声劇台本 based on 落語

転宅てんたく


 原 作:古典落語『転宅』
 台本化:くらしあんしん


  上演時間:約30~40分


【書き起こし人 註】

古典落語をベースにしていますが、あくまでも"声劇台本"として作成しています。
なるべく声劇として演りやすいように、元の落語に様々なアレンジを加えている場合があります。

アドリブ・口調変更・性別転換 等々OKです。



ご利用に際してのお願い等

・上演を公開される際は、観覧無料の媒体のみで行うようお願いします。
 観覧自体が無料であればかまいません。いわゆる「投げ銭システム」に代表されるような、リスナーから
 配信者へ 金銭または換金可能なアイテムやポイントを贈与できるシステムの有無は問いません。
 ただし、ことさらリスナーに金銭やアイテム等の贈与を求めるような行為は おやめください。


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<登場人物>

・泥棒(セリフ数:101)
 ?歳。
 まぬけな泥棒。
 一人称は「俺」。



(セリフ数:81)
 ?歳。20代後半~30代くらいかな。
 ある金持ち商人の愛人。
 その商人に建ててもらった家に住んでいる。商人はそこへ通って来る。
 一人称は「あたし」。





煙草屋(セリフ数:16)
 ?歳。おばちゃんか おばあちゃんぐらいのイメージ。
 煙草屋の店主。
 話好き、ゴシップ好きな感じ。



語り(セリフ数:3)
 丁寧な口調の語り。
 女性側に振っていますが、泥棒役が兼ねてもかまいません(その場合、セリフが続くことになりますが)。






<配役>

・泥棒:♂

煙草屋語り:♀




【ちょっと難しい言葉】※クリックすると開いたり閉じたりします(ブラウザによっては機能しません)
  • 瀟洒(しょうしゃ)
    すっきりとしゃれている様子。

  • 伊万里焼(いまりやき)
    有田を中心とする肥前国で生産された磁器の総称。呼び名の由来は、主な積み出し港が伊万里であったことから。

  • 二尺八寸(にしゃくはっすん)
    約84~85センチメートル。刀の標準的な長さのひとつ。

  • だんびら物(だんびらもの)
    「だんびら」のこと。幅の広い刀、もしくは単に刀のこと。

  • かっぽれ
    「かっぽれ かっぽれ 甘茶で かっぽれ」の囃子言葉で有名な江戸発祥の踊り芸。

  • 所帯を持つ(しょたいを もつ)
    結婚して家庭を持つこと。

  • 鼠小僧次郎吉(ねずみこぞう じろきち)
    1797年~1832年。江戸時代の盗賊。

  • 義賊(ぎぞく)
    金持ちから金品を盗んで貧乏人に分け与える盗賊。

  • 高橋お伝(たかはし おでん)
    1850年~1879年。明治時代の強盗殺人犯。

  • 毒婦(どくふ)
    人をだましたりおとしいれたりする無慈悲で性根の悪い女。

  • 烈女(れつじょ)
    信念を貫きとおす激しい気性の女子。

  • 小塚原(こづかはら)
    「こづかっぱら」とも。江戸~明治初期に刑場(死刑を執行する所)があった。

  • 小塚原の回向院(こづかはらの えこういん)
    「南千住回向院」のこと。回向院は歴史上の著名人の墓が多数ある寺院で、「両国回向院」と「南千住回向院」がある。

  • 間男(まおとこ)
    ここでは、浮気相手である男のこと。

  • 店賃(たなちん)
    家賃のこと。

  • 三々九度(さんさんくど)
    新郎新婦がお酒を酌み交わす儀式のこと。

  • 平屋(ひらや)
    1階建ての家屋。

  • 大尽(だいじん)
    財産家。金持ち。

  • 義太夫節(ぎだゆうぶし)
    浄瑠璃の一種。「太夫(たゆう)」と呼ばれる語り手の台詞に、三味線の弾き手が伴奏を付ける。




ここから本編


 語り日本橋にほんばし浜町はまちょう閑静かんせいな住宅街に、1軒の 瀟洒しょうしゃ邸宅ていたくがあり、
    そこに女が ひとり 住んでいました。
    女の一人暮らしには 少し広すぎる家でしたが、何を隠そう その女は、
    さる商家しょうか大旦那おおだんなの おめかけさん――要は 愛人であり、この家は、
    その大旦那おおだんなさんの妾宅しょうたく――つまり おめかけさんをまわせておく家だったのです。
    
    ある夜のこと。
    
    その日も 大旦那おおだんなさんは この家にかよって来て、
    おめかけさんの手料理と お酒に 舌つづみを打っていました。
    
    その様子を、家の外で こっそりと うかがっている泥棒が ひとり――


 泥棒:(家の外に忍んでいる。ちょうど2人が会食している部屋の窓の下あたりに身をかがめている)
    (独白)
    へっへっへ。いやぁ、今日はツイてるなぁ。
    こんな かねの物が ありそうな家なのに、窓の鍵がいてるなんてよぉ。
    囲い者の女ってのは、用心ようじんなもんだなぁ。
    
