声劇台本 based on 落語

一目上がりひとめあがり


 原 作:古典落語『一目上がり』
 台本化:くらしあんしん


  上演時間:約30分


【書き起こし人 註】

古典落語をベースにしていますが、あくまでも"声劇台本"として作成しています。
なるべく声劇として演りやすいように、元の落語に様々なアレンジを加えている場合があります。

アドリブ・口調変更・性別転換 等々OKです。



ご利用に際してのお願い等

・上演を公開される際は、観覧無料の媒体のみで行うようお願いします。
 観覧自体が無料であればかまいません。いわゆる「投げ銭システム」に代表されるような、リスナーから
 配信者へ 金銭または換金可能なアイテムやポイントを贈与できるシステムの有無は問いません。
 ただし、ことさらリスナーに金銭やアイテム等の贈与を求めるような行為は おやめください。


・無料公開上演の録画は残してくださってかまいません(動画化して投稿することはご遠慮ください)。
 録画の公開期間も問いません。

・当ページの台本を利用しての有料上演はご遠慮ください。

・当ページの台本を用いて作成した物品やデジタルデータコンテンツの販売はご遠慮ください。

・当ページの台本を用いて作成した動画の投稿はご遠慮ください。

・台本利用に際して、当方への報告等は必要ありません。




<登場人物>

・八五郎(セリフ数:87)
 ?歳。 職人
 町内の間抜け男。
 一人称は「あっし」。



・ご隠居(セリフ数:39)
 ?歳。 初老~老年。
 町内の物知り隠居。
 書画を鑑賞するのが趣味。
 一人称は「わたし」(なんでもいいです)。



・大家(セリフ数:13)
 ?歳。 八五郎よりは年上かな。
 八五郎の住む長屋を管理する大家。
 やや気難しい感じのおじさん。
 八五郎のことは見下している。
 一人称は「ワシ」(なんでもいいです)。



・医者(セリフ数:14)
 ?歳。
 町医者。
 人当たりは優しく、口調も丁寧。
 一人称は「わたくし」(なんでもいいです)。



・ハン公(セリフ数:21)
 ?歳。八五郎と同年輩ぐらいか。
 八五郎の友人。
 本名は「半次」。
 どうやら風流人らしい。
 一人称は「俺」(なんでもいいです)。





<配役>

・八五郎:♂

・ご隠居/大家/医者/ハン公:♂




【ちょっと難しい言葉】※クリックすると開いたり閉じたりします(ブラウザによっては機能しません)
  • 丁半(ちょうはん)
    丁半博打のこと。さいころを2つ使い、目の丁(偶数)と半(奇数)によって勝負をきめるばくち。

  • チンチロリン
    さいころ3つをどんぶりに入れ、出た目によって勝負をきめるばくち。

  • 墨跡(ぼくせき)
    墨で描いた筆のあと。また、特に禅僧が筆で書いた字。

  • 床の間(とこのま)
    日本建築において、座敷の上座の、ゆかを一段と高くした所。壁に掛け物をかけ、床に花・置物などを飾る。

  • 掛け物(かけもの)
    壁にかけるように作った書や画。掛け軸。

  • 雪折笹(ゆきおれざさ)
    降り積もった雪の重みで折れ曲がった笹。

  • 賛(さん)
    絵の上部や余白に書き加える言葉や文章。画賛。

  • 店賃(たなちん)
    家賃のこと。

  • ヤモリ
    トカゲに似た生き物。害虫を食べてくれるらしい。

  • 近江(きんこう)
    近くの水辺。

  • 遠樹(えんじゅ)
    遠くにある樹木。

  • 亀田鵬斎(かめだ ぼうさい)
    1752-1826。江戸時代の漢学者、書家、儒学者。

  • 祖師(そし)
    初めに教えを説いた人。宗派の開祖。

  • 末世(まっせ)
    仏法が衰えた時代。道義のすたれた世の中。

  • 五尺(ごしゃく)
    約151.5センチメートル。

  • 一切衆生(いっさいしゅじょう)
    仏教で、この世に生きているすべてのもの。生きとし生けるもの。特に人間。

  • 色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)
    仏教で、「この世のあらゆる事物には実体はない」みたいな意味だが、絶対もっと深い。

