
    
    しかし 乾物かんぶつの証言に 手掛かりが あったな……。
    
    それによると、テンシキというのは どうやら、とこの飾りになるような物であり、
    棚に置いておくような物であり、落とすと割れるような物……。
    
    うーむ分からん……。

 


 

 珍念:お医者の先生、お邪魔しまぁす。

 医者:ああ、これは お寺の坊主ぼうずさん。
    和尚様おしょうさまの お薬なら できておるよ。
    
    (薬を渡して)
    さ、持って帰って おあげなさい。
    飲み方は 袋に書いてあるから。
    ご苦労様だったね。

 珍念(薬を受け取って)
    ありがとうございます。
    
    あの、先生に、おたずねしたいことが あるんですけど。

 医者:ん?私にきたいこと?何かな?

 珍念:あの、テンシキって、何ですか?

 医者てん失気しきとは何かを知りたい……?
    はっはっは、おまえさん、今朝の和尚様おしょうさまと私の やりとりを聞いておったのか。
    
    てん失気しきというのは まぁ 大人が使う言葉でな。
    おまえさんのような子供は まだ覚える必要は無い。
    それに第一、知ってみれば とても つまらないものだ。
    覚えずとも良い。

 珍念:いえ、でも、どうしても知りたいんです。
    
    あの、後学こうがくのために、どうか教えてください!

 医者:ふむ、後学こうがくのためにか――
    
    おまえさん、なかなか利発りはつそうな顔をしておるしな。
    うむ、では教えてさしあげよう。
    
    てん失気しきというのはな――、「放屁ほうひ」のことだ。

 珍念:え?あの、庭をく?

 医者:それは ホウキだ。

 珍念:無駄遣いをすること?

 医者:それは 浪費ろうひだ。

 珍念:現実?

 医者逃避とうひだ。
    
    私が言っておるのは「放屁ほうひ」だ。

 珍念:ほうひ って何ですか?

 医者:まぁ ひらたく言えば「」だ。

 珍念:へ?

 医者:そう、だ。オナラだ。

 珍念:お、オナラ!?
    
    先生、テンシキって、オナラのことだったんですか!?

 医者:さよう。

 珍念:お、オナラって、あのオナラ!?

 医者:あのオナラだ。

 珍念:お尻から出る?

 医者:あまり口から出す人は おらんな。

 珍念:くさい?

 医者:あまり かぐわしいものではないな。
    
    分かったかな?
    てん失気しきとは、尻から出る、くさい、オナラだ。

 珍念:なるほど――

 医者:勉強になったかな?

 珍念:はい。オナラだけに「へぇ~」って感じです。

 医者:なかなか おもしろいな おまえさんは。

 珍念:でも おかしいなぁ……。
    
    和尚様おしょうさまはオイラに、乾物かんぶつさんからテンシキ借りて来いって おっしゃってたんだけど……

 医者:はっはっは。それは おまえさんを からかうために、冗談をおっしゃったんだろう。
    
    中華ちゅうかの古い医学書に『傷寒論しょうかんろん』という本があってな。
    その中に、「ころんでうしな」と書いて「てん失気しき」とある。
    まぁ詳しい語源ごげんまでは分からんが、ひっくり返って気を失うほどくさい、
    ということかもしれんな。

 珍念:なるほど、てん失気しき――

 医者:すなわち 今朝 私が ご住職に 「てん失気しきは ございますかな」とたずねたのは、
    つまり 、「は出ますか」とたずねたわけだ。
    
    まぁ、あんまり患者に向かって ド直球ちょっきゅう
    「は出ますか」などとたずねるのは いささか気が引けたのでな、
    物知りの ご住職なら当然 てん失気しきであるということは ご承知と思い、
    「てん失気しきは ございますかな」というき方をしたのだな。
    
    そうしたら ご住職、「てん失気しきは ございません」とおっしゃったので、
    これはちょうつうじが良くないのかと 少し心配になって、
    まりをらす薬を調合してさしあげたというわけだ。

 珍念:そうだったんですか――

 医者:ああ ついでに教えてさしあげるがな、一口ひとくちと言っても、
    それには3種類あると言われておる。

 珍念:3種類?オナラが?

 医者:さよう。
    
    すなわち、「ぶぅ」、「すぅ」、「ぴぃ」 の3つだ。

 珍念:ぶぅ、すぅ、ぴぃ……。

 医者:そうだ。

 珍念:「ぶぅ」ってのは、どんなオナラなんですか?