    さーて、あとは ジジイが 本宅ほんたくへ帰るのを待つだけだ。
    そうすりゃあ ここには女がひとり。仕事も やりやすいってもんよ。
    仮に見つかったところで 相手は女。
    ちょいとおどしてやりゃあ、おとなしく 金 出すだろ。
    
    あー さっさと あのジジイ 帰らねえかなぁ。
    だいたい、世の中 不公平だよなぁ。
    あんな ボーッとしたジジイがさぁ、金 持ってて、あんなイイ女 囲って、
    うまいメシ食って、女のしゃくで 酒 んでさぁ。
    俺なんざ、金もけりゃ おんなえし、ここんとこ まともなメシも食ってねえよ。
    あ~ 腹 減ったなぁ。
    
    見てろ、今日は 家ん中にある かねのもん、しこたま盗んで帰ってやるからな。
    
    (旦那が帰るようだ)
    ――ん?ジジイが帰るみてえだ。
    
    (旦那が玄関先に出て来たようだ)
    お、玄関先に出て来たな。
    女も 見送りに出て来て――、立ち話してるな。
    
    よぉし、そいじゃ 今のうちに、忍び込ませてもらいますよっと。


  女(玄関先。旦那に)
    旦那、今日も ありがとうございました。
    どうぞ 気を付けて お帰りになって下さいましね?
    ええ、あたしなら大丈夫ですから。
    ちゃんと戸締とじまりして寝ますんで、心配なさらないで下さいな。


 泥棒:(侵入済み)
    (独白)
    いや~、外から見ても たいした家だと思ったけど、部屋ん中も 贅沢ぜいたくなもんだなぁ。
    家具も 置き物も 掛け軸も、の張りそうなモンばっかりじゃねえか。
    
    それに このぜんうえ
    料理が半分近く残ってんじゃねーか。もったいねぇ。
    
    ――うまそうだなぁ……。そういや俺、腹減ってたんだった……。
    
    ちょっとだけ、いただいちゃおうかなぁ……。
    
    うん、いただいちゃおう。
    
    (腰を下ろして食べる態勢)
    おほ~ッ、うまそ~ッ!
    
    えーと……、よーし、まずは刺身から いただこうかな。
    うわぁ、これ、マグロのトロだよ。贅沢ぜいたくしてやがんなぁ。
    ほいじゃ、遠慮なく いただきますよっと。
    (食べる)
    アムッ、モグモグ……うん!うまい!
    アブラが乗ってて たまんねぇなあ!
    
    次は……、たい もらおうかな。
    (食べる)
    アムッ、モグモグ……うん!これも うめぇ!
    
    えーと次は……


  女(旦那に)
    ええ、それじゃ明日もまた。お待ちしてますわ。
    ええ、じゃ気を付けて。おやすみなさい。
    (旦那、去る)
    (独白)
    ふう。それじゃ あたしも 片付けして、寝ようかね。
    
    
    (と、なにやら部屋で物音がする)

    ――あら?なにか物音がするわね。
    さっきの部屋かしら?


 泥棒:モグモグ……うん!ナスの天ぷらも うめぇ!
    で、これは――サトイモの煮っころがしか!
    アムッモグモグ。うん!これも うめぇ!


  女(部屋のすぐ外の廊下。ふすまは閉まっているが、中から音と人の声もする)
    やっぱり この部屋だわ。中から 人の声が聞こえるんだけど――
    あらやだ、誰か入って来てんの……?
    
    ちょっと開けて 覗いてみよ。


 泥棒:モグモグ。うん!茶碗ちゃわんしも うめぇ!
    で、こっちは――、ほうれん草のおひたしか。モグモグ。うん!うめぇ!
    いやー どれもこれも うめえなぁ!


  女(覗きながら)
    (独白)
    やあねぇ、ホントに 知らない男が 入って来てるじゃないの。
    しかも 他人ひとの物、勝手に飲み食いして。何なの――


 泥棒:あ~食った食ったァ。
    いや~ こんなに腹いっぱい食ったの 久しぶりだなぁ。
    (徳利と おちょこが目に入る)
    おん!?この徳利とっくりちょ伊万里いまりやきじゃねえか!
    贅沢ぜいたくなモンで 酒 飲んでやがるなぁ。
    (徳利を手にとる)
    ん?まだ中に 酒 残ってるじゃねえか!もったいねぇなぁ。
    へっへっへ。じゃあ こいつも いただくとするか。
    
    (自分で 猪口に注いで呑む)
    クイッ。プハーッ!んめえ!こりゃ いい酒だぁ!
    もう一杯もらっちゃおうかな。
    (また猪口に注いで呑む)
    クイッ。プハーッ!あーたまんねぇなー!
    
    もうちょなんかでチビチビいってらんねえや。
    徳利とっくりからんじまおうっと。
    (ラッパ呑み)ゴクゴク……

  女(入って来て)
    ちょっとアンタ!そこで何してんの!

 泥棒:(びっくりしてむせる)
    ブッ!ゴホッゴホッゴホッ!
    