  • 一休禅師(いっきゅう ぜんじ)
    「禅師」は高徳な僧への尊称。一休宗純(1394-1481?)室町時代の臨済宗の僧。とんち話の題材で有名。

  • 悟(ご)
    さとること。さとり。

  • BOØWY(ボウイ)
    1981年に結成された日本のロックバンド。氷室京介や布袋寅泰が所属していた。1988年解散。

  • 布袋寅泰(ほてい ともやす)
    1962- 。日本のロックミュージシャン。元BOØWY、COMPLEXのメンバー。

  • 布袋尊(ほていそん)
    七福神の一人。実在した中国の仏僧がモデルと言われている。

  • 金山寺(きんざんじ)
    ここでは中国浙江省にある径山寺(きんざんじ)のことか。布袋尊との関係はよくわからない。

  • 金山寺味噌(きんざんじみそ)
    和歌山などで生産される嘗め味噌の一種。中国の径山寺で作られていた味噌が原型という説もある。

  • 福禄寿(ふくろくじゅ)
    七福神の一人。長い頭をもつ。

  • 恵比寿(えびす)
    七福神の一人。釣り竿と鯛をもつ。七福神で唯一 日本古来の神様。

  • 弁財天(べんざいてん)
    七福神の一人。七福神で唯一 女性の神様。





ここから本編




 八五郎:ご隠居さん、こんちはァ!

 ご隠居:おお、誰かと思ったら、っつぁんじゃないか。
     まあまあ お上がりよ。

 八五郎:へい、じゃ 遠慮なく。

 ご隠居:このところ 顔 見せなかったねぇ。
     忙しかったのかい?

 八五郎:そうなんスよ。ここんとこ、
     仕事が 立て込んじまって。

 ご隠居:そうだったのかい。
     まぁ でも、仕事が無くて 食うに困るよりは いいじゃないか。

 八五郎:まあ そうスね。仕事が 無くなっちまったら、
     おまんまの 食い上げですからねェ。
     
     ――あれ?
     
     でも ご隠居。
     そういや ご隠居は、仕事 してねえスよね?

 ご隠居:そりゃ 隠居だからね。

 八五郎:その割りにゃあ、食うに困ってるようにゃ 見えねえスね。
     なんスか、メシは毎日、どっかから 盗んで来てんスか?

 ご隠居:そんなワケ 無いじゃないか。人を 泥棒猫どろぼうねこみたいに。
     
     あのねえ、わたしは 今でこそ 仕事は してないけど、
     若いぶんは 一生懸命 働いてたんだ。
     その頃のたくわえも あるし、今じゃ むすふうおくりも してくれてるから、
     食べるのには 困らないんだよ。

 八五郎:へ~え、隠居ってのは いい身分なんスねえ、うらやましいや。
     あっしも 隠居に転職しようかな。

 ご隠居:なんだい、隠居に転職ってのは。隠居は 別に 職業じゃないよ。
     だいたい 隠居するったって っつぁん、おまえさん、たくわえなんか あるのかい?

 八五郎:えスよ そんなもん。

 ご隠居:じゃ おくりしてくれる 息子さんでも いるのかい?

 八五郎:いるワケ えじゃねえスか、まだ カミさんも いねえのに。

 ご隠居:じゃ どうやって 隠居なんか しようって言うんだい?

 八五郎:ご隠居ん厄介やっかいになって 隠居しようかなって。

 ご隠居:何 言ってんだい。
     聞いたこと無いよ、隠居の そうろうなんて。

 八五郎:駄目スかねえ。

 ご隠居:駄目だよ。若いうちは しっかり働きな。
     働いて 稼いで、仕事仲間と 呑んだり 遊んだりする。
     それは それで ハリのある 毎日じゃないか。

 八五郎:まぁ そう言われりゃぁ そうスね。
     
     そこへいくと ご隠居、
     ご隠居なんか 毎日 退屈なんじゃねえスか?

