声劇台本 based on 落語

徂徠豆腐そらいどうふ


 原 作:講談/古典落語『徂徠豆腐』
 台本化:くらしあんしん


  上演時間:約100分


【書き起こし人 註】

古典落語をベースにしていますが、あくまでも"声劇台本"として作成しています。
なるべく声劇として演りやすいように、元の落語に様々なアレンジを加えている場合があります。

アドリブ・口調変更・性別転換 等々OKです。



ご利用に際してのお願い等

・上演を公開される際は、観覧無料の媒体のみで行うようお願いします。
 観覧自体が無料であればかまいません。いわゆる「投げ銭システム」に代表されるような、リスナーから
 配信者へ 金銭または換金可能なアイテムやポイントを贈与できるシステムの有無は問いません。
 ただし、ことさらリスナーに金銭やアイテム等の贈与を求めるような行為は おやめください。


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 録画の公開期間も問いません。

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・台本利用に際して、当方への報告等は必要ありません。



<登場人物>

上総屋かずさや 七兵衛しちべえ(セリフ数:209)
 ?歳 → ?+11歳(物語内で11年経過するため)。
 豆腐屋。
 親から継いだ豆腐屋を妻の うの と2人で営んでいる。
 
  ※豆腐を売り歩くシーンがあります。
 

 豆腐の売り声はこんな感じだそうです↓




荻生徂徠おぎゅうそらい(セリフ数:105)
 25歳 → 36歳。
 1666~1728。
 江戸時代の儒学者。
 5代将軍綱吉の側用人である柳沢吉保に重用された。



・うの(セリフ数:80)
 ?歳 → ?+11歳。
 七兵衛の妻。
 出商いの七兵衛に対して店売りと帳簿付けを担当している。



政五郎まさごろう(セリフ数:26)
 ?歳。
 大工の棟梁。



・おたけ(セリフ数:8)
 ?歳。
 徂徠と同じ長屋に住む老婆。
 七兵衛とは顔なじみ。



・語り1(セリフ数:25)
 ?歳。
 丁寧な口調の語り。





浅野内匠頭長矩あさのたくみのかみながのり(セリフ数:13)
 35歳。
 1667~1701。
 赤穂藩藩主。
 江戸城・松の廊下にて吉良上野介を斬り付け、切腹を申し付けられる。



吉良上野介義央きらこうずけのすけよしひさ(セリフ数:14)
 60歳。
 1641~1703。
 江戸時代の幕臣。
 江戸城・松の廊下にて浅野内匠頭に斬り付けられるが軽傷。
 大石内蔵助率いる赤穂浪士に誅殺される。



大石内蔵助良雄おおいしくらのすけよしたか(セリフ数:5)
 42歳。
 1659~1703。
 赤穂藩の筆頭家老。
 主君 浅野内匠頭の仇を討つべく、赤穂浪士を率いて吉良邸に討ち入り。
 吉良を討ち取って仇討ちを果たし、のち切腹。



梶川与惣兵衛かじかわよそべえ(セリフ数:3)
 54歳。
 1647~1723。
 江戸時代の幕臣。
 江戸城・松の廊下で吉良を斬りつけた浅野内匠頭を取り押さえた人物。



・語り2(セリフ数:4)
 ?歳。
 講談のような 七五(もしくは七七)調の語り。
 赤穂事件のシーンの語り担当。


   
・男1(セリフ数:7)
 ?歳。
 モブ江戸庶民。
 赤穂事件関連の幕府の裁きに対して憤る。



・男2(セリフ数:3)
 ?歳。
 モブ江戸庶民。
 赤穂事件関連の幕府の裁きに対して憤る。



・女1(セリフ数:6)
 ?歳。
 モブ江戸庶民。
 赤穂事件関連の幕府の裁きに対して憤る。







<配役>

・七兵衛/内蔵助/梶川:♂ ※兼ね役にマーカーをした台本はこちら
・徂徠/内匠頭/男1:♂ ※兼ね役にマーカーをした台本はこちら
・語り1/吉良/政五郎/男2:♂ ※兼ね役にマーカーをした台本はこちら
・うの/おたけ/語り2/女1:♀ ※兼ね役にマーカーをした台本はこちら


 ※配役はあくまでも推奨ですので、自由に変えていただいて構いません。






【ちょっと難しい言葉】※クリックすると開いたり閉じたりします(ブラウザによっては機能しません)
  • 義士(ぎし)
    人間としての正しい道を堅く守り行う男子。

  • 側用人(そばようにん)
    江戸時代、幕府および諸藩に置かれた役職。将軍と老中の取り次ぎをする。

  • 柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)
    1659年~1714年。江戸中期の大名。5代将軍・綱吉の寵愛を受けた。

  • 執政(しっせい)
    国政を執り行うこと。

  • 増上寺(ぞうじょうじ)
    現在の東京都港区芝公園四丁目にあるお寺。

  • 死んで花実が咲くものか(しんで はなみが さくものか)
    生きていてこそいい事もあるのであって、死んでしまえば、いい事も起こらず、何もかもおしまいである。

  • 茶殻(ちゃがら)
    茶を入れた残りかす。

  • 厚意(こうい)
    おもいやりの心。

  • 掃き溜め(はきだめ)
    ごみを掃き集めて捨てておく場所。転じて、つまらない所。汚い所。

  • 去る者は日々に疎し(さるものは ひびに うとし)
    親しかった者も、交流の機会が減って時間が経てば、その親しさも薄れていくものだ。

  • 刃傷沙汰(にんじょうざた)
    刃物で人を傷つけるような争いや、騒ぎ。

  • 勅使(ちょくし)
    天皇の命令を伝えるために派遣された使者。

  • 接伴(せっぱん)
    客をもてなすこと。

  • 公儀(こうぎ)
    中央政府。朝廷や幕府。

  • 大礼(たいれい)
    朝廷の重大な儀式。

  • 粗略(そりゃく)
    物事をおろそかに扱うこと。ぞんざい。

  • 長袴(ながばかま)
    裾が長く、後ろに引きずる袴。

  • 大紋烏帽子(だいもん えぼし)
    「大紋の直垂(ひたたれ)」と「烏帽子」のこと。江戸時代のフォーマルなコーディネートの1つ。

  • 高家(こうけ)
    江戸幕府において、儀式や典礼を司る役職。

  • 進物(しんもつ)
    人に差し上げる品物。贈り物。

  • 伊予(いよ)
    伊予の国。現在の愛媛県。

  • 富家(ふうか)
    財産が多い家。金持ち。「ふか」とも。

  • 鮒侍(ふなざむらい)
    田舎の侍を揶揄して言う言葉。正確な由来は良くわかりませんが、フナは沼の底などの生息していて、泥臭いイメージがあるから、という説があるそうです。

  • 殿中(でんちゅう)
    高貴な身分の人の住まいの中。ここでは将軍のいる江戸城の中ということ。

  • 喧嘩両成敗(けんかりょうせいばい)
    けんかや争いをした者は、双方とも処罰すること。

  • 定法(じょうほう)
    決まっているやり方。定まったやり方。

  • 雌伏(しふく)
    力を養いながら活躍の機会をじっと待つこと。

  • 半弓(はんきゅう)
    常の弓の半分ほどの長さの弓。座ったまま射ることができる。

  • 管槍(くだやり)
    繰り出しを円滑にするために管に柄を通した槍。左手で管を持ち、右手で柄を持って突く。

  • 手槍(てやり)
    柄が細く短めの槍。

  • 得手(えて)
    得意とすること。

  • 掛矢(かけや)
    樫などの堅木で作った大きな槌。杭や扉を打ち破るのに用いる。

  • 報仇雪恨(ほうきゅうせっこん)
    仇討ちをして恨みを晴らすこと。

  • 会稽(かいけい)
    故事成語「会稽の恥をすすぐ」の略で、ここでは あだ討ちのこと。

  • 御首級(みしるし)
    「首級(しゅきゅう)」の丁寧語。討ち取った首のこと。

  • 寅の中刻(とらの ちゅうこく)
    午前4時40分くらい。

  • などか
    ここでは反語の意味を表して、「どうして~だろうか。いや そうではない」。

  • ここを先途と(ここを せんどと)
    ここが勝敗を決する大事な場合だと思って、いっしょうけんめいになるようす。

  • 天道(てんとう)
    太陽のこと。おてんとう様。

  • 泉岳寺(せんがくじ)
    東京都港区高輪にある寺。赤穂浪士の墓所がある。

  • 魚籃坂下(ぎょらんざかした)
    現在の東京都港区三田あたり。

  • 慶庵(けいあん)
    ここでは、職業斡旋所。現在のハローワークみたいな所。

  • 棟梁(とうりょう)
    大工の親方。

  • 普請(ふしん)
    土木・建築の工事。

  • 木場(きば)
    材木をたくわえておく所。また、材木商店が多く集まっている地域。

  • 干天の慈雨(かんてんの じう)
    日照り続きのときに降る恵みの雨。困っているときにさしのべられる救いの手。

  • 林大学頭(はやし だいがくのかみ)
    林鳳岡(はやし ほうこう 1645~1732)のこと。儒学者。5代将軍・綱吉の政権下で活躍。

  • 忠孝奨励(ちゅうこうしょうれい)
    「主君への忠誠」と「親への孝行」を行うよう勧める考え。

  • 政道(せいどう)
    政治の行われ方。国の治め方。

  • 豪儀(ごうぎ)
    すばらしく立派なさま。

  • 黒羽二重(くろはぶたえ)
    上質の生糸を用いた絹織物のうち、黒色に染めたもの。

  • 五つ所紋(いつところもん)
    後ろ背中心、後ろ両袖、前両胸の五か所に紋が入っているということ。

  • 仙台平(せんだいひら)
    宮城県仙台地方で産する精巧な絹の袴地。

  • 無音(ぶいん)
    久しく便りをしないこと。音信がとだえること。無沙汰。

  • 出仕(しゅっし)
    民間から出て官職につくこと。

  • 類焼(るいしょう)
    他の家から出た火事が広がってきて焼けること。

  • 尾羽打ち枯らす(おは うちからす)
    落ちぶれてみすぼらしい姿になること。

  • 騒擾(そうじょう)
    騒いで秩序を乱すこと。騒動。

  • 大法(たいほう)
    重大な法規。

  • 追い腹(おいばら)
    家来が、死んだ主君のあとを追って切腹すること。

  • 花は桜木人は武士(はなは さくらぎ ひとは ぶし)
    花では桜が第一であるように、人では潔い武士が第一であるということ。

  • 徒花(あだばな)
    咲いても実を結ばずに散る花。




ここから本編






語り1:元禄げんろく15年12月14日、大石おおいし 内蔵助くらのすけを はじめとする赤穂あこうろう47人、
    いわゆる「じゅうしち」が 吉良きらていり、吉良きら上野こうずけのすけの 首を取って、
    主君・あさ内匠頭たくみのかみあだちを 果たしました。
    
    その翌年よくとし、幕府から 切腹を 申し付けられたじゅうしちは、全員 見事にはらを切って、
    主君の後を 追ったのでした。

 


 

 男1:聞いたか?浪士の方々かたがたはらァ 切らされたって!

 女1:聞いたわよ! ひどい話じゃないか!
    あの方々かたがたは、立派に ご主君のかたきを おちになった
    まこと義士ぎしだっていうのに!

 男1:まったくだ! それを 切腹だなんてよォ!
    一体 幕府は 何 考えてやがんだ!

 


 

語り1:この幕府の沙汰さたは、ある学者の意見を れたもの、とも言われております。
    その学者の名は、荻生おぎゅうらい
    5代将軍 綱吉つなよし側用人そばようにん柳沢やなぎさわ 吉保よしやす知恵ちえぶくろとして、執政しっせいにも 影響を与えたらいですが、
    若い頃は たいそう貧乏で、日々の食事にも こと有様ありさまだったそうでございます。

 


 

語り1:時は じゅうしちりから さかのぼること10年、元禄げんろく5年の正月。
    ところは、しばぞうじょう門前もんぜんにある貧乏びんぼうなが
    
    25歳の荻生おぎゅうらいは、書物しょもつ以外 ほとんど何もない、
    ボロボロの部屋で 新年を迎えました。
    食べる物も 底をつき、元旦早々、水を飲んで
    どうにか 空腹をごまかす始末。
    
    翌2日。
    
    このながの 前の道を、しょうばいちゅうの豆腐屋さんが 通りかかりました。

七兵衛:(売り声)とおォ~~~ゥ~~~

 徂徠:(空腹で倒れそう)
    (長屋の部屋から 小さくかぼそい声で)
    おとうふやさん…。おとうふやさん…。

七兵衛:(遠くで呼んでるのかと思い)
    ん?どっかで呼んでんな。
    へーい!どちらさまでー?

 徂徠:(空腹で息も絶え絶え)
    おとうふやさん……こちらです……

七兵衛:ああ、そんな近くでしたか。
    あんまり声がちいせえから、遠くで呼んでるのかと思いやしたよ。
    どうも、あけまして おめでとうごぜえやす。

 徂徠:(空腹で息も絶え絶え)
    はい……、おめでとうございます……

七兵衛:あんまり めでてぇって顔じゃ ござんせんねぇ。大丈夫ですかい?