    (しばらくむせる)
    
    (だんだんと呼吸が落ち着いてくる)
    (深呼吸)
    すー……、はー……。
    
    (落ち着いたところで、ひとつ 仕切り直しの咳払い)
    
    (今さら すごんで 女を脅しにかかる)
    静かにしろい!

  女(別に怖がらない)
    なにが今さら 静かにしろいよ。
    何やってんのよ。勝手に 他人ひと 上がりこんで、勝手に 飲み食いして。
    おまえさん いったい何者なのよ。

 泥棒:(まだ すごむ)
    ああ?見りゃ分かんだろ。
    言わずと知れた ぬすよ。

  女ぬす

 泥棒:おうよ。
    
    てめえが 金持ちジジイに囲われてんのは 調べが付いてんだ。
    ジジイから 毎月たんまり "おあて" いただいてんだろ?
    その金、出してもらおうじゃねえか。
    
    おとなしく出しゃあ、命ばかりは助けてやるが、
    かして 出さねえようなら――
    
    伊達だてにはさねえ しゃく八寸はっすん だんびらもの、でめえの どてっぱらに、
    ズブリ!っと お見舞みめえ申すぞ。

  女(思わず吹き出す)
    ――プッ、アハハハハ。

 泥棒:な、何がおかしいんだよ!

  女:何がって、おまえさんの言う事がさ。
    下手な役者みたいな啖呵たんか 切って、おかしいったら ありゃしない。
    
    しゃく八寸はっすん だんびらもの
    そんな物、どこにしてるって言うのさ。

 泥棒:あ?どこって ここに……
    (と、ふところを探る)
    ……あれ?
    
    えーと……、んーと……
    
    (独白)
    やべ、忘れて来た……。
    
    (女に。虚勢を張って)
    きょ、今日の所はよぉ、だんびらは勘弁しといてやらぁ。

  女:何 言ってんだか。
    
    ははーん、おまえさん、あれだろ?
    旦那に雇われた、芸人か何かだろ。

 泥棒:げ、芸人!?

  女:そうさ。あたしが用心ようじんなもんだから、ちょいと泥棒の真似まねごとでもして
    おどかしてやってくれって、旦那に頼まれて ノコノコ入って来たんだろ?
    そんで あたしが「キャー」なんて驚いたら、そこで正体 現わして、
    「ドッキリ大成功」とか何とか言って、カッポレでもおどろうってんだろ?
    ホラ、早くおどんなよ。

 泥棒:待て待て待て。誰が芸人だ。
    
    (大きい声で)
    俺 は 泥 棒 だ !!

  女:シーッ!うるさいねぇ。
    なに そんな大きな声で 自分は泥棒だって名乗ってんのさ。
    ここはなか一軒いっけんじゃないんだよ?
    近所に聞こえたら 通報されちゃうよ?

 泥棒:あ……。
    
    (ビビって ささやき声で)
    オレハ、ドロボウダ。

  女:そこまで小さくしなくてもいいけど。
    
    ――それじゃあ 何?おまえさん、本物の泥棒なの?

 泥棒:そうだよ。

  女:本物の泥棒が、なんで物もらずに 呑気のんきに 飲み食いしてたのよ?

 泥棒:いやぁ すげえ腹 減っててよぉ……。
    ぜんの上 見たら、うまそうな食いもんが たくさん残ってたもんだから、つい……

  女:何やってんだか。
    まったく、間抜けな泥棒さんも いたもんだねぇ……。
    
    それにしても、あたしんに 泥棒が入って来るなんて、
    これも何かのえんかねぇ――

 泥棒:え?どういうこと?

  女:いえね、あたし、今でこそ 囲われの身だけど――
    元は おまえさんと同業なんだよ。

 泥棒:え!?
    
    そ、それじゃ ねえさん、泥棒だったの!?

  女:そうよ。

 泥棒:そうだったのかぁ。
    いや どうりで、俺が すごんでみせても 驚かねえと思ったよ。
    
    しっかし、忍び込んだ先が お仲間の家とはねぇ。
    妙な偶然もあったもんだ。

  女:ホントにねぇ。
    
    それでさ、さっきも言ったけど、おまえさんが ウチに入って来たのも 何かの縁だ。
    ねえ、ちょっと あたしの相談に乗ってくれないかい?

 泥棒:え?相談?
    
    ――盗みに入って 相談 受けるなんて初めてだけど……、相談て何だい?

  女:あのね、実は あたし、さっきの旦那とは そろそろ切れようと思ってんの。

 泥棒:え、あのジジイと手ぇ 切んの?
    こんな いい暮らし できんのに?

  女:まあねぇ。
    
    でも あの旦那、まぁ悪い人じゃないんだけど、
    人間に面白味が無いって言うかねぇ。
    こうやって 女を囲ったりする割りに、商売のほうが好きみたいでさ。
    一緒に ごはん食べてても、あきないの話ばっかりしてて。
    それに 結局、真面目って言うか 小心者って言うか……
    毎晩 きちんと同じ時間に ご本宅ほんたくに帰るし。
    
    なんだかねぇ、ずっと あの旦那に囲われてても、
    先が無いって言うか、つまんないなぁって思ってね。
    
    それで、いっそ今月あたりで 手切れって事にして、
    そろそろ誰かと所帯しょたいでも持ちたいと思ってんのさ。

 泥棒:へえ、そうだったのかい。

  女:でね、おまえさんに相談なんだけど――
    
    どっかに いい人、いないかねぇ?