 ご隠居:そんなことは無いよ。
     わたしにも 道楽どうらくというものが あるからね。

 八五郎:へえ!そのトシで!ご隠居も おさかんスねえ。
     色街いろまち 行って、女郎じょろう 買って。

 ご隠居:そうじゃないよ。さすがに もう そんな元気ないよ。
     そういう道楽どうらくじゃないよ。

 八五郎:じゃあ チョウハンとか チンチロリンとか?

 ご隠居:ちがうよ。
     まったく おまえさんと きたら、どうして 道楽どうらくと聞けば
     おんなあそびや ばくばっかり 思い浮かべるのかねえ……。

 八五郎:じゃ 何なんスか?ご隠居の 道楽どうらくって。

 ご隠居しょだ。

 八五郎:え?

 ご隠居しょだ。

 八五郎:へえ……。
     まぁ 身体からだに いいって聞きますからねえ。
     
     じゃ 毎日 マットいて やってんスか?
     「わしのポーズ」とか、「のポーズ」とか。

 ご隠居:それはヨガだよ。
     わたしが 言ってんのは、しょだ。

 八五郎:あ、そうスか。
     まぁ、身体からだが あったまるって言いますからねぇ。
     ハチミツと一緒に 湯に溶かして 飲んで――

 ご隠居:それは生姜しょうがだよ。
     わたしが 言ってんのは しょだよ、ショ・ガ。

 八五郎:ああ ショガ。
     なんスか?ショガって。

 ご隠居しょ文字もじのことで、のことだ。
     ありがたい 墨跡ぼくせきかいでるのが、わたしの道楽どうらくだ。
     (背後の床の間の掛け軸を指して)
     ほら、わたしの うしろの所に、 いつも 飾ってあるだろう?

 八五郎:ああ、その ヘコのに ひっ掛けてある 紙きれスか!

 ご隠居:なんだい ヘコのってのは。

 八五郎:(床の間を指して)
     だって、そこんとこ ヘコんでるじゃねえスか。
     ヘコんでるから ヘコのスよ。
     出っぱってたら デコの

 ご隠居:何 言ってんだい。これは とこだよ。
     それに 紙きれとは なんだい。
     これは、ものというんだ。

 八五郎:バケモノ!?

 ご隠居:バケモノじゃないよ。もの
     しょかい風流ふうりゅう仕立したててもらって、こうやって飾るんだな。
     ウチに来るたびに、いつも そこに 何かしら 飾ってあるだろ?

 八五郎:あー確かに。
     
     あれ――
     
     今 飾ってあるやつ、これ、前と変わってねえスか?

 ご隠居:お、気が付いたかい?

 八五郎:前に 飾ってあったやつは、たしか――
     
     ボラが そうめん食ってる 絵でしたよね?

 ご隠居:なんだい ボラが そうめん食ってる絵って。そんな絵が あるかい。
     あれは 「こい滝昇たきのぼり」だよ。

 八五郎:あ、そうだったんスか。
     なんか 魚が 上 向いてて、その上に 白い線が いっぱい描いてあったから、
     ボラが そうめん食ってる 絵かと思ってましたよ。

 ご隠居:まったく……。
     
     じゃ 今 掛かってるのは、何の絵か 分かるかい?

 八五郎:(掛け軸の絵をよく見てみる)
     えーと……。
     
     緑色みどりいろっぱみてえなのが 描いてあって……、
     その周りは 白くて……。
     
     あ、っぱの しおけスか?

 ご隠居:おまえさんねぇ……、そんなもんを 題材にした絵が あるかい。
     仮に あったとしても、わたしゃ とこに 飾りたくなんかないよ。
     
     これは、雪折笹ゆきおれざさだ。

 八五郎:ゆきおれざさ……?
     なんスか?それ。

 ご隠居緑色みどりいろ、これは ささだ。
     白いのは 塩じゃなくて 雪だ。
     ささの上に 雪が積もっている。
     これは 辛抱しんぼうの大切さを 表した絵なんだ。

 八五郎:え?
     ささに 雪が積もってて、
     なんで それが 辛抱しんぼうなんスか?