 徂徠:(空腹で息も絶え絶え)
    はい……大丈夫です……。
    あの……、おとうふをひとつ……

七兵衛:へい、おひとつですね、ありがとう存じます。
    さらうつわ、ございますかい?

 徂徠:あ、では、(その辺から 欠けた器を取って)この器に……。

七兵衛:へい、じゃ そこに入れますよ。
    (差し出された器に豆腐を入れてやる)
    よっと。へい、どうぞ。

 徂徠:ありがとうございます。
    では、さっそくいただきます。

七兵衛:え?

 徂徠:(ひとくち食べる)アムッ ムシャムシャ。
    (おいしい。少し元気を取り戻す)
    ああ、これは美味おいしい お豆腐だ。

七兵衛:(豆腐を褒められてゴキゲン)
    そうスか?そりゃどうも。
    
    いや しかし、よっぽどはらが減ってたんでござんすかい?
    いきなり豆腐だけ ガツガツやる人も珍しいや。
    しょうぐらい かけねえんスか?

 徂徠:(食べてる)ムシャムシャ。
    いえ、下手へたに 物を かけたりいたしますと、
    せっかくの お豆腐の味を 殺すことになりますので。

七兵衛:ほォ、こいつァ本当の豆腐好きでござんすね。

 徂徠:ムシャムシャ。
    ああ、あなたの お豆腐は本当に美味おいしい。
    お店は この近くなのですか?

七兵衛:へい、まえ門前もんぜんのはずれにあります 親代々おやだいだいの豆腐屋で、
    上総かずさ しち兵衛べえといいます。

 徂徠:上総かずさ しち兵衛べえさんですね。覚えておきましょう。ムシャムシャ。
    ああ、この お豆腐は本当に美味おいしい。ムシャムシャ。
    (食べ終わる)ふう、ごちそう様でございました。
    いや私も お豆腐には うるさいほうですが、
    こんなに 美味おいしい お豆腐は食べたことがありません。

七兵衛:そうですか、どうも ありがとう存じます。
    豆腐屋にとっちゃ、商売モンの豆腐を めてもらうのが 何よりでしてねぇ。
    いやぁ嬉しいなぁ。
    
    いや何もね、単に 豆腐が売れたから とか、お得意が出来たから とか、
    そんなんで嬉しいんじゃねえんスよ。あ、いや それも嬉しいんスけどね。
    
    それよりも、そうやって食ってらっしゃる時の 美味うまそうな顔。
    食い終わった時の 満足そうな顔。
    その顔を こうして 目の前で 見れたってのが嬉しいんスよ。
    (しみじみ)いやぁ、今日は いいあきない したなァ――
    
    (我に返って)
    おっと、まだあきないが 終わったわけじゃなかった。
    えーと、豆腐1丁で、4もんになりやす。

 徂徠:(実は1文無し)
    ああ――、その――、それがですね……、あいにくと今、
    こまかいのを 切らしておりまして……。

七兵衛:ああ、さようでござんすか。
    へい、承知しやした。
    また明日あしたうかがいやすんで、そんときにでも。

 徂徠:いや、でも――

七兵衛:なァに 構わねえスよ。よくある事なんで。
    
    それより ダンナは、学者サンか何か なんスかい?

 徂徠:あ、お分かりになりますか?

七兵衛:いや だって、どこのまわりにも 本が積んであるし、
    部屋の 奥のほうなんて 本だらけじゃねえスか。
    
    いや~すごいもんスねぇ。学者のセンセイってわけだ。

 徂徠:いや先生だなんて とんでもない。
    いまだ未熟な 若輩じゃくはいの身でして。

七兵衛:そうなんスかい?
    じゃ いつ "センセイ"になるんスか?

 徂徠:さあ……。5年先か、10年先か――
    
    でも いつの日か、自分の学んだことを 世の中のためにかせるよう、
    けんの役に立てるようにと、そう思って 日々 学問にはげんでおります。

七兵衛:エライ! いや えらいもんだよセンセイ。

 徂徠:いえ ですから まだ先生では――

七兵衛:いやいや、あっしにとっちゃぁ もうセンセイすよ。
    立派なもんスねぇ。
    
    いやね、ウチの死んだ親父オヤジも よく言ってたんスよ。
    豆腐屋だって これからは 学問のひとつも 身に付けなきゃいけねえ、本読め 本読めって。
    けど あっしは、本の表紙を見ただけで 頭がクラクラしちまってねぇ。
    結局 学問なんざ やらずじまいスよ。
    
    そこへいくとセンセイは、これだけの本を読んでらっしゃる。たいしたもんスよ。
    立派な先生になれるように、これからも 頑張っておくんなさいよ。

 徂徠:(感じ入る)
    上総かずささん――
    ありがとうございます。

七兵衛:おっと。ついつい長居しちまった。
    残りの豆腐、売っちまわねえとな。
    
    じゃ先生、また明日あしたうかがいやすんで。そいじゃ。(去る)


語り1:そうして しち兵衛べえさんは 残りの豆腐を 売り歩き、夕暮れには 商売を終えて
    自分の店 けん 自宅へと帰って来ました。


七兵衛:オウ おっかあ、帰ったぜ。

 うの:おかえり おまえさん。ご苦労さま。
    売り残しちゃ いないだろうね?

七兵衛:当ッたり前よォ。しち兵衛べえ様をナメちゃいけねえ。
    バッチリ全部 売れたに 決まってんだろ?
    そっちはどうだ?

 うの:あら、うの様をナメてもらっちゃ困るねぇ。
    店の方も、すっかり売り切ったさ。

七兵衛:ハッハッハ、さすが おっかあ、大したモンだ!
    いや それにしても、年明け早々 完売たぁ景気がいいな。

 うの:ホント。ありがたいねえ。

七兵衛:オ、そう言やあよぉ、門前もんぜんの ドブ板長いたなが、あそこに、
    学者のセンセイなんて 住んでたんだなぁ。
    ちっとも知らなかったぜ。

 うの:学者のセンセイが?
    あんな、(「貧乏長屋」と言いかける)貧乏――
    ええと――、質素なながにかい?

七兵衛:ま、正確には まだ「センセイのタマゴ」って所らしいんだけどな。
    けど すごかったぜぇ。狭い部屋が 本で埋まってんだ。
    布団ふとんのまわりまで 本だらけなんだぜ?

 うの:へぇ~。すごいもんだねぇ。

七兵衛:でよ、そのセンセイが ウチの豆腐、えらく気に入ってくれてよぉ。

 うの:あら、そうなのかい?

七兵衛:ああ。器に入れてやったら、すぐ その場で食べ始めてさ。

 うの:その場で!?

七兵衛:そうなんだよ。俺もビックリしちゃったよ。
    けど 俺の目の前で、なんにも かけずに、美味おいしい 美味おいしいって言いながら、
    幸せそうな顔して 食ってくれてよぉ。見てるこっちまで 幸せになったぜ。

 うの:嬉しいねぇ。作るのにも ハリが出るってもんさ。

七兵衛:まったくだ。今年も春から 縁起がいいぜ。

 


 

語り1:そして翌日。
    
    この日も あきない中のしち兵衛べえさんは、例の ドブ板長いたながの前まで やって来ました。

七兵衛:(売り声)豆ォ~~~腐ゥ~~~

 徂徠:(また空腹で衰弱)
    おとうふやさん…。おとうふやさん…。

七兵衛:(返事)へーい!
    
    こりゃどうもセンセイ。
    
    (センセイ、昨日より弱ってるように見える)
    ……大丈夫ですかぃ?
    心なしか、昨日より 元気がェように 見えますがね。

 徂徠:おなかが 空いておりまして……。
    
    お豆腐をひとつ、いただけますか……?

七兵衛:へい、どうぞ。

 徂徠:ありがとうございます。
    
    ではさっそく。
    ムシャムシャ、ムシャムシャ……

七兵衛:(しばらく食べっぷりを眺めて)
    やっぱり いい食いっぷりでござんすねェ。

 徂徠:ああ、これは 大変 お見苦しいことで……。
    空腹のうえ、とてもおいしい お豆腐ですので、
    つい目の前でガツガツと……。

七兵衛:いやいや、それだけ 夢中になって 食べてくれりゃあ、
    こっちも手間てまひまかけて こしらえた甲斐があるってもんスよ。

 徂徠:そうおっしゃっていただけると(ムシャムシャ)
    こちらとしても ありがたいです。(ムシャムシャ)
    ふう。今日も 大変けっこうなお豆腐でした。
    ごちそう様でございました。

七兵衛:ありがとう存じやす。
    
    そいじゃ、昨日の分と合わせて、8もんになりやす。

 徂徠:それがその――、あいにくと今日も、
    こまかいのを 切らしておりまして――

七兵衛:ありゃ、さようでござんすか。
    へい、ようござんす。では また明日あしたってことで。

 


 

 うの:ちょいと おまえさん。

七兵衛:なんだい?

 うの:おまえさん、昨日も今日も、
    お豆腐 全部 売り切ったって 言ったわよね?

七兵衛:ああ、売り切ったよ。

 うの:おかしいねぇ……。

七兵衛:どした?

 うの:いやね、今 ちょう簿 つけてんだけどさ、まぁこまかいんだけど、
    昨日も今日も、1丁分、お金が合わなくってさ。

七兵衛:1丁分?
    
    ああ、そりゃアレだ、学者のセンセイんとこの分だ。

 うの:え? どういうこと?

七兵衛:いや、例のセンセイなんだけどよ、昨日 売った時に、4もんになりますって言ったら、
    こまけえのを 切らしてるって言うから、じゃあ明日あしたでいいですよって言って。
    んで 今日も買ってくれたからよ、じゃ 昨日のと 合わせて 8もんになりますって言ったら、
    今日も こまけえのを 切らしてるって言うから、じゃあ明日あしたでいいですよって言って――

 うの:ああ そういうことかい。
    
    けど おまえさん。おまえさんもかつだねぇ。

七兵衛:何がだよ。

 うの:何がって そうじゃないか。
    昨日は しょうがないとして、昨日の今日で 何 同じことやってんだい。
    昨日 こまかいの が無いって 言われたんなら、
    今日は せん たくさん 持ってきゃ 済む話だったろ?
    言ってくれたら 今朝 多めに せんのお金 渡したのに。

七兵衛:あ そっか。
    こりゃ俺としたことが かつだったな。

 うの:じゃ明日あしたは 多めにせん 持って行くんだよ?

七兵衛:オウ 分かったよ。

 


 

語り1:ということで また翌日。

 徂徠:(食べ終えて)
    ふう。今日も 大変けっこうな お豆腐でした。
    ごちそうさまでございました。

七兵衛:ありがとう存じやす。
    では、おとといの分と 昨日の分と 今日の分、
    合わせて 12もんになりやす。

 徂徠:それが その――、あいにくと今日も、こまかいのを 切らしておりまして。
    明日あしたまとめて――

七兵衛:ええ、そうおっしゃると思いやしてね、
    今日は せんを たっぷり持って来たんスよ。

 徂徠:え――!?

七兵衛:こまけえのが えんなら、大きいので 大丈夫でござんすから。
    さ、ぎんでも ばんでも、何でも 出して おくんなせェ。

 徂徠:――
    
    お豆腐屋さん……。

七兵衛:へい。

 徂徠:わたくしは、こまかいのが無いと、申し上げました。

七兵衛:ええ。おっしゃいやしたねぇ。

 徂徠:こまかいのが無いんです――
    
    こまかいのが無いのに、ましてや、
    大きいのが あると、お思いになりますか――

七兵衛:…………え?

 徂徠:こまかいが無いのに、大きいのが あると、
    お思いになりますか――

七兵衛:……。
    
    大きいのが あると……、
    
    信じたいスねェ…。

 徂徠:こまかいのを 切らしているくらいですから、大きいのは、
    とっっっくに 切らしております……。

七兵衛:ええっ!それじゃ おまえさん、もんしかよぉ!?

 徂徠:(勢いよく土下座)
    も、申し訳ございません!!
    お金が無くて、ここ何日も、水しか 口にしておりませんで……。
    そうしたら おととい、お豆腐屋さんの 売り声を 耳にいたしまして、
    あまりの ひもじさに、思わず お豆腐をくださいと……。
    いただいてみましたら、あまりに美味おいしい お豆腐だったものですから、
    つい、昨日も今日も、いただいてしまいました……。
    申し訳ございません……。

七兵衛:(絶句)……。
    
    (ため息)ハァ~……。
    ま、考えてみりゃ、そうか……。
    大きいぜに 持ってる奴が、こんな 貧乏びんぼうながで暮らしたり、
    豆腐 1丁だけ 頼んだりするワケねえよな……。
    
    なぁ おまえさん、学問やってんのは 聞いたけど、その、
    日々のぜには どうやってかせいでんだい?

 徂徠:お金は……かせいでおりません……。

七兵衛:え、そうなのかい!?