 泥棒:え??

  女:だからね、あたしみたいな女を
    女房にもらってくれるような人、知らないかい?

 泥棒:え?つまり、ねえさんの亭主になる男ってこと?

  女:そう。誰か いい人、紹介してくれないかい?

 泥棒:ちょ、ちょっと待ってくれよ。
    
    あのさぁ、俺が言うのも何だけど――、こういうのって、
    もっと ちゃんとした人に頼んだほうが いいと思うんだけど……

  女:いいのよ。
    
    おまえさん、色んな所に忍び込んでて、顔が広いだろ?

 泥棒:広くねえよ!なるべく顔 見られねえように仕事してんだから。
    
    まぁでも、ねえさんみたいな美人の頼みと あっちゃぁ、
    なかなかイヤとは言えねえんだよなぁ。
    
    じゃあ まあ、できる限り 当たってみようか。

  女:ホントかい?嬉しいねぇ。
    
    あ、でも――贅沢ぜいたく 言うわけじゃないんだけどさ、
    あたしにも、好みと言うかさ、望みのおとこぞうってのが あるのよね。

 泥棒:まぁ そりゃそうだよね。
    ねえさんぐらいのりょうが ありゃあ、男なんて選び放題だよ。
    
    で、どんな男が ねえさんの好みなんだい?

  女:そうねえ、あたし、見てくれには あんまり こだわらないの。
    男は 中身が肝心だと思うのよね。

 泥棒:へえ。ねえさん、キレイなだけじゃなくて、できた人だなぁ。
    世間の女なんてのは たいてい、役者みてえな 顔のいい男に かれるもんだ。
    
    それじゃあ、どんな中身の男が いいんだい?

  女:度胸のある人がいいね。

 泥棒:度胸のある男かぁ。

  女:そう。
    
    そうねぇ、例えて言えば――
    
    知らない人の家にも ものじせずに 堂々と上がり込んで、
    まるで その家の亭主みたいに んだり食べたりして、
    見つかっても オロオロしたりしないで 「静かにしろい」なんて
    逆にこっちを威圧いあつしてくるような、そんな男の中の男――
    (と言って泥棒の顔を見る)
    
    ――あら、ここにいるじゃないの。

 泥棒:え?

  女(すり寄って)
    あたし――、おまえさんみたいな人を、ずっと待ってたんだわ――

 泥棒:え、ちょ、ねえさん――!?

  女:あ、ご、ごめんね。
    おまえさんみたいな いい男、もうとっくに おかみさんがいるわよね。

 泥棒:いやいや!いないよ。
    俺 ひとり身だよ。

  女:そうなの?
    
    でも おまえさんほどの人だもん、おかみさんが いなくたって、
    方々ほうぼうに恋人が いるでしょ?

 泥棒:いない いない!
    カミさんも 恋人もいない!
    友達もいない。

  女:ホントかい――
    
    それじゃ――
    
    ねぇ おまえさん――、あたしみたいな女――、イヤかい――

 泥棒:え――!?ど、どういうこと?

  女:だからさぁ、あたしみたいな女と――
    所帯しょたいを持ってくれる気は――、ないかい――

 泥棒:お、俺がねえさんと 所帯しょたい!?
    ちょ、ちょっと待ってくれよ。
    ねえさんみてえな いい女が、俺なんかと――!?
    ウソだよ、からかっちゃ いけねえよ。

  女:何言ってんのさ。
    女が恥を忍んで ここまで言ってんだよ?
    ウソなわけ ないじゃないか。
    
    ねえ おまえさん、あたしのこと、女房にしてくれないかい――

 泥棒:ね、ねえさん――
    
    そりゃあ、ねえさんみてえな女を 女房にできるなんて、夢みてえな話だけどよ――
    ホントに、俺なんかで いいのかい――

  女:おまえさんでなきゃ ダメなんだよ。
    女房にしてくれるかい――

 泥棒:もちろんだよ。
    
    ねえさんさえ良けりゃあ、俺の女房になってくれ!

  女:ホントかい!?嬉しいねぇ!
    
    それじゃ さっそく、夫婦のさかずきわそ?
    さ、おちょ 持って?いだげるから。

 泥棒:段取りええなぁ。
    
    ホントに いいのかい……?
    
    へ、へへ……。そいじゃ、もらおうかな。
    (女、注ぐ)
    おう、どうも。
    (呑む)
    クイッ。プハァーっ。
    
    じゃ次は ねえさんだ。
    いでやるよ。
    (猪口に酒を注いで女に渡す)
    ほら。

  女:ありがと。
    (呑む)
    クイッ。ふぅ。

 泥棒:おお、いいみっぷりだねぇ。

  女:ふふっ。さ、これで あたしたち、晴れて夫婦だよ。

 泥棒:いや~ なんか夢でも見てるみてえだなぁ。
    ねえさんと夫婦になれるなんてよぉ。
    
    あ、そういや、ねえさんて、なんて名前なんだい?