 ご隠居(絵を指しながら)
     絵の上のほうを 見てごらん?
     字が 書いてあるだろう?
     この絵の 心が 書いてある。

 八五郎:(見るとたしかに何か書いてあるが)
     ああ――、たしかに なんだか ウニャウニャ書いてありますねえ。
     何て 書いてあるんスか?
     あっしは 職人なんでねえ、字は ちょっとねえ――

 ご隠居:これはね、
     
     しなわるる だけは こたえよ ゆきたけ
     
     と書いてある。
     
     たけささは まあ 同じモノと 思っていい。
     ささに 雪が積もる。すると 雪の重みで、
     ささは 下向きに 折れ曲がっていく。
     雪が重くて つらいだろうが、おのしなわせて
     なんとかこたえろ と言ってるんだな。
     辛抱しんぼうして こたえていれば、
     いつか雪は けて、また 元通りになれる。
     
     人間も 同じでね、どんなに つらい事、苦しい事があっても、
     いつかは 過ぎ去って、その苦労も 報われる。
     
     なん遭遇そうぐうした時、肝心かんじんなのは 辛抱しんぼうの心であると、
     そういう事を 言ってるわけだ。

 八五郎:(すっかり感心する)
     はァ~ なるほどねえ!
     俺ァ 感心しちゃったよ!
     
     いやぁ、イイもんだねェ!

 ご隠居めてくれるのは 嬉しいけどね、
     もんというのは ちょっと いただけないな。
     
     こういう物を める時にはね、
     「結構けっこうさんでございますね」と言うんだ。

 八五郎:さ、さん……?

 ご隠居さんは 「さん」とも言ってね、える しょのことだ。
     
     今後 こういう物を 見せてもらう機会が あったら、
     「結構けっこうさんでございますね」と言って めてごらん?
     おまえさんも 少しは たっとばれるよ?

 八五郎:たっとばれる、って、なんスか?

 ご隠居:つまり、けいを 払われるというか、
     見直されるというか、馬鹿に されなくなる というか――
     まぁ 呼び方ひとつ 取っても、たとえば められた人が、
     おまえさんの事を 「っつぁん」と呼んでいたとしたら、
     その呼び方が、「八五郎さん・・」に変わる といった具合だな。

 八五郎:おお、「八五郎さん」――。いい響きだねぇ。
     
     え、じゃあ、「八五郎さん」て 呼んでた人は、
     どう呼んでくれるんスか?

 ご隠居:「八五郎どの・・」と変わるかな。

 八五郎:じゃ「八五郎どの」と呼んでた人は?

 ご隠居:「八五郎さま・・」と変わるかな。

 八五郎:「八五郎さま」と呼んでた人は?

 ご隠居:そんな人 この世に いないだろ。

 八五郎:いねえスけど……。
     仮に、仮に いたとしたら?

 ご隠居:ん~、まあ、「八五郎先生・・」ぐらいには なるかな。

 八五郎:「先生」――
     いいスねェ――
     
     その上は?

 ご隠居:先生まで呼ばれりゃ じゅうぶんだろ?(汗)

 八五郎:いやいや!目指せ、「八五郎はちごろう 大明神だいみょうじん」!

 ご隠居:欲張るんじゃないよ。
     
     まぁ それは ともかく、ものかたは 覚えたね?

 八五郎:もちろんスよ!
     じゃ さっそく、いっちょ やって来るんで!

 ご隠居:え?やって来るって――、どこでだい?

 八五郎:ウチのながおおっスよ。
     ホラ、ちょうど ここのうらに 住んでる。
     
     あのオヤジ、いつも あっしのこと バカに しやがるんスよ。
     呼び方だって、「っつぁん」どころじゃえ、
     「ガラッぱち」なんて呼び方スよ?ひでえじゃねえスか。
     ここは ひとつ、おおもの うまいことめて、
     「八五郎さん」て 呼ばせてやりますよ!
     
     そいじゃ ご隠居、さいならー!!

 ご隠居:お、おい っつぁん。っつぁん!
     