 徂徠:小さな塾で 読み書きを教えて 生活の足しに していた事もあったのですが、
    その塾も 先月 つぶれてしまい――
    もともと たいしたかせぎでもなかったものですから、
    すぐに 蓄えも 尽きてしまって――
    
    それでも、いつか見出されることを信じて、
    学問だけは 続けていたのですが――

七兵衛:それで 飢え死に しちまったんじゃあ 何にも ならねえじゃねえか。
    
    なぁセンセイよぉ、水しか飲めねえくらい 貧乏してるんなら、
    ホラ、そのへんの本 何冊か売って、ぜににすれば いいじゃねえか。

 徂徠:それはできません。書物しょもつは 命よりも大切な物。私のたましいです。
    死んでも 手放すわけにはまいりません。

七兵衛:(ため息)学者ってのは、えれえけど 融通ゆうずうかねえなァ……。
    
    あのさ、おまえさん、これだけの本を読んでるんだ、頭いいんだろ?
    その頭 使って 何かあきないでもすりゃあ、なにも 水や豆腐で 飢えを しのがなくたって、
    好きなもん はらいっぱい 食えるんじゃねえのかい?

 徂徠:いえ、自分に商売の才覚さいかくが あるとは思いません。
    また かりに あったにせよ、それで お金を儲けて はらを満たしたところで、
    豊かになるのは 私1人のことです。
    
    けれど 私が学問をおさめれば、それを広めることで、
    多くの人を 豊かにすることが できると思うのです。
    私の学問が、いつか、世のため 人のためになると、
    私は信じているのです。

七兵衛:(今の言葉に感じ入るものがある)――

 徂徠:――しかし、だからと言って、他人ひとさまに 迷惑を掛けたり、
    ましてや ほうおかして良い などという道理は ありません。
    私は、払えるお金が無いにも関わらず、お豆腐を いただいてしまいました。
    上総かずささんにも 迷惑を掛けましたし、法に照らしても 許されることではありません。
    
    上総かずささん、ご迷惑ついでと言っては 何なのですが、
    これから 私と一緒に、番所ばんしょへ行ってください。

七兵衛:え?番所ばんしょ? 何しに?

 徂徠:おかみ出頭しゅっとうして、さばきを 受けようと思います。
    上総かずささんは、私をうったえてください。

七兵衛:ちょちょちょちょ、ちょいと待ちなよ!
    いきなり 話が デケぇよ!
    たかが豆腐3丁のだいくらいで うったえだの おさばきだの、
    コトがおお袈裟げさだろうが!

 徂徠:しかし罪は罪です。

七兵衛:いや、そりゃそうだけどよぉ……。
    おまえさん、それでいいのかい?
    
    たしかに おまえさんの言う通り、たかが豆腐3丁だろうが 何だろうが、
    代金も払わねえで 食ったとなりゃあ、立派なぬすだ。
    俺がうったえりゃあ、おまえさんは罪人ざいにんてコトになる。
    
    そしたらどうなる?
    まぁ たかが 豆腐の タダ食いだ、ざいってことはえだろうさ。
    けど、ろうで 暮らすことには なるかもしれねぇ。
    そっから 出て来れたとしても、そのぜんモンだ。
    それじゃあ おまえさんの なりてえ「ホンモノの先生」にゃあ、
    生涯 なれねえかもしれねえんだぜ?

 徂徠:分かっています。
    けれどごうとくですから――

七兵衛:おまえさんは それでいいかも知れねえけどよ――
    
    じゃあ、おまえさんが先生になったら豊かになるはずだった
    たくさんの人はどうなる?

 徂徠:え――

七兵衛:おまえさん さっき言ってたじゃねえか。
    自分が学問をおさめて それを広めりゃあ、
    たくさんの人が豊かになるって。
    
    今ここで おまえさんが ぬすに なってみろ。
    その人たちが 豊かになれなく なっちまうじゃねえか。

 徂徠:それは――、それは買いかぶりというものです。
    本当に私が 人々を 豊かにできるという 保証はありません。

七兵衛:何 言ってんだ。
    
    そりゃ 先のことは 分からねえよ?
    けど おまえさんは、こころざしを持って ずっと学問やってきたんだろ?
    貧しくて メシも食えずに 死にそうになっても
    本も売らずに 学問 続けてきたんだろ?
    それを 台無しにするこたァ ねえじゃねえか。

 徂徠:しかし事実、私は お豆腐を食べてしまいましたし、
    お金も持っていませんし、そして 法は法です。

七兵衛:分かってるよ。いくら俺でも、法を曲げることなんざ できねえさ、
    ちゃんと 代金は払ってもらうよ。
    
    
    ただし――
    
    出世しゅっせばらいでだ。

 徂徠:え――
    
    出世、ばらい――

七兵衛:おうよ。出世払い。
    意味は分かんだろ? 学者なんだから。

 徂徠:はい――、意味は分かりますが――

七兵衛:じゃあ決まりだ。
    
    おまえさんが 世に出て、俺だけじゃなく
    みんなから「先生」と呼ばれるようになって、
    立派に 給金きゅうきんもらえる身分になったら、
    豆腐の代金、払ってくんな。

 徂徠:し、しかし、世に出るなんて、いつになることやら――
    
    そもそも、世に出られるかどうか――

七兵衛:んな弱気なことでどうするよ。
    やってみなくちゃ分からねえなら、一生懸命やるだけさ。
    
    たくさんの人を豊かにするんだろ?
    俺だってさ、忘れた頃に 豆腐代が入ってくりゃあ、
    少しは豊かになるってもんだ。
    
    センセイ、いっちょ頑張って、俺のことも豊かにしてくんな。

 徂徠:(感動)
    上総かずささん――
    
    かたじけない――ありがとうございます――
    
    しかし上総かずささん、私のような者に、
    どうして そこまで してくださるのですか――

七兵衛:ん?
    
    ああ――
    
    いや何、おまえさん どう見たって 悪いヤツにゃ見えねえし、それに――
    
    ウチの豆腐、美味うまそうに食ってくれたからな。

 徂徠:え――

七兵衛:ウチの豆腐 食ってる時の おまえさんの顔、本当に幸せそうでよぉ。
    俺ァまるで、我が子を められてる みてえに嬉しかったよ。
    と言っても、ウチにゃ まだ ガキは いねえんだけどな、ハハ。
    
    あんなに美味うまそうな顔して ウチの豆腐 食ってくれる人を、
    俺は ぬすになんざ できやしねえよ。

 徂徠:(もう泣きそう)
    上総かずささん――
    
    あなたは 私の恩人です。
    本当に ありがとうございます、上総かずささん――いえ、
    
    お豆腐の先生――

七兵衛:よせやい(笑)
    センセイに 先生なんて 呼ばれちゃあ、ワケが 分からねえや(笑)
    
    ヨーシ、そうと決まりゃあ、明日あしたっから 俺がセンセイに おまんま 持って来てやるよ!
    たいしたモンはえけどよぉ、カカアに言って センセイの分も にぎめし 作らせて、
    タクアンの2、3切れも付けて……

 徂徠:ああ上総かずささん、それは いけません。
    ありがたい お申し出ですが、それはいけません。

七兵衛:え? なんだい、白い おまんま 嫌いかい?

 徂徠:いいえ、大好きです。毎晩 夢に見ます。

七兵衛:なんだよ、それじゃ 遠慮すること ねえじゃねえか。

 徂徠:いいえ。もし、明日あしたからも 持って来ていただけると おっしゃるのであれば、
    どうか 商売ものの お豆腐を。

七兵衛:いや、豆腐は もちろん持って来るよ。
    あきないの通り道なんだから。
    
    でもさセンセイ、豆腐だけじゃ淋しいし、足りねえだろ?
    だからにぎめしも付けてやろうってんだよ。

 徂徠:そうは参りません。
    
    上総かずささんは、豆腐の代金は 出世払いでいいとおっしゃってくださった。
    ですから、商売ものの お豆腐をいただくのであれば、どれだけかかっても、
    いつか そのだいを お支払いすることができる。
    しかし、おにぎりまで いただいてしまえば、それは ほどこしを受けたという事になります。
    それでは、ものいと同じです。
    
    貧乏はしても ものいには ならぬ。
    これが私の、ささやかなケジメです。

七兵衛:――
    
    ふふっ…、はっはっはっは。

 徂徠:お……、おかしいでしょうか……。

七兵衛:いや だってさ、出世払いなんて そんなアテのえ ツケに 甘えてんのにさぁ、
    今さら にぎめし もらっちゃ ものいだなんて、おかしなもんだと 思ってさ(笑)

 徂徠:そ、それは……、一言いちごんもございません……。
    まことにもって、お恥ずかしい……。

七兵衛:いやいや(笑)、まぁよく分かんねえけど、
    貧乏してても 五分ごぶたましいは 捨てずに持ってるってワケだ。
    その心意気は 伝わってきたよ。
    
    よし分かった。
    飯の差し入れが センセイの誇りを 傷つけるってんなら、
    そんなヤボは よそうじゃねえか。
    これまでどおり、豆腐だけ持って来るよ。

 徂徠:ありがとうございます……!

七兵衛:(真剣な顔になって)
    その代わりよぉセンセイ、
    絶対に、
    飢え死になんざ しちゃ いけねえぜ?

 徂徠:上総かずささん……

七兵衛:飢え死になんざ したら――、このまま、世に出ねえまま、
    俺に豆腐の代金 払わねえまま 死んじまったりしたら、
    おまえさんは「先生」じゃねえ。「食い逃げ」、「ぬす」だ。
    おまえさんは ぬすで終わるような人間じゃねえだろ?
    
    こんなところで 死んじゃいけねえよ。
    死んではなが咲くものか。
    死ぬ時は、世に出て、
    見事に 花ァ 咲かせてから 死ぬんだぜ?

 徂徠:(もはや泣いてる)
    上総かずささん……!
    
    あ……、ありがとうございます……!

七兵衛:そいじゃセンセイ、また明日あしたな。

 


 

語り1:そんなわけで、豆腐のだいは 出世払いでいい という事に してあげたしち兵衛べえさん。
    あきないを終えて帰ると、その事を おかみさんに 話して聞かせました。


 うの:出世払いねえ……。
    あたしは どうかと思うけどねぇ。

七兵衛:なんでだよ。

 うの:いくら お豆腐1丁ずつと言ったって、
    そんな いつ 出世するかも 分からない人に、
    毎日毎日 タダで 商売モンを 食べさせてやるんだろ?
    すぐに世に出て 払ってくれりゃあ いいけどさぁ、
    何年も何十年も 世に出なかったら どうなんのさ?
    チリも積もれば 何とやら。
    1丁の豆腐代だって 積もりゃあ バカにならなくなるよ?
    まぁそれでも、最終的に 世に出てくれりゃあ、まだ望みもあるさ。
    世に出ずじまいだったら どうなの?
    ウチは丸損まるぞんだよ?

七兵衛:大丈夫だよ。
    あのセンセイなら、きっとすぐに世に出るよ。

 うの:そんなの分かるもんかい。

七兵衛:つめてえこと言うなよ。
    意地がりいなぁ。

 うの:意地悪で言ってるんじゃないよ。
    家計を預かる身として、当然の心配じゃないか。
    おまえさん、あきないのウデは良いんだけど、
    ちょいとワキが甘いとこ あるからねぇ。

七兵衛:どういうこったよ?

 うの:昨日だって、あたしに言われなきゃ 多めにせん
    持ってくこと 考え付かなかったろ?
    時々 抜けてるんだよねぇ おまえさん。

七兵衛:そのことは もういいじゃねえか、うるせえなぁ。

 うの:だいたいねぇ、その人が 学者ってのが まず胡散臭うさんくさいんだよ。
    あんな貧乏びんぼうながに 学者のセンセイなんかが 住みつくもんかね?
    詐欺さぎとかかたりってヤツじゃないのかい?
    おまえさん 人がいから、つけこまれてんだよ きっと。

七兵衛:バカ言ってんじゃねえよ!
    あれが そんな悪いヤツに見えるかよ!

 うの:見えるかよって、あたしは その人 見たことないもん。

七兵衛:あ そっか。
    
    いや大丈夫だよ。
    俺は あの人のこと ちゃんと見てんだ。
    目の前で ウチの豆腐 食うとこ 見てんだ。
    
    いい顔して 食ってくれたんだ。
    おめえにも 見せてやりたかったぜ あの顔。
    
    今まで 見てきた中で、いちばん美味うまそうに ウチの豆腐 食ってくれた お客さんだよ。
    あの顔が ウソとは思えねえ。あんな顔して豆腐 食ってくれる人が 悪人だなんて思えねえ。
    もしあれが おめえの言う通り、俺をだますための芝居なんだったら、
    もうしょうがねえ、お手上げ、拍手もんだ。
    それこそ、学者として世に出なくたって、役者として世に出られるってもんだ。
    
    なあ おっかあ、今回ばかりは俺のこと、信じてみちゃあ くれねえか――

 うの:(納得して優しい顔になる)
    ――分かったよ。
    
    おまえさんが そこまで言うなら、あたしも
    そのセンセイのこと、信じようじゃないか。

七兵衛:おっかあ――。ありがとよ。

 うの:さあ そうと決まったら、そのセンセイには
    しっかり体力つけて ますます精進しょうじんしてもらわないとね!
    