  女:やだよぉ。親しき仲にも礼儀ありって言うじゃないか。
    名前をく時は、まず自分から名乗るのが 仁義じんぎってもんでしょ?

 泥棒:あ、そういや俺も名乗ってなかったな。
    泥棒が仁義じんぎに反しちゃ いけねえよな。
    
    俺はね、"ねずみぞう次郎じろきち"――

  女:え!?あの伝説の義賊ぎぞく!?

 泥棒:の 弟子で――

  女:なんだ 弟子かい。

 泥棒:"もぐらぞう泥之助どろのすけ"――

  女ぎたない名前だねぇ。
    まぁおまえさんらしいけど。

 泥棒:の 弟子で――

  女:さらに弟子なの!?

 泥棒:"イタチぞうさい兵衛べえ" ってんだ。

  女:イタチぞうさい兵衛べえ!?
    くさそうな名前だねぇ。

 泥棒:そうかい?けっこう気に入ってんだけどなぁ。

  女:"ねずみぞう次郎じろきち"は かっこいい名前に聞こえるのにねぇ……。
    
    えーと、おまえさんの師匠、なんて言ったっけ?

 泥棒:"もぐらぞう泥之助どろのすけ"。

  女:なんで そんな名前なの?

 泥棒:かぎ こわしたり 窓 やぶったりせずに、
    庭から ずーっと穴を掘ってって、
    床下から忍び込むってのが、師匠の必殺技なんだよ。

  女:そ、そうなの……。
    
    おまえさんは なんで"イタチぞうさい兵衛べえ"なの?

 泥棒:警察に捕まりそうになったら、
    くせぇの一発 ぶっぱなして 逃げんのが 俺の必殺技なんだよ。

  女:やっぱり くさいんじゃないか。

 泥棒:ねえさんの名前は 何て言うんだい?

  女:あたしはねぇ――
    
    ねぇ おまえさん、おまえさんの師匠の師匠、
    ねずみぞう次郎じろきちって言ったよね?

 泥棒:ああ そうだよ。

  女――やっぱり あたしたち、縁があったんだよ。

 泥棒:え?どういうこと?

  女:おまえさん、"高橋たかはしでん"って 知ってるかい?

 泥棒:ああ もちろん知ってるよ!
    この業界で その名を知らねえ奴ぁ いねえだろ。
    それこそ伝説の 女流じょりゅう 強盗殺人犯ごうとうさつじんはんじゃねえか。
    世間じゃ いまだに "どく"なんて言われてるけどよぉ、
    俺みてえなケチな泥棒からすりゃぁ、尊敬すべき烈女れつじょだったよ。

  女:その高橋お伝――
    捕まって死刑になって、斬首ざんしゅされた 高橋お伝の お墓――
    どこにあるか知ってるかい?

 泥棒:ああ……たしか、俺の大師匠おおししょうの墓があるのと 同じ寺にあるんだっけか――

  女:そう。
    
    塚原づかはら向院こういん。ねずみぞうの墓の すぐ近くに、高橋お伝の お墓があるの。

 泥棒:そういや そうだったなぁ。
    
    ――で、その高橋お伝が どうかしたのかい?

  女:実は、高橋お伝はね――、あたしの おばあちゃんなの。

 泥棒:え!?高橋お伝が!?
    じゃ、じゃあ、ねえさんは、高橋お伝の孫ってこと!?

  女:そう。

 泥棒:おいおいおいおい!そうだったのかよ!
    あの高橋お伝の孫!
    ねえさん、名門めいもん血筋ちすじじゃねえか!
    
    どうりで きもたまが座ってるはずだぁ。
    
    で、なんて名前なの?

  女:お伝の孫で――、ハンペンて言うの。

 泥棒:ホントかよ!
    そんな冗談みてえな名前なの!?

  女:イタチぞうさい兵衛べえに言われたくないんだけど。
    
    ふふっ、でもハンペンてのは冗談よ。
    ホントの名前は、"おきく"って言うの。

 泥棒:へえ、お菊さんかぁ。

  女:んもう、あたしたち もう夫婦になったんだからさぁ、
    「お菊さん」なんて 他人行儀な呼び方しないで、
    「お菊」って 呼び捨てにしておくれよ♥

 泥棒:(照れ)
    い――、いいのかい――

  女:勿論よ♥
    
    ねぇ――、あたしのこと、呼んでみて――

 泥棒:(デレデレ)
    へ――、へへっ――
    じゃあ――、呼ぶぜ?
    
    お――、お菊。

  女:なあに♥おまえさん♥

 泥棒:(デレデレ)
    おほっ、いいねえ~。
    
    いやぁ、俺みてえな男が、こんなキレイな人と所帯しょたい 持てるなんてなぁ。
    人間、マジメに一生懸命やってりゃあ、いつか いい事があるもんだなぁ。
    
    よし、お菊、今晩は 泊まってくよ。

  女:あ、それはダメなの。

 泥棒:なんで?