 医者:ぶぅは、おと たかくして、におい少なし。

 珍念:「すぅ」は?

 医者おと ひくくして、におつよし。

 珍念:じゃあ「ぴぃ」は?

 医者の出るおそれあり。

 珍念:汚いですね。

 医者:まぁ、何はともあれ、てん失気しきはオナラのことだ。分かったかな?

 珍念:はい、よく分かりました!
    先生、どうもありがとうございました!

 医者:うむ。ご住職に よろしくな。
    また明日の朝、往診おうしんうかがうので。

 珍念:はい!それでは 失礼いたします!(去る)

 


 

 珍念(帰り道。独白)
    いや~、ビックリしたなぁ。まさかテンシキが オナラだったなんて……。
    
    え?てことは、オイラ 乾物かんぶつさんに、オナラ貸してくれって言ってたってこと!?
    もォ~、和尚様おしょうさまのせいで とんだ赤っ恥だよォ。
    
    あれ?でも、乾物かんぶつさん、「親戚にあげた」とか「ネズミが落として割った」とか言ってたぞ?
    おかしいよね?
    
    もしかして……乾物かんぶつさんも、テンシキが何か 知らなかったんじゃないの?
    きっとそうだよ!知らないくせに、知ったかぶりして、オイラを ごまかしたんだ!
    あー、大人って汚いよなぁ。
    
    ――待てよ?
    
    もしかして――
    
    和尚様おしょうさまも ホントは知らないんじゃないの――?テンシキが何か――
    
    ああやって何でも知ってるような顔してさぁ、実は知らないこともあるんじゃないの――
    
    ちょっと和尚様おしょうさまを試してみようかな――
    だって このまま帰って、「テンシキはオナラのことでした」って和尚様おしょうさまに言っても、
    「そうじゃろう そうじゃろう。もちろんワシは テンシキがオナラだと知っておったわい。
     これ珍念、ワシのおかげで テンシキを学べて良かったのぅ。もう忘れるでないぞ」
    なーんて 上から目線で言われるだけだもんね。
    
    よォし、なんか違うモノ言ってやろ。何がいいかなぁ?
    
    (考える)うーん。
    
    (思い付く)あ、そうだ!和尚様おしょうさま、お酒が好きだし、さかずきなんか どうだろ?
    
    うん、いいかも!
    
    和尚様おしょうさま、なんて言うかなぁ。
    オイラが 「和尚様おしょうさま、テンシキは、さかずきのことでした!」って言うでしょ?
    ここで、もし、和尚様おしょうさまが、尊敬すべき 物知りで 徳の高い お坊様なら、
    「珍念、先生が何と言われたかは知らぬが、それは違う。テンシキとは、オナラのことだ」
    っていうふうに訂正してくれるはず。
    反対に、
    「そうじゃろう そうじゃろう。もちろんワシは テンシキがさかずきだと知っておったわい。
    これ珍念、キサマ 寺勤てらづとめの身でありながら テンシキも知らんとは、修行が足らんぞ!
    本堂ほんどう雑巾ぞうきんがけをしてまいれーっ!」
    なぁんて言い出した日には――、もうダメだよ。知ったかぶりのクソ坊主だよ。
    
    さぁーて、どうなるかなー!

 


 

 珍念(寺に帰って来る)
    ただいま戻りましたー!

 和尚:おお珍念。戻ったか。

 珍念(薬を差し出して)
    ハイ、お薬を いただいて来ました!

 和尚:(受け取って)
    うむ。ご苦労じゃったな。
    
    それで――、テンシキが何か、教えてもらったか?

 珍念:はい!教えていただきました!

 和尚:ほう、そうか!
    
    して、先生は、テンシキを なんだとおっしゃったのじゃ?

 珍念:はい!テンシキというのは――
    
    さかずきのことだそうです!

 和尚:さかずき――
    
    珍念、先生は たしかに テンシキはさかずきだと おっしゃったんじゃな?

 珍念:はい!まちがいなく先生は、テンシキは さかずきだと、おっしゃいました!