    あたし、明日あしたっから センセイの分も おにぎり作るからさ、
    それも 持ってって――

七兵衛:おっと、そいつは いけねえ。

 うの:なんでさ? お豆腐だけじゃ 足しに なんないでしょ?

七兵衛:そりゃ おめえ、考えが浅いってもんだ。

 うの:何よそれ。どういうことよ?

七兵衛:分からねえか?
    
    いいかい?
    もらうのが 商売モンの豆腐なら、どれだけ掛かったって
    いつかは 代金 払ってチャラにできるさ。
    ところが にぎめしまで もらっちまっちゃあ、そりゃ話が違う。
    そいつは ただほどこしを 受けたって だけだ。それじゃものいと おんなじさ。
    
    学者にだって 五分ごぶたましい
    貧しくたって 乞食こじきにゃ ならねえ。
    それが学者のケジメってもんだ。

 うの:へえ、ご大層に 聞いたふうなコト言うじゃないか。
    おまえさん、学者でもないくせに、どうしてそんなことが 分かるんだい?

七兵衛:いや センセイ本人が そう言ってたからよ。

 うの:何だいそれ、聞いたまま 言っただけかい。
    
    でも――なるほどね、学者にも五分ごぶたましいか。
    
    けどさ、やっぱり お豆腐1丁だけじゃ、身体からだが もたないんじゃないかい?

七兵衛:俺もそう思うけどよぉ、むこうが ダメだって言うんだから しょうがねえじゃねえか。

 うの:ん~~。
    
    あ!
    
    じゃあさ、おから!
    おからなら いいんじゃないかい?
    
    それなら売りもんじゃないし、余ったって 捨てるだけの物なんだから!

七兵衛:おお!そいつぁ いい考えだ!
    えてるなぁ おっかあ!
    
    よーし それじゃ、明日あしたっから おからも持ってってやろう!

 


 

語り1:「おから」とは、大豆から 豆腐を作る過程で出来る、
    まぁ 身もふたもない 言い方をすると、残りカスです。
    
    もう少し 詳しく申し上げますと、豆腐を作る際は、
    まず 水にけた大豆を すりつぶし、それを加熱します。
    その加熱した物を、今度は しぼって 濾過ろかします。
    この濾過ろか作業によって 出来た液体が いわゆる「豆乳とうにゅう」で、
    この豆乳とうにゅうにがり・・・を加えて固めた物が 豆腐とうふなのです。
    そして、さき濾過ろか作業の際に 残った しぼりカスが、おからというわけです。
    
    「おから」の「から」は、「卵のから」や「茶殻ちゃがら」と同じで、
    「いらないモノ」 「捨てるモノ」といった 意味合いみあいの物であり、
    実際 豆腐屋のほうでも おからは売り物にならず、捨ててしまったり、
    近隣きんりんの人々に 無料で配ったり していたようです。
    おからをもらった人々も、少しは 自分たちで食べることも あったでしょうが、
    多くは 畑の肥料、あるいは 牛などの エサにしていたと言います。
    
    それはともかく、翌日から しち兵衛べえさんは、豆腐に加えて おからも持って、
    学者先生の元を おとずれるようになりました。


    

 徂徠:(おからをもらって)
    上総かずささん、ごこうは まことにありがたいのですが、
    こんな結構な はなを頂戴するわけには……

七兵衛:何言ってんだ、はななんて お上品なモンじゃねえよ。
    安心しな、そいつは商売モンじゃねえからさ。
    豆腐 作る時に できちまう残りカスだ。
    毎日 大量に出るからよ、近所にタダで やったり
    時々は ウチでも 食べたりするけど、
    それでも余るから 捨てちまうもんなんだ。
    センセイ、それなら いいだろ?

 徂徠:(感涙)上総かずささん――
    
    私のような者に こんな お気遣いまで していただき、
    ありがとうございます――

七兵衛:なぁに、おからのことは、ウチのカミさんが 考えついたんだ。
    感謝なら カミさんに してやってくんな。

 徂徠:なんと、奥方様おくがたさま――

七兵衛:オクガタ様ァ!?
    あれが オクガタってツラかよ(笑)
    ありゃ ガタガタってぇ ツラさ。
    
    その ガタガタ女房も、センセイが世に出るのを 応援してんだ。
    おからなんて 美味うまいもんでも ねぇけどよ、
    ま、せいぜいはらの足しにして 頑張るんだぜ。

 徂徠:はいッ!ありがとうございます――

 


 

語り1:そのしち兵衛べえさんは、毎日 学者先生の元へ 通いました。
    
    そうして 20日ほど経った頃、しち兵衛べえさんは
    性質たちの悪い風邪かぜ背負しょいこんだものか、
    高熱を出して 寝込んでしまいました。
    
    看病していた おかみさんにも伝染うつったようで、
    2人仲良く 枕を並べて すっかりせってしまいました。
    
    何日もの間、あきないも ままならず、ようやくとこを上げられたのは、
    一週間後のことでした。

 


 

七兵衛:(独白)
    俺としたことが、たかが風邪かぜごときに、ここまで
    こっぴどく やられちまうなんてな……。
    もう若くねえのかなぁ。
    
    いや そんなことより、センセイが心配だ。
    この一週間、豆腐も おからも 届けてやれなかったからな。
    さぞかし はら 空かしてるだろうな……。
    まさか 飢え死になんて してなきゃいいけど……。
    
    こうしちゃ いられねえ。
    
    (女房に)
    おっかあ、行ってくるぜ!!(出かける)

 


 

語り1:しち兵衛べえさんが 例のながへ 飛んで来てみますと、学者先生の姿は 見えず、
    部屋のおもては閉まっていて、ひっそりと 静まり返っております。

七兵衛:(戸の中へ呼びかける。ドンドンと叩いてもいい)
    センセー! センセーイ! いるかーい?
    上総かずさ しち兵衛べえでござんすーッ!

おたけ:オヤ、お豆腐屋さんじゃないか。

七兵衛:オウ、おたけバアさんじゃねえか。
    
    なあオイ、この部屋に住んでる 学者のセンセイ、
    今日は まだ起きてねえのかなぁ?

おたけ:学者のセンセイ?
    
    ああ、惣右衛門そう え もんさんのことかいのぅ?本好きの。

七兵衛:そうそう!
    
    へぇ、あのセンセイ、惣右衛門そう え もんって 名前なのか。
    そういや 知らなかったなぁ。
    
    で、その惣右衛門そう え もんさん、今日は まだ寝てんのかい?

おたけ:惣右衛門そう え もんさんなら、もう ここには おらんよ。

七兵衛:え!? いねえ!?
    
    おい バアさん! センセイが もう いねえって、どういうこったよ!?

おたけ:ん~~ ありゃ 3日ほども前だったかねぇ。
    もう暗くなり始めたぶんだったよ。
    おさむらいなんだか お役人なんだか、こんなめにゃ 似合わない
    ご大層な 身なりの 男の人たちが 何人も 固まって ながへ来てねぇ。
    で、この惣右衛門そう え もんさんの部屋の前へ ゾロゾロ集まって。
    そりゃもう、物々しい様子だったねぇ。
    
    それで 惣右衛門そう え もんさんを 呼び出してねぇ、
    出てきたところを 何人かで取り囲んで、一緒に どっかへ行ってしもうた。
    
    残った何人かは、部屋にあった 本やら何やらを 箱に詰め込んで、
    それかついで 後を追ってったよ。

七兵衛:そいつら 一体 何モンなんだよ?
    センセイは、どこに連れて行かれたんだよ!

おたけ:さあのぅ。あたしにゃあ 見当も付かないよ。
    
    後から大家さんに聞いてみたんだけども、大家さんも
    「とにかく惣右衛門そう え もんさんは もう ここを 引き払うから」って、
    それだけしか 聞かされとらんようでねぇ。
    
    だから あの男の人たちが 何者なのか、
    惣右衛門そう え もんさんが どこへ行ってしもうたのか、
    誰にも 分からんわい。

七兵衛:なんてこった……。

おたけ:お豆腐屋さん、おまえさん、惣右衛門そう え もんさんに
    ずいぶん 良くしてあげてたそうだねぇ。

七兵衛:え?

おたけ:惣右衛門そう え もんさん、口数の少ない人だったけども、
    時々 井戸いどばたなんかで会うたびに 言ってたよ、
    「お豆腐屋さんは 私の命の恩人なんです」って。
    おまえさんに、それはそれは 感謝してる様子だったねぇ。

七兵衛:(照れくさいような 悲しいような)
    そうかい……。

おたけ:元気にしてると いいんだけどねぇ……。

七兵衛:……

 


 

語り1:その日 しち兵衛べえさんは、仕事にも身が入らず、
    あきないも そこそこに 帰って来ました。


    

 うの:おかえり おまえさん。早かったね。
    学者のセンセイ、大丈夫だったかい?

七兵衛:いや、いなくなってた。

 うの:え!? いなくなってたって どういうこと!?

七兵衛:詳しくは分からねえ。
    
    おたけバアさんが言うには、3日ほど前らしいんだが、
    何人もの男たちと一緒に、夜のうちに どっかへ 行っちまったらしい。

 うの:何それ。夜逃げかい?

七兵衛:それもあるかも知れねえが、
    一緒に連れ立った 男たちの身なりが 立派だったって 話だからなぁ。
    ひょっとしたら お役人だったのかもしれねえ。

 うの:えっ、それじゃぁ――

七兵衛:ああ。
    
    しょっかれちまったのかもな。

 うの:どうして――

七兵衛:さあ……。
    
    タチの悪い金貸しに 引っかかっちまったか、
    それとも もう 方々ほうぼうから 借金してて、
    それが返せなくて うったえられたか、
    あるいは ひもじさのあまり 盗みでも 働いちまったか――

 うの:そんな――

七兵衛:(ため息)なんてこった。俺が寝込みさえしなきゃぁ、
    こんな事にならずに 済んだかもしれねぇのに――

 うの:おまえさん――
    
    しょうがないよ、あたしたち2人とも、
    あんなに熱が出て 動けなかったんだもの。
    
    それに、なにも しょっかれたなんて
    決まったワケじゃ ないんだしさ。
    今はとにかく、センセイが 元気なのを願って、
    いつか 無事に帰って来るのを 祈ろう? ね?

七兵衛:――
    
    ――そうだな。

 


 

語り1:それからも しばらく しち兵衛べえさんは 毎日
    あきないの道中どうちゅうに ドブ板長いたながたずねてみましたが、
    やはり学者先生が 戻った様子はありませんでした。
    
    
    「去る者は 日々にうとし」と申します。
    3ヶ月・半年と経つうちに、あきらめの気持ちも強くなり、
    また日々の 商売の忙しさにも まぎれて、1年・2年と 経つうちには、
    しち兵衛べえさんふうの頭から、学者先生のことは、だんだんと消えていきました。
    
    
    そして、学者先生が消えてから9年――
    
    江戸をるがす 一大いちだいけんが起きました。
    
    そう、いわゆる「赤穂あこうけん」の発端ほったんとなる、
    江戸えどじょうまつ廊下ろうか刃傷にんじょう沙汰ざたです。

 


 

語り2:時は元禄げんろく   じゅうねん 
    花のさかりの  3月なかば 
    所は江戸えどじょう  まつ廊下ろうか 
    
    周囲 め付け 威張いばり歩くは 
    尊大そんだいそん   横柄おうへいごく 
    吉良きら義央よしひさ   上野こうずけのすけ 
    
    平身低頭へいしんていとう  下手したてに出るは 
    謹厳きんげんじっちょく  赤穂あこう藩主はんしゅ 
    あさ長矩ながのり   内匠頭たくみのかみ 
    
    くだ吉良きらに  見上げるあさ 
    
    春の嵐の  まえれか 
    わす目と目に ばなぜる

内匠頭:(あくまで謙虚に。平伏して)
    これは吉良きら殿。ご機嫌 うるわしゅう 存じまする。

 吉良:(嫌味で尊大、上から目線。小馬鹿にしたような 薄笑いさえ浮かべて)
    これはこれはあさ殿。
    今日の ちょく使接伴せっぱんこう大礼たいれい
    りゃくなきよう、せいぜい神妙しんみょうに おつとめなさいますようにな。

内匠頭:(返事)はっ。
    身に余る大命たいめいしょ ろうなきよう つとめる所存には ございますが、
    何分なにぶん 浅学せんがくの身、本日も何卒なにとぞ、おさしのほど、願わしゅう存じまする。

 吉良:ほう。
    ならば 早速さっそくひとつ 申し上げるが――
    
    あさ殿、そのながばかま如何いかがいたした事で ございますかな――

内匠頭:は?如何いかがしたとは――

 吉良:晴れの大礼たいれいに、左様さようながばかまの着用など、
    こころちがいでは ございませんかな?

内匠頭:あ、いえ、昨日さくじつのお達しに、当日はながばかまとの
    おさしが ございましたゆえ――

 吉良:はて?そのようなさしを いたしましたかなぁ?
    当方とうほう、近頃は としのせいか、物忘れがおおうてのう、ハハハ。
    
    それにのうあさ殿、よしんば こちらのさしちがいであったにせよ、
    それを いささかも 不審に思わず 馬鹿正直に ながばかまで 参られるとは、
    ちとかつでは ございませんかな?
    