  女:ほら、あたしを囲ってる あの旦那、
    ああ見えて 嫉妬深しっとぶかいタチでね。
    おとこでも忍び込んで来たら 撃退げきたいさせるように、
    やわらの先生と 剣術の先生を雇って、
    あたしの用心棒として 2階に飼ってるのよ。
    
    今は ちょうど2人とも に行ってて いないけど、
    じきに帰って来ちゃうから。
    
    その人たちに見つかったら、おまえさん、
    アバラの1本や2本じゃ済まないよ。

 泥棒:(ビビる)
    そ、そうなの?
    冗談じゃねえよ、勘弁してくれよ。
    俺、ケンカ 弱そうに見えるだろ?
    見た目以上に弱いんだから。
    
    じゃあ、今日は 泊まれねえってこと?
    せっかく夫婦になったのに?

  女:ごめんね。今日のところは いったん帰ってちょうだい?
    旦那と手が切れちゃえば、用心棒の先生たちも いなくなるから。
    
    明日は旦那、午前中に来るの。そしたら あたし、別れ話をするわ。
    そうねぇ、お昼ごろには 片が付くと思うの。
    この家も出て行かなきゃ ならなくなるけど、
    荷物をまとめるのに 夕方まで時間もらえるように 話 つけるから。
    
    だから おまえさん、明日、ひるぶんに 会いに来とくれ?

 泥棒:ひるぎに来るのは いいけどよぉ。
    旦那は大丈夫なの?
    別れ話が付いた後、すぐに旦那は いなくなんの?

  女:いつも お昼には 店の様子を見に帰るから 大丈夫だと思うけど……

 泥棒:ホントにそうなら いいんだけどさぁ、もし万が一、
    俺が入って来た時に まだ旦那がいたら、鉢合はちあわせになっちゃうよ?
    それは勘弁 願いてえんだけどなぁ。

  女:それもそうねぇ。
    
    あ、それじゃあね、旦那が帰ったら、あたし 部屋で三味線しゃみせん いてるから。
    おまえさん、明日 来たら、いったん外で様子を伺ってて。
    中から三味線しゃみせんおとがしてたら、「入っても大丈夫」って合図だから。
    もし何も聞こえなかったら、まだ旦那がいるってことだから、入って来ちゃダメよ?
    三味線しゃみせんおとが聞こえるかどうか、よく注意しててね?いい?

 泥棒:なるほどぉ。三味しゃみが合図たぁ、おつだねぇ。
    
    それにしても お菊、おめえ 三味線しゃみせんけるのかぁ、芸達者だねぇ。
    
    よし分かった、明日は 三味線しゃみせんが聞こえたら 入って来るようにするよ。

  女:お願いね。
    じゃ今日は そろそろ帰って。
    
    おまえさん、家はどこなの?

 泥棒:ああ、この家の前の通りを 左に まっすぐ行って、
    八百屋やおや裏手うらて路地ろじにある ボロ長屋ながやだよ。

  女:そう。
    
    あと おまえさん、今 財布さいふ 持ってるかい?

 泥棒:持ってるよ。

  女:ちょいと見せてくれないかい?

 泥棒:え?いいけど……
    (懐を探る)
    えーと……
    (取り出して女に手渡す)
    ほら。

  女:あら、なかなか いい財布さいふじゃないの。
    (中を見る)
    まぁっ!2円も入ってるじゃないの。
    これは今晩 あたしが 預かっておくわね。

 泥棒:ちょちょちょちょ、なんでだよ?
    それ、俺の金だよ?

  女:何言ってんのよ。あたしたち 夫婦になったのよ?
    夫婦の間で、俺の金とか おまえの金とか、
    そんな区別 無いでしょ?
    あたしのお金も おまえさんのお金も、どっちも ふたりで所帯しょたいを持つための
    大事な資金なんだから。

 泥棒:そりゃそうだけど……俺が持ってちゃダメなの?

  女:だってねぇ……、こう言っちゃ何だけど、
    おまえさんの家、ボロ長屋なんだろ?
    いつ何時なんどき、泥棒が入るか分からないんだから、
    こんな お金 置いといちゃ用心ようじんじゃないか。

 泥棒:いやいや、泥棒が入るどころか、
    俺という泥棒が その長屋から出てんだよ?

  女:でも 泥棒の家に 泥棒が入らないとは限らないでしょ?
    現に あたしという 元泥棒もとどろぼうの家に、おまえさんという泥棒が入って来たじゃない。

 泥棒:いやまぁ そうなんだけど……。
    
    でも その金はダメなんだよ。
    それ、長屋の店賃たなちんなんだ。3ヶ月分 たまってんだよ。
    その2円、そっくりそのまま 大家おおやに払わなきゃなんねえんだ。

  女:いいわよ、払わなくたって。

 泥棒:よくねえよ!今度 払わなかったら――

  女:払わなかったら どうなるの?