     
     行っちゃったよ――
     
     あい変わらず、せわしない男だねえ……。

 


 

 八五郎:いやー、いいこと教えてもらったなァ。
     ご隠居んとこ 行くと、ひとつこうに なれるから イイねえ。
     年寄りとは 付き合っとくモンだな。
     (大家の家に着く)
     お、着いた。おお いるかな?
     (中へ向けて)
     オーウ!おおさーん! いるかーい?

  大家(表戸を開けて)
     ん?
     
     なんだ、騒々しいと思ったら、わからず屋のガラッぱちか。

 八五郎:誰が わからず屋だぃ!

  大家:おまえだ。モノが分からないから わからず屋だ。
     しかし あい変わらず ガサツな男だな。
     家の前で 騒がれたんじゃ 迷惑だ。
     とりあえず 中へ 入れ。

 八五郎:言われなくても 入らあ。
     オウッ、邪魔するぜ!

  大家:で?やっと店賃たなちん 持って来たのか?
     たしか月分つきぶん たまってたな。

 八五郎:店賃たなちん? んなもん 持って来てねえけど。

  大家:じゃ 何しに 来たんだ。
     というか 払えよ。

 八五郎:この家、もの あるかい?

  大家:話を 聞かんヤツだな。
     
     なに、ものが あるかだと?
     おまえ、馬鹿にするなよ。
     こう見えても ワシは、なが36けんたばねる、町内のもりだぞ。

 八五郎:え? おおさん、両生類りょうせいるいだったの?

  大家:そのヤモリなわけ 無いだろう。
     家を守ると書いて もりだ。
     このあたりのながを 管理しているから、町内のもりだ。
     あと ヤモリは ちゅうるいだ。

 八五郎:で、もの 持ってんの?

  大家:何なんだ おまえは。
     
     馬鹿にするなと 言っただろう。
     もの一幅いっぷくふく 持っておる。
     (床の間を指して)
     ほれ、そこにも ひとつ掛かってるだろう。
     それが どうした?

 八五郎:そいつを めに来てやったんだよ。

  大家めに来た――
     
     おまえに ものめられるのか?

 八五郎:おうよ。
     
     じゃ 近くで よーく 見せてもらうぜ?
     (掛け軸の前に立って見る)
     (独白)
     どれどれ……?
     
     ん??
     なんだ こりゃ、字ばっかりで、絵が 描いてねえ。
     なんだよ、絵がえってぇと なになんだか 分からねえな……。
     
     (大家に)
     おおさん、これ 何て書いてあんの?

  大家:どういうことだ。
     おまえ これをめに 来たんだろう?
     めに来たんなら 自分で 読めばいいだろう。

 八五郎:無茶 言うなィ、めたり 読んだり いっぺんに出来るかよ、せわしねえ。

  大家:意味が 分からん。まったく……。
     まあ いい、読んでやるから よく聞け。これはな、
     
     近江きんこうさぎがたく、遠樹えんじゅからすやすし」
     
     ――と 書いてある。
     
     白いさぎは、近くのみずにいても 風景に溶け込んで なかなか気づかない。
     対して 真っ黒な からすは、遠くの木に 止まっていても 目立って よく見える。
     
     人の行いも 同じでな、人のそばで い行いを しても
     なかなか気付いては もらえないが、
     悪事は たとえ 人目の少ない所で 働いたとしても、すぐにけんする。
     だから 悪い事など しようと思わず、正しく生きよという いましめの言葉だ。

 八五郎:おお――なるほどォ。
     
     おおさん、こいつァ――
     
     けっこうな、さんだねェ!

  大家:何を言ってる。
     これはさんではなくて、
     亀田鵬斎
(かめだ・ぼうさい)というかたの、だ。

 八五郎:え?? さ、さんじゃなくて、!?
     
     え、ホントに??
     
     これ ホントに ?? さんじゃなくて??