    周りを 見てみなされ。諸侯しょこう みな大紋だいもん烏帽子えぼしじゃ。
    晴れの式服しきふくには 大紋だいもん烏帽子えぼし。これは 天下の常識でござろう。
    それとも、赤穂あこうの 田舎には、江戸の常識は 通用しませんかな?
    ハッハッハッハ。

内匠頭:(怒りを ぐっとこらえる)……!
    ――申し訳ございませぬ。
    
    供回ともまわりに 大紋だいもん烏帽子えぼしも 用意させておりますゆえ、すぐに 着替えまする。
    
    しかし吉良きら殿、おそれながら、その……、おさしの行き違いが、
    いささか 多いのではと――

 吉良:なんですと?

内匠頭:ちょく使到着とうちゃくの 料理のけん大玄関おおげんかん屏風びょうぶけん、それに たたみえのけん
    いずれも伊達だて殿への お達しとは 内容が違っておりました。
    そしてまた たびながばかまの件。これでは あまりにも――

 吉良:黙らっしゃい!!
    役目と思うて れてやっておれば つけ上がりくさって!
    おのれ無知むちは 棚に上げ、こまかな手違いを
    ぐだぐだと 並べ立てて、どういうつもりじゃ!
    貴様 何か? かような場で ワシの耄碌もうろくあげつらい、
    諸侯しょこう面前めんぜんで 恥をかかせようというはらもりか!

内匠頭:い、いえッ、決して そのようなことは――

 吉良:まったく あきれた 恥知らずじゃ。
    
    大体のぉ、南役なんやくである こう筆頭ひっとうの このワシに さしあおごうと言うのなら、
    それ相応そうおう進物しんもつを持って 挨拶あいさつに参るのが当然であろうが。
    伊予いよ伊達だてですら、きぬ50に 黄金おうごん100は 持っておったぞ?
    それを、5万3000石取ごくどりの 赤穂あこう城主じょうしゅともあろうふうが、
    ロクな土産みやげたずさえず、口先くちさき挨拶あいさつばかりとは、片腹痛かたはらいたいわ。
    これだから 田舎いなかざむらいがたいのよ。

内匠頭:(我慢も限界に近い)
    くッ――

 吉良:よいから さっさと そのざわりなはかまを 着替えて来やれ。
    
    まったく、ほうの1つもわきまえぬ ふなざむらいの 面倒を 見にゃならんとは、
    肩のる役目じゃわい。(去りかける)

内匠頭:(ついにキレる)
    おのれッ――
    
    (吉良の背に向けて。刀を抜き)
    吉良きらッ!!待てッ!!

 吉良:ん?
    (振り返って驚愕)
    ――!!
    
    あ、あさ殿ッ!
    な、なんじゃ そのかたなはッ!!

内匠頭:これまでのうらみ、思い知れッ!!

 吉良:だッ、誰かッ!
    出合であえッ!出合であえーッ!
    あさ殿が ご乱心らんしんじゃーッ!

内匠頭:(斬りつける)ふんッ!

 吉良:(避けるが 肩先を斬られる)
    ぐあッ!
    
    誰かッ!出合であえッ!
    助けてくれーッ!

内匠頭:(斬りつける)ふんッ!

 吉良:(額を斬られる)ぐあッ!

 梶川:(後ろから内匠頭を羽交い絞めにして抑える)
    あさ殿ッ!お静まりなされいッ!

内匠頭:(振り払おうともがく)
    ぬッ!ええい、放せ!放せッ!

 梶川:(必死に抑えながら)
    なりませぬ!所柄しょがらわきまえなされい!殿中でんちゅうでござるぞ!

内匠頭:(振り払おうともがく)
    放せッ!まだ吉良きらめいひと太刀たちを入れておらぬッ!

 梶川:(ズルズルと後ろへ引っ張りながら)
    なりませぬ!殿中でんちゅうでござる!殿中でんちゅうでござるーッ!

内匠頭:(だんだんと吉良から引き離されながら)
    放せッ!放してくれッ!
    武士の、武士の情けじゃ!
    放してくれーッ!

語り2:積もり積もった 日頃のうらみ 
    かたな宿やどす    内匠頭たくみのかみ 
    命をけて   振るうやいばも 
    吉良きらいのちは    奪えず折れた 
    
    事件を聞いて  綱吉つなよし げき 
    内匠頭たくみのかみは    即日切腹そくじつせっぷく 
    若き命は    桜と散った 
    
    一方いっぽう 吉良きらには  大甘裁定おおあまさいてい 
    ざい放免ほうめん    おとがめ無し 

 


 

語り1:後世こうせいじょう瑠璃るり歌舞伎かぶきの『忠臣蔵ちゅうしんぐら』にいても有名になる、
    まつ廊下ろうか刃傷にんじょう沙汰ざた
    
    この事件に関する処断しょだんに、江戸の市民はいきどおりました。
    
    当時は 二者にしゃの争いについては けんりょう成敗せいばい大原則だいげんそく
    斬りつけた あさ内匠頭たくみのかみにも もちろん罪はありますが、
    内匠頭たくみのかみを そこまで 追い詰めた、
    吉良きらの、今で言う パワハラまがいの言動げんどうにも 非があるはず。
    それを、内匠頭たくみのかみ即日切腹そくじつせっぷくあさ野家のけは お取りつぶし。
    対して吉良きらには 何の おとがめも無し。これでは いかにも不公平です。
    ことに、吉良きら上野こうずけのすけ横柄千万おうへいせんばんは、内外ないがいに よく聞こえていました。
    
    人情にあつい 江戸っ子には、とても納得できるものではありません。

 


 

 男1:んなバカな話があるか!
    なんであさ様だけが はらァ切らなきゃ ならねえんだよ!

 女1:そうよそうよ!
    けんりょう成敗せいばいじゃなかったの!?

 男2:吉良きらの野郎、内匠頭たくみのかみ様を いじめ抜いてた らしいじゃねえか!

 男1:それも、あさ野家のけが ワイロを持って来なかったからって理由なんだろ?
    ふざけやがって!

 女1:まったく ひどい話よ!
    あさ様、おかわいそうに……!

 


 

語り1:処分に不平をいだいたのは、江戸市民だけではありません。
    
    もと赤穂あこうはん 国家老くにがろう大石おおいし 内蔵助くらのすけを中心とする あさ野家のけ 臣団しんだん47名、
    いわゆる「じゅうしち」は、このたび処断しょだんに 反発し、自分たちの手で、
    主君のかたきとうと 決意したのです。

 


 

内蔵助:(赤穂浪士たちに)
    ご一同いちどうたびの おさばき、に落ちかねる。
    りょう成敗せいばい定法じょうほうを破り、吉良きらに 何の おとがめも無いとは。
    殿の ご心中、いかばかり 無念で あられたことか……。
    
    ご一同いちどう、この内蔵助くらのすけ心底しんていは、
    たとえ 幕府にはんひるがえすことになろうとも、
    だん亡君ぼうくんあだち、無念を お晴らし申すことにござる。
    すなわち、吉良きら上野こうずけのすけの首を取り、殿のぜんに おそなえ申す!

 


 

語り1:そして元禄げんろく15年12月14日。
    じゅうしちは、本所ほんじょ 松坂まつざかちょう吉良きらていったのでした。

 


 

内蔵助:(赤穂浪士たちに)
    方々かたがた、殿の ご切腹 ならびに お家断絶いえだんぜつから 1年と9ヶ月。
    ついに この時が参った。
    ここまで長き ふく辛抱しんぼうの時に、よくぞ耐えてこられた。
    
    目指すは 吉良きらの首ただ1つ。
    今宵こよい存分ぞんぶんはたらかれよ。


語り2:夜討ようちの勝負しょうぶは かねての計略けいりゃく 
    つ時は   とら上刻じょうこく 
    のきむなに    つき り返す 
    雪の明かりが   松明たいまつがわり 
    
    半弓はんきゅう薙刀なぎなた   管槍くだやりやり 
    手に手に持って 吉良きらていへ 
    
    手につばしたる  大高おおたか げん 
    得手えてたるかけ  打ち振り上げて  ※掛矢=木製のデカいハンマー 
    手もなくくだく  表門おもてもん 
    じんになるを  これさいわいに
    いちにドッと  ったれば 
    大将たいしょう 大石おおいし   内蔵助くらのすけ 
    大音声だいおんじょうに   ばわったり!

内蔵助:ヤアヤア われらは、さき赤穂あこう城主じょうしゅあさ内匠頭たくみのかみ忠臣ちゅうしんども!
    ほうきゅう雪恨せっこんめいぎて、会稽かいけい げんとったり!
    吉良きら上野こうずけのすけ 殿どの首級しるし、頂戴つかまつる!

語り2:意気いきさかんに 斬り込むろう 
    吉良きら何処いずこと ゆき 蹴立けたてれば 
    むかあらがう   吉良きらが手下を 
    腕に覚えの  強者揃つわものぞろい 
    ほり 神崎かんざき   富森とみのもり    ※堀部安兵衛/神崎与五郎/富森助右衛門 
    バッタバッタと なぎ倒し 
    かばねを踏んで   駆け進む 
    
    さて とらの  ちゅうこくに 
    いたれど吉良きらは  見当たらず 
    いのち れんの    上野こうずけのすけ 
    どこへせたか  雲隠くもがくれ 
    
    長きうらみの   そのかたき 
    今宵こよい  一度ひとたびかぎり 
    などか このまま 置くべきや 
    
    ここをせんと  たずぬるうちに 
    天道てんとう われらに   かたしたるか  ※天道(てんとう)=神。太陽。おてんとうさま。   
    たちまちいだす すみ小屋ごや 
    
    隠れし吉良きらをば 引きずり出して 
    一番槍いちばんやりは    竹林たけばやし    ※武林唯七 
    続いて はざま    じゅうろう    ※間十次郎 
    くび って 
    
    ち取ったり~~!!


    

内蔵助:ご一同いちどう、よくやってくれた。
    お陰で われ四十七名しじゅうしちめい、ひとりの死者も 出す事なく、
    吉良きらち取ることができた。
    内蔵助くらのすけ、改めて ご一同いちどうに礼を申す。
    
    これで何もかも終わった。
    さあ、吉良きらの首を土産みやげに、殿の眠る 泉岳寺せんがくじへ、
    いざ引き上げようぞ!

 


 

語り1:赤穂あこうろうたちの この見事なあだちに、
    江戸じゅうがきました。

 男1:すげえよ!義士ぎしの みなさん、とうとう やったよ!

 女1:よかったねぇ!武士の本懐ほんかいげなさったねぇ!

 


 

語り1:江戸えど市中しちゅうの熱狂 冷めやらぬ 翌15日。
    その夜中に、ぞうじょうの はずれにある一角いっかくで 火事が起きました。
    
    炎は またたくに 燃え広がり、その火の手は、
    上総かずさ しち兵衛べえさんの 豆腐屋にまで 及びます。
    
    結局、店舗てんぽ けん まいは全焼。
    しち兵衛べえさんふうは、命は助かったものの、家も 豆腐も 財産も、
    全てを失って 焼け出されてしまいました。


    

七兵衛:(呆然)なんてこった……。
    ウチの豆腐が全部、焼き豆腐になっちまった……。
    俺が 一体 何したってんだ……
    一生懸命 働いてきたってのによぉ……

 うの:ほんとだよ……
    ふたりで コツコツ 大きくしてきた お店だったのに……
    たった一晩ひとばんで……

七兵衛:もうちょいと頑張りゃあ、わけえモンの1人でも雇って、
    少しは楽できるなぁ なんて言ってたのに……
    な~んも 無くなっちまったなぁ……

 うの:おまえさん……
    あたしたち、これから どうしたら いいんだい……?

七兵衛:わからねえ……

 


 

語り1:ざんあとを前にして ほうに暮れていた しち兵衛べえさんふうでしたが、
    不幸中の幸いと言いますか、火事の一報いっぽうを受けて 駆けつけてくれた 遠い親類しんるいの者がいまして。
    焼け出された2人は、魚藍坂下ぎょらんざかしたにある この親類宅しんるいたく居候いそうろうさせてもらうことになりました。
    
    そんな年の瀬の ある日――


    

七兵衛:(ため息)どうしたもんかなァ――
    命があって おまんま食わしてもらえるのは ありがてぇけど――
    いつまでも 居候いそうろうってワケにも いかねえもんな――

 うの:そうだねぇ――

七兵衛:あきない 始めるにしたって、もとなんにもえもんなぁ。
    明日あしたあたり、慶庵けいあんにでも行ってみるしかねえか――。 ※慶庵…ハローワークみたいな所

 うの:あたしも、女中じょちゅうか何かのクチ、探してみようかしらねぇ――

七兵衛:仕事ったって、俺、オヤジから継いだ 豆腐屋しか やったことねえもんなぁ。
    俺にできるようなこと あるかなぁ……。

政五郎:(家の外で)
    ごめんくださいましー!
    ごめんくださいましー!

七兵衛:ん?誰か来たな。
    今 セイさん、あきないに出ちまってんだけどな。

 うの:とにかく出てみるよ。

七兵衛:おう、頼む。

政五郎:(家の外で)
    ごめんくださいましー!
    ごめんくださいましー!