 泥棒:長屋 追い出されちまうよ。

  女:それでいいのよ。
    
    あたしたち 所帯しょたいを持つのよ?
    そんな長屋なんて出てさ、明日 一緒に、
    ふたりで暮らすのに相応ふさわしい家、探そうじゃないか。ね♥

 泥棒:(嬉しい)
    ああ――、それもそうだなぁ。

  女:ね♥
    
    じゃ、この2円は あたしが 大事に預かっとくからね。
    
    あ、そろそろ用心棒の先生たちが帰って来ちゃうわ。
    おまえさん、もう帰らなきゃ。

 泥棒:お、おう、分かった。

  女:暗いから、足元 注意して帰ってね。
    寄り道しちゃダメよ?
    よその女の所なんて行っちゃイヤだからね?

 泥棒:何言ってんだ。
    今宵こよい 俺には、おめえという女房が できたんだ。
    これから先、俺ぁ おめえ以外、メス猫1匹だって かわいがったりしねえよ。

  女:本当だね?ウソついちゃイヤよ?
    ウソつきは 泥棒の始まりだからね?
    あ、おまえさん もう始まっちゃってるわね。

 泥棒:もう始まっちゃってるけど ウソはつかねえよ。
    俺は おめえ一筋ひとすじ。約束する。

  女:うれしい――
    
    ねえ おまえさん。

 泥棒:なんだい?

  女:愛してるわ♥

 泥棒:お菊――
    
    俺も――、愛してるよ。

  女:じゃ、気を付けて。

 泥棒:おう。じゃ また明日な。

 


 

 泥棒:あぁ~、まだ夢でも見てるみてえだなぁ。
    あんな いい女と 所帯しょたいを持てる日が来るなんて、思ってもみなかったなぁ。
    いやぁ ありがてぇありがてぇ。俺にも ようやく運が向いて来たってことかぁ。
    
    さーて明日は――三味線しゃみせんおとが聞こえたら 入って良し、
    聞こえなかったら まだ入っちゃいけねえ と。間違えねえように しなきゃな。
    
    いや~ 明日が楽しみだぁ。

 


 

 語り:さて翌日。浮かれ気分の泥棒さん、約束どおり、
    ひるぶんに お菊の家のほうへと やって来ました。

 


 

 泥棒:さーて、おてんと様も てっぺん過ぎてるし、
    もうジジイも帰ってるかな。
    三味線しゃみせんおとが聞こえりゃあ、入って良しの合図だ。
    (耳をすます)
    どれどれ……?
    (聞こえない)
    ――聞こえねえな。
    てことは、まだジジイいやがんのか。
    なんだよ しつけえ野郎だなぁ。さっさと帰りゃあいいのに。
    
    しょうがねえ。
    町内 ひと周りして、また戻って来るか。

 


 

 語り:そうして 泥棒さん、町内を ぐるっと散歩して 少し時間をつぶし、
    再び 元の場所へと戻って来たのですが――
    相変わらず 家の中からは、物音ひとつ聞こえてきません。

 


 

 泥棒:おっかしいなぁ。
    ペンともツンとも聞こえて来ねえじゃねえか。
    まだおもても閉まってやがるしよぉ。
    そんなに話が こじれてんのか――
    (なんとなく周囲を見る)
    ん――?なんだか今日は この往来おうらい、妙に人が多いような気が――
    それに心なしか、みんな お菊の家のほう ジロジロ見てるような……。
    なんだか妙な雰囲気だなぁ。なんか あったのかな……?
    ちょいと そこのタバコ屋のババアにでもいてみるか。
    
    (タバコ屋のおばあさんに挨拶)
    おう、ごめんよう。

煙草屋:いらっしゃいまし。どの おタバコにしましょ?

 泥棒:ああいや、タバコ買いに来たんじゃねえんだ。
    ちょいとたずねてえんだけどよ。

煙草屋:はいはい、なんでしょ?

 泥棒:そこの斜め向かいの家ってさぁ、お菊の家だよね?

煙草屋:ええ、そうだねぇ。
    
    あら、「お菊」って 呼び捨てにするところ見ると、
    おまえさん、お菊さんの親類か何かかい?

 泥棒:ん?
    
    (照れくさいような誇らしいような)
    ああ、まあ?ある意味、いちばん近い親類、みたいな?

煙草屋:おや そうかい。
    
    それじゃ、ゆうべの話、もう お聞きかい?

 泥棒:ゆうべの話?何だいそれ?

煙草屋(おもしろ話を聞かせてやれるのが嬉しい といった感じ)
    あらッ、まだ知らないのかい?
    そりゃもう ケッサクな笑い話があったのよォ。

 泥棒:へえ、ゆうべ お菊の家で、なんか おもしろい事があったのかい?

煙草屋(嬉しそうに楽しそうに)
    もう おもしろいのなんのって。
    今朝から 町内じゅう、その話で 持ちっきりでねェ。
    おまえさんにも 今から 話してあげようねェ。
    
    あのね、ゆうべ お菊さんの家に、泥棒が入ったらしくてねぇ。

 泥棒:え――!?ど、泥棒が……?

煙草屋(嬉しそうに楽しそうに)
    そうなのよォ。
    
    物騒な話だと思ったんだけど、よくよく聞いてみたら、
    この泥棒が またマヌケな奴でねェ。

 泥棒:ま、まぬけ……?