  大家:見れば分かるだろう。
     まぎれもなく、これはだ。

 八五郎:そ、そうスか……、スか……。
     
     さいなら……。

  大家:ん?おい――
     
     行ってしまった……。
     何を しに来たんだ あいつは……。

 


 

 八五郎:(独白)
     ん~~~?どうなってんだ……?
     ご隠居は さんだって言ったのに、
     おおさんじゃなくてだって 言ったぞ……?
     おっかしいなァ……。
     
     ご隠居は さんと言って、うらおお……。
     
     ん……?
     
     隠居は さん、裏のおお
     さんの裏は
     なんだか サイコロの目みてえだな。
     さーて、どっちが 正しいんだ……?
     
     ヨシ、もう一軒、試しに 行って やってみよう。
     で、「けっこうな だね」って言って、「違う」って言われたら、
     さんに戻りゃ いいんだ。よし、それで いこう。
     
     そうと決まりゃあ……、どこ行って やろうかなぁ……。
     
     あ、そうだ、横丁よこちょうの お医者のセンセイ!
     あのセンセイなら、ものの ひとつぐらい 持ってんだろ。
     ヨーシ 行ってみよ。えーと―― 
     
     (到着)
     オっ、ここだ ここだ。
     (診療所に入って)
     オウ、センセイ、邪魔するよ!

  医者:おや、八五郎さんじゃありませんか。
     これは これは、珍客ちんきゃく到来とうらいですねぇ。

 八五郎:え??
     なんスか、センセイ、巾着きんちゃく ほしいんスか?

  医者:「巾着きんちゃくちょうだい」と言ったんじゃありません。
     珍客ちんきゃく到来とうらいと 言ったんです。
     めったに来ない客を、「珍客ちんきゃく」と言うんです。

 八五郎:へえ、めったに来ない客が チン!
     じゃ しょっちゅう来る客は ボルゾイ!

  医者:どういう理屈ですか(汗)
     ま、それは いいとして――
     
     えーと、今日は、何か ご用があって 来られたんですか?

 八五郎:そうなんスよ!
     
     センセイが もの 持ってたら、
     見せてもらいてえと 思ってね。

  医者:ほう、もの
     
     八五郎さんは、ものに ご執心しゅうしんなんですか?

 八五郎:ウチは ほっスね。

  医者:ごしゅういたんじゃありません。
     ご執心しゅうしん。つまり、ものが お好きですか と おきしたんです。

 八五郎:あ、そうスか。
     
     いや そうなんスよ!
     ごく最近、ものが 好きになってねェ!
     だから センセイが もの 持ってたら 見せてもらって、
     めてやろうと思ってね!

  医者:ほう、めていただけるとは ありがたいですねえ。
     まあ、めていただくほどの物かは 分かりませんが、
     わたくしも 一幅いっぷく 持っておりますんでね。
     では、奥の座敷に とおってもらいましょうか。
     
     (座敷に案内)
     さ、ここです。
     
     そこの とこに 掛けてありますんで、
     どうぞ ご覧になってください。

 八五郎:(見る)
     ん~~どれどれ……。
     (独白)
     うわ……、こりゃまた ウニャウニャと いっぱい 字が書いてあんなぁ……。
     おおとこのよりも 字が多いんじゃねえか……?
     
     (医者に)
     あー、センセイ、ちょいと、コレ 読んでくださいよ。

  医者:え――
     
     あの、読んで めてくれるんじゃないんですか?

 八五郎:いや だから、
     読むのと めるのと
     いっけちまっちゃあ、
     せわしねえでしょ?
     センセイが 読む、で、あっしが める。
     そしたら 効率こうりつが いいでしょ?

  医者:ちょっと よく分かりませんが――
     まあ いいでしょう。
     では 読みますよ?これはですね、
     
     ほとけほうり 祖師そしほとけり まっそう祖師そしる 
     なんじしゃくって、 一切いっさいしゅじょう煩悩ぼんのうやすんず 
     色即しきそくくう 空即くうそくしき 
     やなぎみどりはなくれない色々いろいろ 
     いけおもに  つきな  かよえども 
     みずにごさず  かげとどめず」

     
     ――と 書いてあるんですね。

 八五郎:(まったく意味不明だった)
     へ――へぇ~、なるほどねェ……。
     
     センセイ、こいつァ、アレだね――
     
     けっこうな、だねェ!