 うの:はいはい、どちら様?

政五郎:これは どうも。
    
    ええと、こちらは まきせい兵衛べえさんの お宅で 間違いござんせんか?

 うの:あ、ええ、そうなんですけど、あるじさんは今、あきないに出てまして――

政五郎:いや、ええと、こちらに 上総かずさ しち兵衛べえさんという方が
    いらっしゃるとうかがって 来たんでござんすが――

 うの:あ、しち兵衛べえに ご用ですか。
    しち兵衛べえでしたら おりますんで。
    ちょいと お待ちになってください。
    
    (七兵衛を呼ぶ)
    おまえさーん!おまえさんに お客さんだよー!

七兵衛:(出てくる)
    俺に客?誰だい?

政五郎:こりゃ どうも。
    
    上総かずさ しち兵衛べえさんで ござんすかい?

七兵衛:ああ そうだけど……おまえさんは?

政五郎:お初に お目に掛かりやす。
    あっしは、ここいらの 大工だいくしゅうたばねてる 棟梁とうりょう政五郎まさごろうってモンです。
    このたびは とんだ ご災難でござんしたねぇ。お見舞い 申し上げやす。

七兵衛:はぁ、そりゃ ご丁寧に どうも……。
    
    ――で?

政五郎:へい。
    
    えー、さる お方から 頼まれやして、こちらを
    しち兵衛べえさんに お渡しするようにと。(と、包みを七兵衛の前に差し出す)

七兵衛:これは――

政五郎:10両のきんでござんす。

七兵衛:じゅ、10両!?
    
    ちょちょちょ、10両って どういうこったい!?
    その「さる お方」ってのは誰なんだい!?

政五郎:まあまあまあ。いずれ 当人から ご挨拶あいさつがあると 思いやすんで。
    
    で、そのかたからの お達しで、しんのほうも今日から 取り掛かりやすんで。
    なるべく 急ぎは するんですが、なにぶん「立派なものを」と おおかってやすんで、
    まぁ 二月ふたつき二月半ふたつきはんは 掛かるかと思いやす。  ※普請=建築工事。

七兵衛:え? ふ、しん? 何の――

政五郎:それもまぁ 仕上がったら お知らせに 参りやすんで。
    それまでなにかと ご不便でしょうから、この10両、
    とうの生活費として 自由に使って下さい との事でござんす。

七兵衛:いや、ちょっと、何がなんだか――

政五郎:そいじゃ、あっしは すぐにも 木場きばァ 行かなきゃ ならねえんで。では。(去る)

七兵衛:ちょちょちょ――
    
    行っちゃったよ――
    
    (女房に)
    オイ おっかあ、今の、誰だ?

 うの:知らないわよ。
    おまえさんの 知り合いじゃないの?

七兵衛:俺だって知らねえよ。

 うの:なんだか 悪い目つきしてたわねぇ。怪しいわ。

七兵衛:怪しいって何だよ。

 うの:泥棒じゃないかい?

七兵衛:何言ってんだ。泥棒ってのは、物をってくもんだろ。
    今のヤツ、ぜに 置いてったんだぜ?

 うの:だから、どろってヤツよ。

七兵衛:どろォ?

 うの:あるのよ、そういうのが。
    わざと お金 置いてって、
    こっちが散々 使い込んだ頃合いをはからって
    やってんの。
    
    「先日 お貸しした金、返してもらいましょうか。
     なに?返せない?
     それじゃあ 代わりに、家の中の物、もらって行きますよ」
    
    そうやって、ざいどうやらなんやら 持ってかれちゃうのよ。

七兵衛:持ってかれちゃうって……、俺たちにゃあ、
    持ってかれるモンなんて、なーんも ありゃしねえ じゃねえか。

 うの:そういえばそうねぇ……。
    
    てことは……
    
    
    やだ!!!! あたし!?!?
    あたしが目当てなの!?!?

七兵衛:はァ!?

 うの:きっとそうよ!
    
    言われてみれば あの人、チラチラあたしのこと
    いやらしい目で見てたわ……!
    きっと あたしのカラダが目当てなんだわ!!
    れたじつのような このカラダが!!
    
    (実演してみせる)
    「なに?金が返せない?そいつは困ったな。
     ん?そこに上玉じょうだまのオンナがいるなァ。
     ほォ、なかなかイイ身体カラダしてるじゃねえか。
     よぉし、金の代わりに、おまえのカラダで
     たっぷり楽しませてもらおうか、ゲッヘッヘッヘ」
    
    おまえさん、あたし、なぐさみ物にされちゃう!!!
    手籠てごめにされちゃう!!!
    乱暴されちゃう!!!
    エロ同人みたいに!!!!!

七兵衛:うるせえよ! 何 ひとりで盛り上がってんだ!
    誰がテメエなんかに欲情よくじょうするか!
    れたじつのような身体カラダァ?
    じゅくし切ってグズグズじゃねえか!
    
    (ため息)てめえの妄想なんざ どうでもいいんだよ。
    
    このぜになぁ――
    
    まぁ どんなウラがあるか 分からねえし、
    なるべく使わねぇほうが いいかなぁ。

語り1:そうは言うものの、目の前に お金があれば 使ってしまうのが人情というもの。
    こと一文いちもんしち兵衛べえさんふうにとっては まさに干天かんてん慈雨じう
    いけないとは思いつつも、なんだかんだと 少しずつ 使っていくのでした。
    
    さて、年も明けた 元禄げんろく16年。
    
    さき赤穂あこうけんに関して、ひとつ進展がありました。
    吉良きらていった じゅうしちさばきについてです。
    
    とうを組んでの みは 天下のはっ
    通常であれば 全員 斬首ざんしゅを 申し付ける所でありますが、
    城下じょうかで日に日に高まる 赤穂あこうろう同情論どうじょうろん
    無視できないほどに 熱を 帯びてきており、
    ろうたちの処遇しょぐうめぐっては、幕府も 迷いを 生じていました。

 


 

 徂徠:(現在36歳。立派な学者になっている)
    (将軍 綱吉に)
    おそれながら 申し上げます。
    
    たびろう 処遇しょぐうけんはやし 大学頭だいがくのかみ 殿どのに おかれては、
    忠孝奨励ちゅうこうしょうれいしゅをもって、彼らを 助命じょめいすべしとの ご見解けんかいあるよしですが、
    わたくしは 承服しょうふくいたしかねまする。
    がくって ほうないがしろにすれば、政道せいどうは 立ち行きませぬ。
    たび処遇しょぐうだんほうのっとって すべきかと存じまする。
    
    すなわち、彼らには 切腹 申し付けるべきかと 存じまする。


    

語り1:幕府は この意見を採用しました。
    
    2月4日、じゅうしちは 全員 見事に 切腹を果たし、
    主君の後を 追ったのでした。
    
    彼らを 「忠義ちゅうぎ」 「武士ぶしかがみ」として 称賛しょうさん同情どうじょうを寄せていた
    江戸市民たちは、この裁決さいけついきどおりました。


 男1:聞いたか? ろう方々かたがたはらァ切らされたって!

 女1:聞いたわよ! ひどい話じゃないか!
    あの方々かたがたは、立派に ご主君のかたきを おちになった
    まこと義士ぎしだっていうのに!

 男2:まったくだ! それを 切腹だなんてよォ!
    一体 幕府は 何 考えてやがんだ!

 男1:なんでも オギュウ・ソライとか言う 儒学者じゅがくしゃが、
    切腹させろって 幕府に 意見しやがったって話だ!

 男2:じゃあ、その オギュウ・ソライってヤツのせいで、
    みんなはら 切らされたってのか!

 女1:ひどい! 血も涙も無いんだね! オギュウ・ソライって人は!

 


 

語り1:さて、赤穂あこうろうの切腹から 十日とおかほど経った ある日のこと――


    

七兵衛:ん~、10両あったぜにも、ずいぶん 減ってきちまったなぁ。

 うの:そりゃ使ってるだけじゃ 減るのが 当たり前じゃないか。

七兵衛:やっぱり少しは めえかせがなきゃ、
    このまま ズルズル 使い込んじまいそうだなぁ。
    明日あしたあたり、慶庵けいあんにでも行ってみるか――

 うの:おまえさん、去年の暮れにも そんなこと 言ってたじゃないか。

七兵衛:言ってたけどよぉ。言ってたら 10両 転がり込んで来たんだもんよォ。
    
    おめえこそ、女中じょちゅうのクチ探すとか何とか 言ってたじゃねえかよ。

 うの:言ってたけどさぁ、言ってたら 10両 転がり込んで来たんだもん。

七兵衛:何だよ おめえも おんなじじゃねえか。

政五郎:(家の外で)
    ごめんくださいましー!
    ごめんくださいましー!

七兵衛:ん?誰か来たな。
    今 セイさん、あきないに 出ちまってんだけどな。

 うの:なんか前にも こんな流れ あったような……

七兵衛:そうか?

 うの:まあ いいけどさ……。
    とにかく出て来るよ。

七兵衛:おう、頼む。

政五郎:(家の外で)
    ごめんくださいましー!
    ごめんくださいましー!

 うの:はいはい、どちら様?(と言って出る)

政五郎:こりゃどうも。ご無沙汰ぶさたで ござんした。

 うの:(置き泥だ)
    ――!!
    
    アンタは――
    
    (七兵衛を呼ぶ)
    おまえさん!おまえさーーん!
    来とくれ~~!!

七兵衛:(来る)
    なんだよ騒々しいなァ。
    誰が来たってんだ?

政五郎:ああ、こりゃどうも しち兵衛べえさん。

七兵衛:(指さして)あーッ!どろーッ!!

政五郎:お、どろ??

 うの:おまえさんッ!あの10両、けっこう使っちゃったよ!
    あたし、連れてかれちゃう!
    連れてかれて、あんなコトや こんなコトされちゃう!!
    エロ同人みたいに!!!!

政五郎:な、何 言ってんスか この人??

七兵衛:(政五郎に)
    オイ、アンタ!
    アンタ、コイツの カラダが目当てなのか!?

政五郎:はァ!?

七兵衛:(うのを指して)
    本当に コイツのカラダが 欲しいのか!?

政五郎:(うのを指して)
    え、この人の!?
    
    冗談じゃねえスよ。
    ヤですよ こんなの。
    カネ まれたって ヤですよ。

 うの:何よそれ!!

政五郎:おふたりとも 何 ワケの分かんねえこと 言ってんスか。
    
    今日 来たのはスね、おふたりに お見せしたい物が あって、
    ちょいと あっしと一緒に 来ていただきたいと 思いやして。

七兵衛:え?どこへ?

政五郎:まぁ、あっしに ついて来てくだせえ。

七兵衛:へ、へい。
    
    あ、じゃあ ちょいと ここのあるじセイさんに
    書き置きだけ しておこうと思いやすんで。
    ちょいと待ってくだせえ。
    
    (間)
    
    どうも お待たせしやした。そいじゃ、行きましょうか。

 


 

語り1:そうして 政五郎まさごろうに付いて 歩いて参りますと、
    どうやら しばぞうじょうの方へと向かうようです。
    
    やがて、かつてしち兵衛べえさんの豆腐屋があった、
    ぞうじょう門前もんぜんの はずれの辺りが 近付いて参ります。
    
    すると――
    
    見慣れた なつかしい景色の中に、見慣れない 大きな建物が ありました。


    

七兵衛:ん――
    何だ ありゃ――

 うの:何かしらねェ――


    

語り1:やがて 先導せんどう政五郎まさごろうが 足を止めたのは、その建物の前。
    
    目的地であるという そこは、まぎれもなく 去年の火事で
    しち兵衛べえさんの店が焼け落ちた その場所。
    
    しかし今 目の前に建っているのは、
    そうヒノキ造りのおお~~~きなかい


    

七兵衛:こ――、ここは、昔 俺の店があった場所だ。
    いつの間に こんなデケぇ建物ができたんだ――!?

 うの:ホント。ずいぶん立派な お宅ねェ。
    どこの大金持ちが建てたのかしら。


    

語り1:その建物の ごうさに、思わず ため息を漏らすしち兵衛べえさんでしたが、
    よく見てみますと、正面のひさしに 立派な屋根やね看板かんばんかかげてあり、
    そこには太字ふとじで「豆腐とうふ 上総かずさ」と書いてあります。


    

七兵衛:え――
    
    え――!?!?
    
    (政五郎に
    ちょちょちょ、どろさん!

政五郎:いや あっしは政五郎まさごろうですって。
    どうしました?

七兵衛:いや、あの――、なんか、
    「上総かずさ」って書いてあるんスけど――

政五郎:当たり前じゃねえスか。
    おたくの お店なんスから。

七兵衛:ええ!? これが!? あっしの店!?

政五郎:ええ、少々 お待たせしちまったんですが、
    必ず立派なモノに仕上げろって
    きつくおおせ付かってましたんでね、
    気合い入れて やらせていただきやした。
    
    まぁまえ味噌みそでは ござんすが、なかなか いい出来映できばえだと 思いますがね。
    いかがでしょう しち兵衛べえさん、お気にして いただけやしたか?