煙草屋(嬉しそうに楽しそうに)
    だって おまえさん、その泥棒、目の前の ごちそう食べるのに夢中で
    物をるのも忘れてて、あげく お菊さんに見つかって、なおって おどしてきたんだけど、
    腹ぁ刺すぞなんて 啖呵たんか ったと思ったら、肝心の刃物を忘れて来たらしくてねェ。
    こんなマヌケな泥棒、聞いたこともないやね。
    お菊さんも 初め、芸人と間違えたらしくてねェ。

 泥棒:そ――、そうスか……

煙草屋(嬉しそうに楽しそうに)
    それでね、ほら お菊さん あのとおり、りょうも良くて 機転きてんくもんだから、
    うまいこと 泥棒を 丸め込んで、夫婦の誓いをしたんだってさ。
    そしたら その泥棒、すっかり舞い上がっちゃって。
    
    でも 考えてもごらんよ。
    どこの世界に、泥棒と 夫婦になる女がいるもんかね。ねえェ?

 泥棒:い――、いませんかねぇ――

煙草屋(嬉しそうに楽しそうに)
    いるワケないじゃないの。
    
    それでね、三々さんさん九度くど真似まねごとさかずきのやりとりなんか してやったら、
    その泥棒、その気になって、スケベごころまるだしで「今晩は泊まっていくよ」なんて
    ずうずうしいこと言い出したらしくてねェ。
    そんなのイヤだから お菊さん、とっさに
    「2階に 用心棒の先生たちを雇ってある」って言ってやったら、
    その泥棒、震え上がって おとなしく帰ることにしたって言うのよォ。
    バカな泥棒もいたもんだねェ。
    だって、2階に用心棒なんて いるワケないのにねェ、あの家 平屋ひらやなんだから。

 泥棒:ひ、平屋ひらや!?え、そ、そうだっけ――
    (あらためて家を見る)
    あ、ほんとだ、平屋ひらやだ。

煙草屋(嬉しそうに楽しそうに)
    それでね、その泥棒の帰りがけに、お菊さん、
    そいつから2円 まき上げたって言うんだからねェ、度胸のある人だよ。
    
    結局 その泥棒、盗みに入って 反対に 2円 取られて帰ったのよォ。
    まったくマヌケな泥棒だねェ、ホッホッホッホ。

 泥棒:(呆然)ええ……

煙草屋(嬉しそうに楽しそうに)
    それでね、その泥棒が、今日また あの家へノコノコ来るらしくてねェ。
    
    だから この町内のみんな、一目そのマヌケづらを見てやろうって、待ち構えてんのよ。
    朝から回覧板かいらんばんまで回して、人相にんそうも書いてねェ。
    
    人相書にんそうがきによると、おもしろい顔してるみたいでねェ、
    頭はハゲ上がってて、目はくぼんでて、鼻はつぶれてて、口はとがってて――
    (ふと泥棒の顔を見る)
    おまえさんも そんなような顔してるねェ。

 泥棒:そ――、そうスか――

煙草屋(嬉しそうに楽しそうに)
    ま、気にしなさんな。こんなの よくある顔だから。
    
    それよりね、もうそろそろ そいつが現れる頃だから、
    おまえさんも ここで見てるといいよ。
    で、そいつが来たら、みんなでゆびさして 笑ってやろうじゃないか。ねェ?

 泥棒:は、はぁ……。
    
    えーと、あの、1つ うかがいますけど――、お菊は どうしたんスか?

煙草屋:ああ、お菊さんが その泥棒に 仕返しされないかどうか 心配なんだね?
    
    それなら大丈夫。お菊さん、今朝いちばんで、荷物まとめて 転宅てんたくなさったから。

 泥棒:転宅てんたくって?

煙草屋:よそへ お引っ越しなさったのよォ。だから 心配しなさんな。

 泥棒:引っ越した!?2円 持って!?
    おいおい そりゃひでぇじゃねえか!
    
    (煙草屋に)
    おい、ちょいとくけどよぉ、あの お菊って女、いったい何者なんだい?

煙草屋:ご存知 無いのかい?
    
    今は どっかの お大尽だいじんの おめかけさんだけど、
    昔は 義太ぎだ夫節ゆうぶしの お師匠さんだったらしいねェ。

 泥棒:義太ぎだ夫節ゆうぶし
    
    ああ、どうりで上手うまく、かたりやがった。(語りやがった)
    ※「義太夫節」は 語る芸。浄瑠璃の一種で、「太夫(たゆう)」と呼ばれる語り手の台詞に、三味線の弾き手が伴奏を付ける。
  



おわり

その他の台本                 


参考にした落語口演の演者さん(敬称略)


柳亭市馬
古今亭菊之丞
桃月庵白酒
柳家小三治(10代目)
昔昔亭A太郎
橘屋文左衛門
三遊亭金馬(3代目)
金原亭小駒
三遊亭栄楽
春風亭一之輔


何かありましたら下記まで。
kurobekio@yahoo.co.jp

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