 和尚:うむ――
    
    (独白)
    なんと――、テンシキとは さかずきのことじゃったのか――
    
    言われてみれば たしかに、由緒ゆいしょのあるさかずきならば とこに飾っても おかしくないし、
    使わない時は 棚に しまっておいたりもするじゃろうし、落とせば割れることもあるじゃろう――
    なるほどさかずき――
    
    お、そういえば、さけを「む」という字は、酒呑しゅてんどうの「テン」、
    さけは「シュ」、そこに「うつわ」を付けて「呑酒テンシュ」。
    つまり「さけうつわ」と書いて「テンシュキ」。
    それが短縮たんしゅくされて 「テンシキ」と なったわけ――
    ふむ、テンシキはさかずき――
    
    なるほど!これで つながった!
    今朝 先生がワシに「テンシキはございますかな?」と おたずねになったのは、
    さしずめ「酒はんでいますか」というような意味のちょうだったんじゃろ。
    「酒は百薬の長」と言うからな。
    酒好きのワシが「テンシキは無い」つまり「酒はんでおらん」と言うたものじゃから、
    先生は心配なさって 薬を調合するとおっしゃったんじゃな。
    
    それにしても、「酒をみますか」を「テンシキはございますか」とは――
    あの先生、なかなか風流ふうりゅうな言い回しを なさる――

 珍念:あの、和尚様おしょうさま

 和尚:(我に返る)む!?な、なんじゃ?

 珍念:いえ あの――、テンシキは さかずき――
    ということで、合ってますか――

 和尚:ん?
    
    ああ、うむ。その通りじゃ、テンシキはさかずきのことじゃ!
    
    
    これ珍念、キサマ寺勤てらづとめの身でありがなら テンシキも知らんとは、
    まだまだ修行が足らんのぉ。ばつとして、本堂ほんどう廊下ろうか雑巾ぞうきんがけ!

 珍念:え、廊下ろうかも!?

 和尚:なんじゃ?

 珍念:いえ、何でも。

 和尚:それが終わったら 庭のホウキがけ、それが終わったら ジャガイモの皮むき、
    それが終わったら 便所掃除!

 珍念:そんなに!?

 和尚:何を言うか。
    
    便所掃除が終わったら、紙に「てんしき」とひゃっぺん書け!
    二度と忘れんようにな!

 珍念:ええ~っ!

 和尚:しっかりつとめと学問がくもんを行い、博学はくがく高徳こうとくそうこころざすのぢゃ!
    そう!ワシのようにな!ぬぁ~っはっはっは!(去る)

 珍念(ため息)ダメだアイツ……。

 




    ー翌日ー

 医者:おはようございます ご住職。
    お加減は いかがですかな?

 和尚:ああ おかげさまで、もうすっかり良くなりましてな。

 医者:それは良うございました。
    
    もともと たいしたやまいではありませんから、もう大丈夫でしょう。

 和尚:ああ、時に 先生。

 医者:はい、なんでしょう?

 和尚:いや昨日、先生が、「テンシキは ございますか」と おたずねになったおり
    そう ついつい、ございません などと申してしまったんですがな――
    よぉく考えてみましたら、テンシキ、ございました。

 医者:おお、ようでしたか。それは結構なことですな。
    
    やはりてん失気しきは あったほうが、体は健康ということですからな。

 和尚:おっしゃるとおりですな。
    
    先生も、テンシキは おありで?

 医者:え?ええ、それは勿論。

 和尚:結構ですな。
    
    そうなどは毎日のモノですが、先生も、毎日?

 医者:え、ええまぁ……毎日……ですね……。

 和尚:ほう!お好きでいらっしゃる!

 医者:いや、好きとか そういうのでは……。
    
    まぁ 無いと困るものですから……

 和尚:いや まったく。無いと困りますなぁ。
    
    そういえば 先生は妻帯さいたいしていらっしゃる。では奥様も毎日?

 医者:まあ……家内かないも人間ですからねぇ……毎日だと思いますけどねぇ……。

 和尚:それは素晴らしい。
    
    では毎晩 ご一緒に?

 医者:いや あまり一緒にというのは……

 和尚:はっはっは、そう照れんでも。
    いいものじゃありませんか、夫婦 むかいで ったりったり。

 医者:そ、そんな はしたないこと!

 和尚:何を はしたないことがありますか。
    俗界ぞっかいでは普通のことでしょう。
    どこの夫婦も やってるでしょうに。

 医者:そ、そうですかねぇ……?

 和尚:ところで先生、当寺とうてらにも、立派なテンシキが ありましてねぇ。

 医者:は?

 和尚:せっかくですので、今から先生に
    そうのテンシキをご覧に入れようかと思いまして。

 医者:ええ!?今!?ここで!?

 和尚:はい。

 医者:いやいやいやいや!結構です!結構ですから!