七兵衛:これが――、あっしの店――
    
    いやもう、なんだか夢でも見てるみてえだ――
    こんな立派な店が 自分の物になるなんて――
    
    あの――、おまえさんに、あっしに渡すようにと10両 預けたり、
    こんな すごい店 作るように 言いつけたりした、その お方ってのは、
    いったい誰なんです?

政五郎:ええ、その お方なんスけどね、普段は ご多忙で 自由に出歩くことも
    おできに ならないんですが、今日は 少し時間が取れるってことで、
    もうすぐ こちらへ いらっしゃることに なってやすんで。
    ですから、中で少し 待ちやしょう。
    座敷も ありやすんで、まぁ 茶でも 飲みながら。

七兵衛:は、はあ――
    
    (女房に)
    おい、おっかあ、聞いたか?
    こんなスゲぇのが、俺の店だって。

 うの:聞いたよ。
    
    前の店の 何倍くらい あるんだろうねぇ――見当も付かないよ。

七兵衛:夢じゃ――ねえだろうな――

 うの:確かめてみるかい?

七兵衛:頼む。

 うの:(七兵衛のほっぺをひっぱたく)ベチーン!

七兵衛:でッッ!!

 うの:痛いかい?

七兵衛:いてえよッ!少しは加減しろい!
    
    ――でも、夢じゃねえんだ――
    ありがてえ――ありがてえ――

 


 

語り1:しち兵衛べえさんふう政五郎まさごろうが 座敷で お茶を飲んでおりますと、
    戸口に 姿を見せた者が おります。
    
    くろぶた五所紋いつところもん仙台平せんだいひらはかまをつけた 立派な身なりの紳士。


    

 徂徠:(座敷に入って来る)
    おくつろぎのところ、失礼をいたします。

七兵衛:(この男が誰だか分からない)
    これは――どうも。

 うの:(同じく 誰だか分からない)
    いらっしゃい――ませ――

 徂徠:(夫婦に)
    お邪魔をいたします。
    
    (政五郎に)
    政五郎まさごろう、お二方ふたかたの案内、ご苦労であったな。

政五郎:いえいえ先生、お安い ご用で。
    
    (七兵衛に)
    しち兵衛べえさん、こちらが、あっしを おつかわしになった お方でござんすよ。

七兵衛:(男に。まだ誰か分からない。戸惑いながら)
    ああ――そうでしたか。
    
    この度はどうも――いや、何と お礼を言っていいか――
    
    ありがとうごぜえやす。

 徂徠:どうぞ頭を お上げください。
    
    上総かずさ殿、お久しゅうございます。

七兵衛:へ?
    
    えーと……
    
    (女房に小声で)
    オイ おっかあ、誰だっけ?

 うの:(小声で)さあ……

七兵衛:(女房に小声で)
    オメエの親戚に、こんな立派な姿形なりの人いたか?

 うの:(小声で)
    いるわけないよ。はかまなんて誰も持ってないよ。

七兵衛:(女房に小声で)
    だよなあ……。
    
    (男に向きなおって)
    こりゃどうも、えーと……どちらかで お会い しやしたかね――
    いや その、どうも、お見逸みそれ いたしやして――

 徂徠:ながいん、加えて 馬子まごにも衣裳いしょう
    いささかようも 変わっておりますゆえ
    お見忘れも 無理からぬ事。
    
    ご無沙汰ぶさたを いたしました――
    
    (少し溜めて)
    
    お豆腐の先生。


七兵衛:――え。
    
    
    (その言葉で思い出す)
    ――!!
    
    お――おまえさん――!!
    
    あん時の――
    
    
    学者のセンセイかい!!


 徂徠:はい。

七兵衛:俺の豆腐、美味うまそうに食ってくれたッ!!

 徂徠:はい。
    
    おなつかしゅうございます。
    上総かずさ殿――いえ、上総かずささん――
    そのせつは、大変 お世話になりました。

七兵衛:(うるうる)
    ああ――学者のセンセイだァ。
    こんな立派ん なって――
    
    (女房に)
    オイ おっかあ、この人だよ、
    俺が おから持って行ってた 学者のセンセイは。

 うの:(徂徠に)
    んまあ、そうでしたか。あなた様でしたか、もんしの――

七兵衛:(女房に)
    コラ、失礼なコト言ってんじゃねえよ。

 うの:あ。ええと、おもんしの――

七兵衛:変わらねえよ。

 うの:(徂徠に)
    お話は 常々 主人から聞いておりましたよ。
    あたしは 話を聞いた初めッから、
    あなた様は 立派な学者様だと 思っておりました。

七兵衛:(女房に)
    おめえ 最初、詐欺さぎだとか かたりだとか 言ってたじゃねえか。

 うの:(七兵衛に小声で)
    余計なこと 言うんじゃないよ!

 徂徠:(うのに)
    奥方様。わたくしに おからを下さるよう おっしゃって下さったのは
    奥方様だとうかがっておりました。
    ようやく 直接 お礼を申し上げることができます。
    奥方様、そのせつは、本当にありがとうございました。

 うの:いいえェ。
    お望みでしたら おにぎりでも何でも 喜んで こさえましたのに。
    
    (七兵衛に)
    ねぇ おまえさん 聞いたかい?
    あたしのこと、オクガタサマだってさ♪

七兵衛:え? "おくガッタガタばばあ" って言ったんじゃねえの?

 うの:ブッ殺すぞ てめえ。

七兵衛:それはそうと――
    
    (徂徠に 嬉しそうに)
    センセイ、その格好かっこう 見りゃ分かる、
    ――世に出たんだね!

 徂徠:はい。お陰様で。

七兵衛:ホンモノの "先生"に なったんだね!

 徂徠:はい。なれました。

七兵衛:(うるうる)嬉しいねェ――
    
    (徂徠が消えた日を思い出して)
    先生、俺ァ心配してたんだぜ?
    あんとき 急にながから いなくなっちまって。
    いや俺も しばらく行ってやれなくて 悪かったけどよォ。
    りい風邪かぜひいちまって 動けなかったもんだからさァ。
    んで とこげして すぐ おまえさんとこ飛んでったら、
    夜のうちに どっか行っちまったって言うじゃねえか。
    俺ァ、の悪い借金 こさえて しょっかれでも したんじゃねえかと思ってよォ。

 徂徠:あのおりは、ご心配を お掛けして 申し訳ありませんでした。
    
    実は そのせつ綱吉公つなよしこうの お側用人そばようにんで あらせられる
    やなぎさわ 出羽でわのかみ様の 眼鏡めがねかない、
    将軍しょうぐん学問所がくもんじょ出仕しゅっしすることに なりまして。
    ついては 急ぎ 城下じょうかきょせよ とのめいを受け、
    取る物も 取りあえず 出立しゅったつした次第でした。
    
    行き先も告げずに ながを出ましたこと、おび申し上げます。

七兵衛:そうだったのかい――

 徂徠:任官にんかんしてからも、上総かずささんに ご挨拶あいさつをせねば、
    お礼を申し上げねばと、常々 思ってはいたのですが、
    宮仕みやづかえの身の 不自由さ、にち 山積さんせきするこうの用に、
    わずかばかりの 出歩きすら ままなりませず――
    日々の多忙に 取り紛れまして、かような無沙汰ぶさたと なってしまいました。
    
    昨年末さくねんまつ上総かずささんの お店が 類焼るいしょうわれたと 聞き及び、
    我が身を切られる思いでした。
    すぐにも じかに お見舞いをと、心ははやるものの、
    おりおり、幕府も 重大じゅうだい案件あんけんかかえ、評議ひょうぎに次ぐ 評議ひょうぎで 寝る間も無く、
    お顔出しの いとますら ございませんでした。
    
    それでも せめてもの お見舞いにと、そこにおります 出入りの政五郎まさごろう
    とうの10両をことづけ、新しい お店のしんいそがせました。
    
    本日、ようやく1つの重大じゅうだい一段落いちだんらくし、こうして外出の お許しが 出た次第で。
    
    遅くなりましたが、やっと、お方々かたがた、お目に掛かることができました。

七兵衛:それじゃあ――、あの10両も この店も、
    本当に 先生が あっしに下さったんですね。
    ありがとう――ごぜえやす――

 徂徠:ようやく、出世払いが できました。

七兵衛:冗談言っちゃいけねえ。
    先生にツケた 豆腐の代金なんざ、全部合わせても
    たかだか80もんか そこらだぜ?

 徂徠:ほんの利息でございます。

七兵衛:どこの世界に 80もんが10両になる利息があるんだよ。
    返済がデカ過ぎらァ。

 徂徠:いいえ。
    
    たかが80もんといえど、
    尾羽おは らした 貧乏学者に 恵んでくださる人が
    一体どれほど いるものでしょうか。
    
    あの時 上総かずささんから受けた ご恩は、
    どれほどの お金を差し上げても、
    返せるものではございません。

七兵衛:先生――
    
    あ。そういや先生、先生の名前 何だっけ?
    ナントカ衛門えもんみたいに聞いたような気が――

 徂徠:これは わたくしと したことが、初めて お会いして以来、
    ろくに 名も 名乗っておりませず 失礼をいたしました。
    
    わたくしは、荻生おぎゅう、通称は惣右衛門そう え もんですが、現在は「らい」とごうし、
    「荻生おぎゅうらい」と名乗っております。

七兵衛:(どこかで聞いた名だ)
    ――
    
    オギュウ、ソライ――
    
    (思い当たる。不愉快な事件の際に聞いた名だ。)
    (怒気を含んだ顔になる)
    おい、おまえさん今――
    
    オギュウ ソライって言ったか――

 徂徠:ええ、それが わたくしの名前でございます。

七兵衛:(怒っている)
    そうかい――
    
    
    オウ、この店は らねえ。10両も 返そうじゃねえか。
    いや 半分ほど 使っちまったが、それは働いて返す。
    
    とにかく、てめえからのぜになんざ、
    ビタ一文いちもん 受け取るワケにゃ いかねえや。

 徂徠:どうされました?
    何やら ご立腹の ご様子ですが――

七兵衛:当たり前だッ!
    
    てめえがオギュウ ソライか。
    聞いたことある名前だぜ。
    
    テメエだろ、「赤穂あこう義士ぎしは切腹させろ」って言い出した 学者ってのはよォ!!

 徂徠:(あくまで冷静に。威儀も礼節も保って)
    いかにも。
    
    彼らに切腹 申し付けるよう 綱吉公つなよしこう進言しんげんしたのは
    この わたくしでございます。

七兵衛:てめえッ!よくも いけシャアシャアと ぬかしやがったなッ!!
    
    おい てめえ、あの人たちはな、本物の義士ぎしだ!武士のかがみだ!
    いくらめても め足りねえ、まことさむらいだ!
    そんな 立派な人たちに はら 切らせるなんて、
    てめえ どういう了見りょうけんしてやがるッ!!

 徂徠:彼らは、亡君ぼうくんかたきたんと 申し立て、
    一団いちだんとなって 吉良きらていりました。
    
    とうを組んでの みは はっ
    ほうもと、固く禁じられております。
    
    彼らは ほうおかしたのです。
    そのとがは、ほうをもって さばかねばなりません。

七兵衛:これだから学者ってのは イヤなんだ。
    何かってぇと ほうだのとがだの。
    
    義士ぎしの皆さんは、ご主君の かたきを おちなさったんだ!
    見事じゃねえか!立派じゃねえか!
    それをアッサリ はら 切れだなんて……!
    
    ご法度はっとだか何だか 知らねえけど、忠義ちゅうぎの心意気に免じて
    生かしてやりゃあ いいじゃねえかよ!

 徂徠:そうは参りません。
    本来であれば 斬首ざんしゅとなっても おかしくはなかったとが
    
    むろん たびりは、忠君ちゅうくんいちこころよりはっし、
    まこと かなうものです。
    
    しかし とは、あくまでおのれりっする手段。
    どこまで行っても わたくしろんでしかありません。
    
    ひとたび てきろんをもって せいの基準たるほうを曲げてしまえば、
    今後 政道せいどうは立ち行かず、てん騒擾そうじょうの元となるでしょう。
    
    ほうを曲げるわけにはいきません。

七兵衛:いいじゃねえか、少しくらい曲げたって。
    二言ふたことには  ホウ ホウ ホウ ホウ!フクロウかてめえは!
    てめえにゃ 人の心がえのか!人情ってモンが分からねえのか!

 徂徠:上総かずささん。わたくしとて 木石ぼくせきではありません。
    浪士たちをたたえる者の気持ちも よく解ります。
    いえ それどころか、わたくしの 心の底には、たびあだちに、
    天晴あっぱれ 見事な忠君ちゅうくんぶりと、喝采かっさいを送りたい気持ちさえ ございます。
    
    しかし いかに快挙かいきょといえど、
    そのために 天下の大法たいほうを曲げることは出来ません。
    
    それゆえ わたくしは、ほうを曲げずに、
    ほうなさけをそそいだのです。

七兵衛:……どういうこったよ?