  医者:はて――、これは とは 違いますねぇ。

 八五郎:じゃねえ?
     じゃ さんだ!
     けっこうな、さんだねェ!

  医者:いやいや、さんとも違いますよ。

 八五郎:え!?  さんでもでもねえ!?
     
      じゃあ コレ、何なんスか!?

  医者:これは、いっきゅうぜんの、です。

 八五郎:ォ!?  さんでもでもなく、!? 

  医者:さよう。さとりの言葉 といった意味ですね。
     
     こういった物を める時は、「結構けっこうですね」、
     と おっしゃるのが 相応ふさわしいかと。

 八五郎:そ、そうなんスか……??
     なんかの 間違いじゃねえんスか……?
     ホントに、さんでもでもなく、なんスか……?

  医者:間違いありません。
     これは、正真しょうしん正銘しょうめいがみきの、です。

 八五郎:そうスか……。
     
     さいなら……。

  医者:ん?もう 行くんですか?
     八五郎さん? 八五郎さん?
     
     行ってしまった……。

 


 

 八五郎:(独白)
     いやいや どうなってんだよ オイ……。
     さんでも でもなく、今度は だって 言いやがる。何なんだよ いったい。
     さんだと思ったらだと思ったら――
     
     ん――
     
     さんと来て と来て 次が――
     
     さん
     
     さんぃ、……。
     
     なるほど!
     これ、ひとずつ 上がっていってんのか!
     
     なぁんだ、ああいうの める時は、
     ひとずつ 上げてきゃ 良かったのか!
     
     まったく 隠居のヤロウも ケチだよなぁ、
     最初っから そうやって 教えてくれりゃあ いいのによォ。
     
     まあ でも、そうと分かりゃあ、もう一軒だ!
     こちとら もう タネは 分かってんだよ。
     次 行って、「けっこうな だねぇ」なんて 言おうもんなら、きっと、
     「いいえ、これはろくです」なんて 言われるに決まってんだ。
     そうは いかねえ。先回りして、
     「けっこうな ろくだねぇ」って 言ってやるんだ。これで バッチリよ。
     
     さーて、どこ行って やってやろうかなぁ。
     
     ん~~。
     
     そうだ! ダチの ハンこう
     あのヤロウ、普段から みょう風流人ふうりゅうじん 気取ってやがるからな。
     絵やら なんやら いろいろ集めてるって 言ってたし、
     ものの ひとつや ふたつ、持ってんだろ。
     ヨーシ 行ってみよ。
     (到着)
     オ、ここだ ここだ。
     (家の前で)
     オーウ ハンこう!いるかい!

 ハン公(戸を開けて)
     ん? おお、なんだ ハチこうじゃねえか。
     何しに 来たんだ?

 八五郎:オメエよォ、もの 持ってるかい?

 ハン公:あん?そりゃ いくつか持ってるけどよぉ。
     それが どうした?

 八五郎:見せてくれよ。

 ハン公(バカにして)
     ハァ?
     オメエみてえなヤツが見たって しょうがねえだろうが。
     なんにも 分かりゃしねえんだから。

 八五郎:馬鹿にすんなィ。俺にだって 分からァ。
     いいから 見せろよ。俺が 見て、めてやるから。

 ハン公:おめえが ものめる?ホントかよォ。
     ――ま、いいや。
     見せてやるから まあ上がれよ。

 八五郎:オウ、邪魔するぜ!

 ハン公(座敷の壁を指して)
     ホラ、そこに いくつか掛かってる。
     めれるもんなら めてみな。

 八五郎:(掛け軸の1つを見る)
     どれどれ……。
     
     オ、これは 絵が描いてある。
     やっぱり絵が描いてあるのが いいよな。
     (どんな絵かを見る)
     んーと……、
     
     何だこりゃ、ちいせえ船に、人が 大勢おおぜい 乗ってやがる。
     
     (ハン公に)
     おう ハンこう、この、いちばん前に乗ってる、
     腹の出た オッサン、誰だい?