 和尚:まぁまぁ そう遠慮なさらず。

 医者:遠慮してるわけでは なくてですね。

 和尚:珍念に言って すぐに持って来させますので。

 医者:持って来させる??

 和尚:ええ、きりの箱にめて、しっかりと保管ほかんしてありますので。

 医者きりの箱に!?てん失気しきを!?

 和尚:さよう。大切に、厳重に、保存ほぞんしておるのです。

 医者:は、はあ……。
    
    し、しかし……、いくら厳重と言っても、箱などに入れておいて、
    その……、ちゃんと保存ほぞんできるような物なんでしょうか……?

 和尚:おっしゃるとおり、箱と言っても 完全に密閉されてるわけではありませんからな。
    完璧な保存状態とは言えません。
    
    ですので、時々は そう 自ら、念入りに んでやっております。

 医者:ふ、んでらっしゃるんですか!?わざわざ!?

 和尚:由緒ゆいしょあるテンシキですからな。

 医者由緒ゆいしょあるてん失気しき!?

 和尚:いかにも。当寺とうてらに13代、300年以上 伝わる テンシキでしてな。

 医者:300年以上も!?

 和尚:はい。代々の住職が み、変わらぬ品質を 今に伝えておりまする。

 医者:なに 秘伝のタレの し みたいに言ってるんですか。

 和尚:まぁそんなワケで、いささか自慢のテンシキですのでな、ぜひ見てやってください。

 医者:はあ……まぁ……ご住職が そこまでおっしゃるなら……、
    では……後学こうがくのために、拝見させていただきましょうか……。

 和尚:ええ、ぜひぜひ。
    
    (珍念を呼ぶ)
    珍念!これ珍念や!

 珍念:はぁーい。
    
    (やって来る)
    何か ご用でしょうか?

 和尚:うむ。先生に そうのテンシキを ご覧いただきたいと思うのでな。
    くらに納めてあったであろう。テンシキを持ってまいれ。

 珍念(楽しそうに)
    え!和尚様おしょうさま、ここに、テンシキを持って来いとおっしゃるんですかぁ?

 和尚:そうじゃ。くらにあるじゃろう。
    
    きりの箱に入った、がさねのテンシキが。

 医者がさね!?

 珍念(楽しそうに)
    がさね!ってことは、ぶぅ・すぅ・ぴぃですね!

 和尚:何をワケの分からんことをかしておる!
    はよう持ってまいれ!

 珍念:はぁーい!(去る)
    
    (持って来る)
    持って来ましたー!

 和尚:おお 早いな。
    
    (先生に)
    ささ、先生、この箱の中に テンシキが入っております。
    どうぞ、ご覧になってください。

 医者:はあ……。
    
    あの、開けてしまって よろしいんですか……?

 和尚:もちろん。さ、どうぞ。

 医者:そ、そうですか……。
    
    (覚悟の深呼吸)
    では……開けさせていただきます……。
    
    (箱のフタを開ける。中身は盃)
    ん……?
    
    ご住職――、これは、さかずきですな――

 和尚:はい。そう 自慢のテンシキにございます。

 医者:はて――
    
    あの、ご住職、失礼ながら、何やら お間違いがあるようでございますな。

 和尚:む?間違いですと?

 医者:ええ。
    
    てん失気しきというのは、医学のほうでは、いわゆる「放屁ほうひ」を指す言葉でして――

 和尚:え!?!? ほ、放屁ほうひ!?

 医者:はい。
    
    ですから わたくし、この箱を開けたら オナラが出てくるんじゃないかと
    ヒヤヒヤしておりまして――

 和尚:て、テンシキが放屁ほうひ!?
    
    テンシキは、さかずきのことではなかったのですか!?

 珍念(笑う)プッ、アハハ、アハハハハハ!

 和尚:ち、珍念!きっ、キサマ、ワシにウソを教えおったな!!

 珍念和尚様おしょうさまが知ったかぶりをするのが悪いんですよ~!

 和尚:なんじゃと!
    
    コラ珍念!
    坊主ぼうずの分際で である このワシをだますようなマネをしおって!
    恥ずかしいと思わんのか!


 珍念:ええ、とも思いません。
  



おわり

その他の台本                 


参考にした落語口演の演者さん(敬称略)


春風亭一朝
柳家一琴
三遊亭金馬(3代目)
三遊亭圓生(6代目)
三遊亭京楽
三遊亭遊雀
春風亭一之輔
柳家喬太郎
林家たい平
柳家三三
鈴々舎馬るこ


何かありましたら下記まで。
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