 徂徠:本懐ほんかいである あだちを成しげた 彼ら。
    しかし彼らには もう1つの本懐ほんかいが あったはず。
    すなわち、亡き主君のもとへ さんじること。
    それをげさせんがため、わたくしは、
    「彼らにばらを」と 進言しんげんしたのでございます。

七兵衛:……なんだよ それ。
    要は さっさと死ねってことじゃねえか。

 徂徠:いいえ。
    
    本懐ほんかいげさせるための 切腹です。

七兵衛:どう言いつくろったって おんなじだ!
    (もう涙まじりの憤り)
    死んじまって、何が本懐ほんかいだ!そんなバカな理屈があるか!
    てめえにゃ、忠義ちゅうぎさむらいしむ気持ちはえのかッ!

 徂徠:(思わず感情が出る)
    しめばこそですッ!!
    
    
    彼らの、けがれなき 忠誠心を しめばこそ、それがきよいうちに、
    その忠を尽くすべき者のもとへ 送り出してやったのです。
    
    上総かずささん。城の 内にも外にも、浪士たちをたたしむ者が
    多く いることを わたくしは よく知っておりますし、
    わたくしの気持ちも また 同様です。
    
    しかし、いちろんって 浪士たちを ながらえ させれば、どうなりましょう。
    彼らとて 人の子。この先の人生、称賛しょうさん喝采かっさい、あるいはへつらいの中で 生活し、
    つい出来心、あるいは魔が差して、ほうおかこころを しでかしてしまう者が、
    47名のうち、ただの1人も出ぬと 言い切れますでしょうか?
    万一そのような事があれば、その汚名は 47名 全員に 及びます。
    大望たいもうを成しげ、見事に咲いた花が、一瞬にしてどっとなり、なんまととなるのです。
    そうなった時、彼らの不名誉に対して、助命論じょめいろんとなえていた者は、責任が取れますでしょうか。

七兵衛:うるせえッ!そんなのは 学者の理屈だ!べんだッ!

 徂徠:べんではない!
    
    ――たとえ 今言ったような事にまでは ならなくとも、
    やはり 彼らの、あのゆきごと純白じゅんぱく忠誠心ちゅうせいしんを、
    ぞくあかに さらしておくに 忍びないのです。
    
    「花はさくら 人は武士」と申します。
    せっかく見事に咲いた花、みにく らしては ならないのです。
    徒花あだばなにしては ならないのです。
    赤穂あこうろうという花は、美しいまま散ってこそ――
    ほうに従って 潔く 命を捨ててこそ――
    まことの武士ぶしどうとして のちの世まで 語り継がれ、
    実を結ぶというものです。
    
    上総かずささん、そうは 思われませんか――

七兵衛:(納得する気持ちもあるが、反発する気持ちもある。意地もある。涙)
    分からねえッ――!分かりたくもねえッ……!

 徂徠:上総かずささんは 先ほど、「学者の理屈」とおっしゃいました。
    さよう、ほうを重んじ ほうに従うべしとは、政道せいどうを 支える 学者の理屈でしょう。
    学者には学者の理屈があり、百姓には百姓の、商人しょうにんには商人しょうにんの理屈があり、
    それぞれ互いに 理解の及びにくい所があるように、武士にも武士の理屈が ございます。
    ことに 武士の理屈は いささか特殊なもの。
    武士ならぬ者には ごうとも思えることが いくらも ございます。
    
    わたくしは 将軍しょうぐんかかえられましてから、
    多くの武士を見、多くの武士のたましいに 触れてきました。
    それは 書物しょもつの中からだけでは とうてい学び得ぬ、生きた学問でございました。
    ゆえに この荻生おぎゅうらい、武士の道にも いささか理解あるものと 自負しております。
    
    
    上総かずささん、武士が腰に差しております 大小だいしょう 2本のかたなは、
    なんのためにあると お思いでしょうか?

七兵衛:そりゃあ、人を斬るためだろうが。

 徂徠:いかにも。大のほうは、てき――相手を斬るための物でしょう。
    りのおりにも 存分ぞんぶんに 振るわれました。
    
    では――小のほう――脇差わきざしのほうは、何のためでしょうか。

七兵衛:――
    
    なげぇほうが 折れちまった時の、代わりじゃねえのか。

 徂徠:無論 その用途も あるでしょう。
    
    しかし 本来、脇差わきざしは何のためにあるのか――
    
    
    それは、おのれおのれを斬るためです。
    
    
    上総かずささん、わたくしは、武士の本分ほんぶんたましいは、
    この しょうかたな――脇差わきざしにあると思っています。
    おのれおのれを斬る覚悟の無い武士は、まことの武士ではありません。
    武士というものは、常に、いかにして おのれおのれの始末をつけるかを考え、
    それを誇りとしています。
    切腹は武士の誇り、ほまれ。斬首ざんしゅなどとは 比べ物になりません。
    
    ぎわを いかに潔くするか――
    武士は、生涯の全てを、そこにけて生きているのです。

七兵衛:……

 徂徠:全員切腹というさばきに対し、浪士ろうしたちからは
    なんの 異議いぎもうても ありませんでした。
    そして2月4日。47名、ただの1人の漏れもなく、
    全員 見事に はらを切って 果てました。
    
    彼らの最期さいごを見届けた 各所かくしょ検視役けんしやくの 者どもに
    様子を 聞いたところ、口を揃えて 言っておりました。
    浪士たち 全員、誰ひとり じけも ためらいもせず、
    みな 堂々と、清々すがすがしい顔をして 旅立って行ったと。
    最年少は もと上席じょうせきろう大石おおいし 内蔵助くらのすけが長男・主税ちから良金よしかね 16歳。
    その彼すらも、晴れ晴れとした表情を浮かべ、
    見事なほうはらを切ってみせたそうです。
    
    そして、彼の父、内蔵助くらのすけせい――


内蔵助:(辞世じせいの句)
    『あららく
     
     思いはるる
     
     つる
     
     うきつき
     
     かかるくもなし』


 徂徠:いかがでしょう。
    
    赤穂あこうろう――なんと美しい花ではございませんか。
    
    わたくしは、これで 彼らの本懐ほんかいは 間違いなく げられたと 確信しております。
    無理むりすじ助命じょめいは せず、武士の本分ほんぶんを 立ててやる。
    わたくしは、ほうを曲げずに、ほうなさけをそそいでやったのです。

七兵衛:(納得する)
    (涙が止まらない)
    先生……!そうだったんスね……!
    そこまで 理解して、考えて……!
    それを あっしは、商人あきんどのケチな理屈 振り回して、生きるの死ぬの、
    そんな事にばっかり こだわってッ……!なさけねえ……!

 徂徠:そんなことはありません。商人しょうにんは、生きて、
    物を流通させるのが本分ほんぶん。あなたの理屈も正しい。

七兵衛:グスっ……先生、さっきはバカなこと言って 噛みついて、すまねえ……!
    許しておくんなさい……!

 徂徠:いえいえ、とんでもない。
    正しいことをおっしゃったのですから。

七兵衛:それにしても、ほうを曲げずに ほうなさけをそそぐ か――
    そんなの、考えたことも無かったなぁ。
    さすが先生だ!考えてるコトが違うぜ!

 徂徠:何を おっしゃるんですか。
    わたくしは それを、上総かずささんから教わったのですよ。

七兵衛:――え?
    
    いや先生、何 言ってんスか?
    あっしに そんなガク あるワケねえじゃねえスか。

 徂徠:いいえ。
    
    11年前、わたくしは 払う お金が無いにも関わらず、
    売り物の お豆腐を いただいてしまいました。
    せん飲食いんしょくです。ほうに触れる 行いです。
    でも上総かずささんは、「出世払いでいい」と なさけを下さいました。
    あなたは 天下のほうに 許す限りのなさけを そそいで下さったのです。

七兵衛:イヤイヤ、あっしにゃあ、そんな深い考えなんざ 無かったよ。
    そりゃ買いかぶりってもんだ。

 徂徠:あの時、ぬすになる事から 救って下さった上総かずささんの お陰で、
    わたくしは 世に出ることが できたのです。
    あの日の上総かずささんのように、わたくしも
    赤穂あこうの浪士たちに なさけをそそいだつもりです。
    
    11年前、上総かずささんは わたくしに 言ってくださいました。
    「こんなところで死んではいけない。死んではなが咲くものか。
     死ぬ時は、世に出て、見事に花を咲かせてから死ね」と。
    
    11年 経った今、その言葉を 今度は わたくしが
    浪士たちに 掛けているような気がして……
    (感極まってくる)
    見事に 花を 咲かせたな。見事に 花を 咲かせたのだから、
    見事に……、見事に、散れ と……!

七兵衛:(涙が止まらない)
    グスっ……先生……!
    
    (女房に)
    おっかあ、ダメだ、涙が止まらねえや。
    こないだは 焼き豆腐だったが、これじゃ 泣き豆腐だ。

 うの:(涙が止まらない)
    あたしも 涙が止まらないよ。
    義士ぎしの皆さんも、お豆腐の先生も、
    どっちも 立派だよ……!

七兵衛:先生、先生の気も 知らねえで 生意気 言って、すんませんでした。
    
    先生の おっしゃること、分かったような気が しやす。
    
    義士ぎしの皆さんは、全部 覚悟の上で ったんだ。
    今さら 命なんざ しむワケはえや。
    それよりも、おそらの上の 殿様に、早く いいしら
    持ってってやりたかったんだろうな。
    早いとこ そこへ送ってやるのも なさけってわけだ。

 徂徠:お分かりいただけて 嬉しゅうございます。
    では、10両も、この お店も、受け取ってくださいますね?

七兵衛:へい――ありがたく、頂戴いたしやす。
    先生、ありがとうごぜえます!
    
    (女房に)
    ホラおっかあ、おめえも お礼 申し上げねえか。

 うの:ありがとうございます先生。
    すいませんねェ、ウチのが生意気ばっかり言って。

七兵衛:余計なコト言わなくていいんだよ。

 徂徠:はっはっは。
    
    (何事が思い出す)
    ああ そうだ。いつぞや ぞうじょうりょう和尚おしょう上総かずささんの お話をしたところ、
    おてらでも その お豆腐に あやかりたい との事でしたので――、どうでしょう、
    ぞうじょうへも お出入りを してあげて いただけますかな?

七兵衛:ぞうじょうさまに お出入り!? あっしの豆腐が!?
    
    (女房に)
    オイおっかあ、ウチの豆腐が、
    由緒正しい ぞうじょうさまでも 食ってもらえるってよ!

 うの:夢みたいだねえ!
    
    ねえ おまえさん、夢かもしれないから、
    また おまえさんの顔 ひっぱたいていいかい?

七兵衛:よせよ!てめえは加減を知らねえんだから!
    
    (徂徠に)
    先生、ありがとうごぜえやす!
    あきないを 始める準備ができたら、早速さっそく やらしてもらいやす!
    
    (何事か思いつく)
    あ、そうだ!
    ねぇ先生、ついちゃあ、豆腐の名前、先生に あやかって、
    「らいどう」って名付けても ようござんすかねぇ?

 徂徠:なんと、わたくしの名を!
    ははは、なんだか 照れくさい気も いたしますが、しち兵衛べえさんさえ よければ。

七兵衛:ありがとうごぜえやす!
    
    「らいどう」! きっと ここいらの 名物になりやすぜ!

 徂徠:それから、また わたくしの所にも、お豆腐を売りに来てください。

七兵衛:え! でも 先生の お住まいは 城下じょうかの お屋敷でしょ?
    あっしみたいなモンが 出入りして いいんですかい?

 徂徠:もちろん。話は通しておきます。
    それから、綱吉公つなよしこうや ごらいしゅうにも、上総かずささんの お豆腐を 勧めておきましょう。
    
    お城から お呼びがあった時は、腕によりを掛けて、お願いしますよ?

七兵衛:あ――あっしが、将軍様の お城に――!?

 うの:すごいね おまえさん!
    こないだまで しょくしの もんしの いえしだったのに、
    将軍しょうぐんおかかえの 豆腐屋だなんて!
    とんでもない出世じゃないか!

七兵衛:まだ決まったワケじゃねえよ。
    
    (徂徠に)
    先生、何から何まで かたじけねえ。
    
    (何事か思いつく)
    そうだ!
    
    先生、らいどうができたら、泉岳寺せんがくじに おそなえしても ようござんすかね?

 徂徠:ああ、それはいいですね。
    泉岳寺せんがくじあさ野家のけだいじゅうしちも 喜ぶでしょう。

七兵衛:じゅうしちに 喜んでもらえりゃあ、あっしも本望だ。
    それもこれも、こんな立派な店を くださった 先生の お陰だ。
    
    先生、切腹した赤穂あこうろうも 立派な武士だが、
    先生も、負けねえくらい 立派な 武士でござんすねえ。

 徂徠:とんでもない。
    わたくしは、ただの豆腐好きの学者ですよ。

七兵衛:そんなことはえ。
    こないだの10両、それに この店。
    
    先生は、あっしのために、自腹を切ってくださった。
  



おわり

その他の台本                 


参考にした落語口演の演者さん(敬称略)


三遊亭圓窓(6代目)
三遊亭兼好
入船亭扇辰
三遊亭栄楽
立川志の輔
一龍斎貞心 ※講談
広沢菊春(2代目) ※講談
宝井琴調 ※講談


何かありましたら下記まで。
kurobekio@yahoo.co.jp

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