 ハン公:何が オッサンだよ。
     そりゃ ていだよ。

 八五郎:もと BOØWYボウイの?

 ハン公:そりゃ てい 寅泰ともやすだろ。
     ちがうよ。ていそんだよ。

 八五郎:たけるとショーゴの 漫才コンビ?

 ハン公:そりゃ 東京とうきょうホテイソンだろ。
     ちがうよ。唐土もろこし金山きんざんていしょうだ。

 八五郎:ああ、コイツか、
     トウモロコシに 金山きんざん味噌みそつけて食った ふてしょうってのは。

 ハン公:誰だよ そりゃ。

 八五郎:(別の人物を指して)
     この、バカに頭のなげえ ジジイは?

 ハン公福禄寿ふくろくじゅだよ。

 八五郎:百六十ひゃくろくじゅう百五十ひゃくごじゅうに まけろィ。

 ハン公:なに言ってんだ。
     百六十ひゃくろくじゅうじゃなくて 福禄寿ふくろくじゅだ。

 八五郎:(また別の人物を指して)
     この、竿ざお 持ってる オッサンは?

 ハン公恵比寿えびすだよ。

 八五郎:しぶの隣の?

 ハン公山手線やまのてせんじゃねえよ。

 八五郎:(また別の人物を指して)
     なんか、ひとりだけ 女が いるなァ。

 ハン公:そりゃ 弁財天べんざいてんだ。

 八五郎:女が ひとりに ロウが6人――
     
     間違いが 起きそうだな――

 ハン公:やめろよ、下世話げせわな 想像すんじゃねえよ!
     縁起物えんぎものなんだぞ!

 八五郎:(絵の上のほうに字が書いてある)
     ん――
     
     よく見たら、また 上のほうに 字が書いてあるな。
     
     (ハン公に)
     おう ハンこう、この字、なんて書いてあんだ?

 ハン公(ため息)まったく……。
     字も ロクに読めねえクセに、もの めになんて 来るんじゃねえよ……。
     ま、いいや、読んでやるよ。
     これは めでたい歌でな、上から読んでも 下から読んでも同じ、「回文かいぶん」てヤツだ。
     
     いいか?
     
     ながの とおの ねぶりの みな 目覚めざめ なみぶねの おときかな」。 *ねぶり=眠り。
     ※仮名で書くと「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」(濁点は無視する)
     
     下から読んでも 同じだ。
     
     ながの とおの ねぶりの みな 目覚めざめ なみぶねの おときかな」
     
     どうだ。

 八五郎:なるほどォ――
     
     おう ハンこう、こいつァ――
     
     けっこうな ろくだねェ!

 ハン公:なに言ってんだ。これは、七福神しちふくじんだ。

 八五郎:し、七福神しちふくじん!? ろくじゃなくて しち!?
     
     オイ 話が 違うじゃねえかよ!

 ハン公:何がだよ。意味が分からねえよ。

 八五郎:なんでろくじゃなくて しちなんだよォ!

 ハン公:俺に言われたって 知るかよ。
     昔っから そう決まってんだ。
     ちゃんと七人 描いてあるだろうが。

 八五郎:どうなってんだよ……。
     (その隣の 掛け軸を見て)
     あ、なあハンこう、こっちの、この ちいせえほうもの
     こいつは なんて書いてあるんだ?

 ハン公:ん?そっちは 有名だぞ?
     
     古池ふるいけや かわず びこむ みずおとだ。

 八五郎:(独白)
     よォし、今度こそ――
     
     (ハン公に)
     おう ハンこう、こいつァ――
     
     いい はちだねェ!


 ハン公:バーカ、そいつは、
     
     しょう だ。
    
   ※「」と「」を掛けたオチ。
  



おわり

その他の台本                 


参考にした落語口演の演者さん(敬称略)


柳家小せん
春風亭柳好(5代目)
柳家一琴
三遊亭わん丈
三遊亭遊雀
三遊亭金馬(3代目)
春風亭一之輔


何かありましたら下記まで。
kurobekio@yahoo.co.jp

inserted by FC2 system